憧れの先にあるもの
私には確信がある。
人の憧れの先にあるもの、それは自然であり花である。
憧れ
人は憧れる生き物だ。
生を受けて意識を持った瞬間から、命を失う瞬間まで憧れる。
ミルクから離乳食へ、楽しそうなおもちゃ、兄貴のかっこいい服、
テレビで見る芸能人、すごいプレーをするサッカー選手、中高生の先輩、
クラスでモテるイケメン、かわいい彼女、
ヤンキー、酒とタバコ、東京、そして大人。
田舎で育つと都会に憧れ、日本に育つと海外に憧れる。
お金が欲しい、英語が喋りたい。
海外に行って世界中の人とビジネスをする自分。世界の流行りやトレンドをいち早く生活に取り入れSNSで発信、いいねをたくさんもらう。
会社に属さず、個を大事にして好きなことで生きていく。
平日は田舎でテレワーク、月に2日は東京へ。満員電車で出社するニュースを見ながら自分は好きな時間に起きて仕事をする。
定年後は都会を離れ、田舎で悠々自適に過ごす。カフェを巡り、ゴルフをする。野菜を育ててもいい、自分に必要な分だけ。売り物ではないから無農薬で多少虫に食われようと気にしない。
たらたらと思いつくままに書いたが、こんな風に隣の芝生は青く見えるもので、どんなに環境を変えてもまた別の環境への憧れを繰り返す。
そしていつか気づく
人はいつか気づく。自分は自然の一部であり、宇宙の一部であること。
先人たちがこんなにも豊かな社会を作り、さらに不自由なく、しかも現実社会だけでなく仮想現実までも作り出そうとする世界で生きることは本当に素晴らしい。
でも、人生を重ねていく中で、本当に豊かなこととは何かを探し出す。
そして気づく。自然だ。
自然とは、何も田舎で暮らすことや野菜を育てることだけではない。
自分自身が自然であること。人となりも含めてその重要性を学ぶ。
自分は人間である前に、自然の一部、地球の一部、宇宙の一部、だから自然に優しいものが心地いいし落ち着く。
そうしてまず自然に返っていく。
豊かさの先にあるもの
あらゆる憧れを追い求めて過ごした人生。もう何もいらない。お金もある。使い倒した。
そこでふと歩いていると、コンクリートの割れ目から芽を出して咲いている花に気づく。
「なんという儚さ。花は動かず、声も出さず。柔らかな、子供の手でも潰せるような細い根にも関わらず、人間が作り出した硬い鉱物の隙間を縫ってでも生きようとする命」
「決められた場所で、なお力強く、枯れるまで生命を全うし、ただ枯れていく。そして元には戻らない」
これが憧れ、豊かさの先に人が行き着く最終点である。と思う。
そこに気づく瞬間は人それぞれかもしれない。
道端に咲く花を見て何を思うか。それが今の自分です。
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