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菊地康介のコーヒーをめぐる旅 Vol.2

フリースクールで培った「自由」

話し手:菊地康介 / 聞き手:永井一樹(附属図書館職員)


(永)まず私が知る兵教大学生・修了生のなかでトップをひた走る変人・菊地君の生い立ちを聞かせてください。

(菊) …(笑)。生い立ちは、東京生まれの東京育ちです。兄、姉、僕、弟の四人兄弟として、至って普通の両親のもとで育ちました。ただ他と変わってたところは、兄がまず学校に行かなかったんです。兄とは六つ離れているんですが、僕が幼稚園に上がった頃には、もう不登校になっていて、ふと気づいたら姉も行かなくなってたんです。
朝、僕が幼稚園に行くぞってなったときに、兄と姉は子ども部屋でまだ寝ているんですよ。だから、「小学校って、別に行かなくていいところなんだ」みたいなイメージを、何となく幼稚園の頃に植え付けられて。

(永)で、菊地君もその後塵を拝したわけですか。

(菊)はい。幼稚園は楽しかったので通ったんですけど、小学校は一年通ったタイミングで、「あれれ、ここって面白くないかも」って考えるようになったんです。だんだん遅刻が増えてきたり、欠席が増えてきたりして、とうとう、小学校に行くことをやめてしまいました。それ以来、家にずっと居て、兄と姉と遊んで過ごしていましたね。

(永)ずっと行かなかった?

(菊)いや時々給食だけ食べに行ったりしてました(笑)。でもほぼ在宅でしたね。一番大きな転機は、兄と姉がフリースクールに通いだしたことです。フリースクールというのは、学校に行かない・行けない子どもたちに、学習の機会や自分の居場所などを提供する民間の施設なんですけど、兄と姉がそこに通いだしたことで、僕がひとりになっちゃったんです、家の中で。僕も行きたかったんですけど、一応年齢制限があって、一年間は家にいて、本とか読んで過ごしました。それで、三年生になった時に、満を持して、さあ今日から俺もフリースクールに行くぞって言って、通いだしたわけです。でも、その頃には兄も姉も卒業していて、結局ひとりでフリースクールに通うことに。でも楽しくて、ほぼ毎日通ってましたね。

(永)中学校はどうだったんですか?

(菊)中学、高校は埼玉県にある、自由の森学園っていう私立の学校に通いました。普通の公立の学校とはちょっと違っていて、点数序列主義に反対するような学校で。世の中には、勉強以外にも大事なことってたくさんあるよねっていう。なので、テストとかないんですけど、その代わり自分たちの学びたいように学べ、先生たちはそのためのお手伝いをするよっていう、その名のとおりの自由な学校でした。中高一貫校だったので、そこに六年間通いました。

(永)フリースクールの延長みたいな感じですかね?

(菊)そうですね。ほんとに自由でした。例えば平和学習をしようとなった時、中学生だと普通は本を読んだり、ビデオを見て学習すると思うんですけど、僕らは、それだけじゃ甘いんじゃないか、広島に行こうぜってことになって、実際にみんなで広島に行ったんです。そこで、被爆者の方と話をしたりしました。広島には被爆ピアノ(原子爆弾によって被爆したピアノ)が残されているんですが、広島市長や管理団体に、それを貸してほしいと交渉しました。僕らの学校に運んでくれたら、そのピアノを使って僕らが平和の歌をうたいますよって。

(永)無茶ですね。被爆ピアノに、みんなが集まったらいい話じゃないんですかね。

(菊)そのときは、ピアノを運ぶことに意味を感じたんでしょうね。しかも、ほぼ生徒たちだけでやるんです。電話をしたり、ピアノを借りてきたり。そのピアノを誰が弾くかとか、何を歌うかとか、そういうのを全部自分たちで決めていく。

(永)広島から埼玉まで、ピアノを運んだ?

(菊)はい。みんなで歌、うたいましたよ(笑)。

(永)すごい行動力ですね。ピアノ運ぶだけでも相当なコストがかかったりするわけでしょ。おカネは学校が出したんですか?

(菊)いや、それはおそらく保護者さまさまだったのかもしれないですね。中学生の時は、金銭面に関しては触れなかったですね。高校生になってからは、この企画を実現するためのおカネはどうするかなんていう話はやってたような気がしますけど。

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(永)で、そんな風に、大学時代を過ごして(高校・大学時代の話は、紙幅の都合上、割愛しました)、いろんな選択肢があるなかでなぜ大学院として兵教大を選んだのですか。

(菊)一瞬就職もよぎったんですが…。大学四年間で教育について勉強したつもりだったんですけど、すっきりする答えがみつからなくて。やっぱり、自分の生い立ちからしても、教育というものにもっと真剣に向き合いたいと思ったんです。
それと、高校生のとき、将来は三十歳になるまで働かないでいようと決めたことがあって。大学を卒業した時は二十二歳、まだあと八年あるって考えたときに、その時間をできるだけ自分の好きなことに使いたいなと思いました。旅行にも行きたいし、農業とか林業とか漁業とかそういう世界にも触れてみたいなとか、いろんなことがリストアップされていくなかで優先順位をつけたときに、大学院が最初だなって思ったんですよ。

(永)教育コミュニケーションコースだったけど、教員免許は取得したんですか?

(菊)はい、五つくらい。

(永)その辺りは、ぬかりなく。

(菊)僕にとっては、授業を真面目に受けるっていう行為が初めてだったので、新鮮で結構ちゃんと受けましたね。

(永)ちなみに大学院の研究テーマは何だったんですか。

(菊)フリースクールでした。学部時代の卒論テーマも同じ。関連文献を読み漁り、調査目的でフリースクールを訪ねたりして、二年間、自分のなかで少しでも納得できる答えを、結構真面目に探しつづけましたね。


菊地康介ロングインタビュー 目次

|0| 菊地康介という若者
|1| フリースクールで培った「自由」
|2| パナマの寒村に飛ばされて
|3| 新型コロナでビジネス計画が白紙に
|4| モットーは「人生を丁寧に」

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