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アンパンマンに御用心

文:永井一樹(附属図書館職員)

 人生イチオシの小説を問われたらちょっと選択に困るけれど、短編小説なら迷わず答える作品がある。志賀直哉の「小僧の神様」である。たぶん中学生の時に読んだから、かれこれもう30年以上不動のナンバー1だ。なぜか。特段インパクトのある話ではない。鮨に憧れる小僧がなけなしの四銭を握り屋台寿司屋の暖簾をくぐるが、一貫六銭であるために食べられない。それを不憫に思った客の紳士が数日後、偶然再会した小僧にたらふく鮨をご馳走する。だが善いことをしたはずなのに、その後紳士は妙な罪悪感にとらわれて時を過ごす。そんな話である。
 私がこの物語に惹かれるところは、小僧が屋台寿司屋で勇気を出して手に取った鮪を「一貫六銭だよ」と言われてやむなく元に戻すシーンである。読むたびに、胸がきゅんと締めつけられる。そんな風に感じるのも、私に原体験と呼べるものがあるからかもしれない。これも中学生の時、大晦日に友だちと二人で山寺に鐘を撞きにいった。わざわざ山寺を選んだのは、そこで美味しいぜんざいが振る舞われていたからである。私たちの向いの席で、小学校低学年くらいの少年が、ひとりでぜんざいを食べていた。その様が、まるで「飢えきった痩せ犬が不時の食にありついた」(「小僧の神様」)ような食べっぷりだったのである。少年の傍に身内らしい人の姿はなかった。まさか彼は一杯のぜんざい食べたさに、あの真っ暗な竹林をひとりで歩いて来たというのか。そんなことを思うと、胸をかきむしられるような気分だった。その後も人生の折々で似たようなシーンに巡り会う度に、私は必ずこの少年と小僧のことを思い出す。
 そして、ついに最近、私は三歳になる自分の娘に小僧を見てしまったのである。
 それは、家族で神戸にあるアンパンマン・ミュージアムに立ち寄ったときのことだった。その建物は二階が入場券の必要なミュージアム(遊び場)で、一階は誰でも入れるショッピングモールになっている。長居する気のなかった私は二階の気配を娘に隠したまま、ウィンドーショッピングを始めたのだったが、娘の方は人生初のこの「楽園」に興奮冷めやらぬ様子だった。生まれて物心ついてからずっと自粛が続いていたから、刺激が強すぎたかもしれない。モールの奥の広場で、一人のお姉さんが風船を配っていた。私は娘とその列に並んだのだが、すぐにそこに1,400円という値札がついていることに気がついた。イオンモールのヘビーユーザである私には、広場で配る風船=無料という感覚が染みついていたから、その値札を見たとき驚きと共に自分のなかで何かが沸々と込み上げてくるのがわかった。私は娘の手を乱暴に引いてその列から抜け出たのだが、予想に反して娘はちっとも愚図らなかった。立ち並ぶショップのめくるめきが、モノへの執着を和らげている風だ。
 その後も、娘はショップの出入りを繰り返し、その都度モノをねだったのだが、不機嫌な私の財布は最後まで緩まなかった。モールを周回し出入り口に戻ってきたとき、ふと大半の子どもが手に風船を浮かべていることに気づいた。その風船の波のまにまに、娘がひとり人さし指同士を所在なげにつなげたまま突っ立っている。そのときだった。小僧が回帰してきたのは。娘は、アンパンマンらの顔面を刻印したパンが次々と流れてくる工場ラインをガラス越しにぼんやりと眺めていた。パンぐらい買ってあげようかという妻の提案を、けれど私は断腸の思いで固辞した。ここが踏ん張りどころだと思った。今にして私は、小僧の神様がなぜ善行の後に罪悪感に襲われたのかが分かった気がした。紳士は、大人たちがこしらえた通(つう)の世界に子どもを耽溺させてしまったことを悔いたのではなかったか。この善行で満足したのはむしろ自分の方で、小僧の空腹は欲望を知ったためにかえって大きくなりはしなかっただろうかと。
 ミュージアムを出た遊歩道に、アンパンマンの石像が建っていた。私たち家族はその前で記念写真を撮った。家の近所の石材店の庭に同じものが置いてある。七福神とウルトラマンに挟まれて。だが、この写真は私たち家族にとっては特別な意味をもつものだった。なぜなら、それはアンパンマンという名の人生最初の“資本主義的欲望”を化石化する、娘にとって重要なイニシエーション(通過儀礼)となったからである。

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