【賛美歌・礼拝奏楽曲創作】ここ一年の新曲5作品を一挙にご紹介
約1年ぶりにnoteに帰ってきました(^^;; 前回のこの系統の記事で書いた予感が当たり、完全にnoteから離れてしまっています…
そんな中、2023年度はこれまでになく新曲が多く降ってきた一年となりました。曲数で言えば創作を始めた2016年度も多かったんですが、この時は短い賛美歌(頌栄等)もあったので、実質的には昨年度が最多と言えます。その1曲目は最初にリンクを貼った記事に既に載せていますが、2曲目以降をこの記事でご紹介します。
【礼拝前奏曲】十字架の道行き
昨年6月の半ばにちょっとしたネガティブな出来事に遭遇しまして、その直後に夕食を作りながらだいたいの構成ができた記憶があります。収録はそれから1ヶ月後の夏休み入り直後となりましたが、神学校(新潟聖書学院)に入学してから3年連続で6月に作品が生まれています(今年はできるのだろうか…)。最終的には作品として昇華できたので「終わりよければすべてよし」でしょうか。
作品の方に話を移すと、タイトル通り受難節(教派によって四旬節、大斎節、レントとも)や受難週(聖週)にふさわしいのではないかと思います。低音部でキリストの足取りを表現したつもりです。
初期作品に同じ趣旨のものがありますので、そちらもご紹介させていただきます。
【礼拝後奏曲】G.Markelの後奏曲と讃美歌「すべての人に」の融合
夏休み明け最初の日曜日に出席教会(高田聖書教会)で礼拝奏楽をした際、説教の内容を踏まえながら後奏曲をどうするか考えていた時に、以前試みたコラボを思い出しました。それを多少リメイクして弾いた音源を動画に加工した訳です。これまでの動画の中で、礼拝での「生音」を用いた動画はこれが唯一となっています。
G.Markelの後奏曲というのは曲集にタイトルが載っていないためこう書くしかないんですが、こちらの曲集に収録されています。信仰歴の長い方なら、一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。
一方、讃美歌の「すべての人に」は戦後より前に作られた日本人による讃美歌作品の中で特に親しまれている一曲ではないかと思います。作詞の由木康は、最初に賛美歌を作詞したのが中学3年生の時だそうです。「きよしこの夜」等の訳者としても知られ、現在の東中野教会で半世紀に渡り牧師を務めました。作曲の岡本敏明は、弓町本郷教会のオルガニスト兼聖歌隊長をはじめ、讃美歌以外の様々なジャンルの作曲、国立音楽大学教授・理事、全日本合唱連盟理事長も務めました。(出典:讃美歌21略解)
【賛美歌作詞】聖卓の祈り
冒頭でも似たような話をしましたが、神学校に入学してから3年続けて、秋に教会音楽目的の小旅行をすることができています。1年目(2021年)は会津へリードオルガン演奏会に、2年目(2022年)は仙台で関連のフォーラム聴講+盛岡の教会で会堂見学、そして3年目となった昨年はこちらでした。
私にとって、地元のりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)以外のホールでオルガンの演奏を聴いたのはこれが初めての機会となりました。プログラムの最後に記されている作品を作詩された田中さんとfacebookでつながっていただいたことが、こちらへ伺った最大の要因となりました。(2022年9月以降fbで音楽家の方々とのつながりをだいぶ強化しまして、それがnote離れの一因です^^;)
ここで演奏された曲自体に触発された訳ではないというのがオチで、この時の着想には主に2つの要因が考えられます。
・知り合いの詩人の作品が世界初演された現場に立ち会ったこと
・翌日の礼拝奏楽で、禅僧として”Ave verum corpus”を弾く予定にしていたこと
このホールは、特に地方では希少な「超駅近」なホールなんですが、終演後駅に着く頃にはおおよその詩が出来上がっていたのでした。
※Googleマップでは徒歩6分と表示されますが、駅を出て右方向に歩いて踏切を渡ると、そこはもうホールのある島内公園です。測りはしませんでしたが、公園入口までは3分もかからないかと。
賛美歌作品をnoteで紹介する際にどういう流れだったかも忘れてしまっていましたが、歌詞を全部載せるという通例を確認したのでそれに従います。
1.主の体と御(おん)血潮を 受けし我らは祈る
「我らを主と一つとし この世に遣わしませ」
2.我ら伝えん 御(み)苦しみと 死からのよみがえりを
主と共に我らは死に 主と共に我ら生く
3.主が我らを愛せしこと 互愛(ごあい)の基(もとい)なれば
御霊(みたま)もて愛を満たし 我らを結びたまえ
4.我ら日毎(ごと)祈り求めん 主よ、聞き入れたまえや
「新たに連なる者を 我らに与えたまえ」
サムネイルにダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を使っている通り、この賛美歌は聖餐式のために用いられることを想定した作品です。聖餐式(陪餐)に際してどれだけの歌を歌うかは教派や教会によってまちまちですが、一番多いケースは「聖餐式の冒頭と最後に一つの曲の前半と後半を歌う」ではないかと思います。ただ、この作品は聖餐式の最後に(全体を)歌われることを想定しています。あるいは、礼拝全体の最後でもいいかもしれません。
また、10月第一日曜日に定められている「世界聖餐日」に用いられてもいいと思います。世界聖餐日は「全世界のキリスト教会がそれぞれの教会で主の聖餐式をまもり、国境、人種の差別を越えて、あらゆるキリスト教信徒がキリストの恩恵において一つであるとの自覚を新たにする日」と定義されています(橋本祐樹「世界聖餐日の背景と成立」、関西学院宗教センター「チャペル週報」No.15 2022.10.2~10.7、p,2 ↓こちらのURLからPDFファイルにアクセスできます
https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei_c_christian/files/syuhou/cw221003_07.pdf
ただし、現実として日本でこの習慣が根付いている教会は一部に限られています。世界的に一つのテーマ等に基づいて行われるキャンペーンとしては1月の「キリスト教一致祈祷週間」や3月第一金曜日の「世界祈祷日」もあるだけに、一番シンプルな(各教会での実践が中心なので)世界聖餐日が埋もれてしまいやすいのかもしれません。それでも、もっと広がってほしいとは思うんですが。
曲は、「善き力に我囲まれ」という詞との組み合わせで用いられているオット・アベル(旧東ドイツのオルガニスト)の曲を用いました。作詞したディードリッヒ・ボンヘッファーは牧師・神学者で、多くの著書が邦訳されています。彼はヒトラー暗殺計画に関与したために、絞首刑によってこの地上での生涯を終えました。ドイツが降伏する1ヶ月前のことでした。
※この詞には多くの曲が付けられており、より人気がある旋律は新生讃美歌(73番)等に収録されたコンテンポラリー(現代的)なものです。
【賛美歌作詞】まことの慰め
神学校では「説教演習」という授業があります。日曜日に教会で行われる礼拝の中で必ず行われることの一つがこの説教です(「メッセージ」や「宣教」等と言い換えているケースもありますが)。簡単に言えば「聖書の話」ですが、神学校では大学の教職課程における「模擬授業」のようなものがある訳です。
昨年の冬休み前最後の授業週に説教演習の順番が回ってきました。その時の説教の元となった聖書箇所は新約聖書・コリントの信徒への手紙 二 1章3~11節でした。(神学校で用いている聖書は新改訳2017ですが、リンクを貼るために書簡名は新共同訳を使用)
当日の原稿を貼ることはしませんが、お話したことと先生や学生からいただいた批評を元に、その2日後の日曜日に教会へ向かう車中で急にアイディアが湧いてきました。そして、曲は「主よ、人の望みの喜びよ」と最初から決まっていたのです。
宗教改革の中心人物の一人であるマルティン・ルターは「賛美歌は、会衆(礼拝出席者=信徒等)による説教である」という言葉を残しましたので、いずれ自分でも説教を作る中で自然と賛美歌の詞も生まれてくるのかなぁと想像していましたが、まさか神学生の段階でそれが起きるとは思いませんでした。
では、詞のご紹介です。
1.まことの慰め 神より来たる
苦しみ受くとも 望みは堅し
この世の旅路を 歩む我らに
こよなき力を 与えたまえや
2.まことの慰め 受けし我らは
隣人といざ 分かち合わばや
欠けたるところを 主よ、補いて
豊けき交わり 与えたまえや
3.まことの慰め 受けし我らは
苦しみも共に 担(にの)う群れなり
我らの祈りと 言葉とわざを
人を救うために 用いたまえや
4.まことの慰め 豊かに賜(たも)う
憐れみの父と 十字架のイェスと
慰め主(ぬし)なる 聖き御霊に
御栄えあれや とこしえまでも
(間奏を経て、最後に)アーメン
バッハの大曲との組み合わせとなってしまったことが災いし(?)、着想した翌日に7時間をかけて収録を試みるも失敗。その割に、年明けの授業2日目の夕方に30分足らずでなぜか成功(終了)するというオチがつきましたが。
既存の讃美歌集にも、この旋律との組み合わせで作られた作品が収録されています。
最初に貼ったリンクは、賛美歌第二編228に収録された曲です。原詞はどちらも同じですが。
「主よ、人の…」は、バッハのカンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の終曲として作られたものですが、3節3段目の歌詞はそのことを意識しながら作りました。また、自分の名前「歩(む)」を歌詞に盛り込んだ初めての作品ともなりました。
【礼拝後奏曲】あなたがたに平和があるように
今年3月中旬、春休みに入った途端に埼玉県へ赴きました。3泊4日の集会に参加するためでした。
集会について詳しく紹介する代わりにHPを貼りますが、
この集会では、午前中と夜にグループごとに分かれて話し合う時間がありました。そのグループは関心領域別に分けられていたんですが、その関心領域は申込フォームに入力していたようでした(「グループ分けに使用します」と明記されていた記憶はありませんでしたが)。
私は「音楽」のグループに振り分けられており、パイプオルガンに熟練しておられる方やコンテンポラリーワーシップ(現代的な賛美歌)の演奏に携わっている方等とご一緒しました。この集会は参加者が25~45歳に限定されていたんですが、それも相まって本当に共感できることの多い時間を過ごせました。
非常に心燃やされて会場を後にしてからさほど経たない間に、新たな曲のアイディアが生まれたのです。この集会のグループタイムを通して決心した「プロモーション強化」を実践すべく、次の日曜日に出身教会(新発田キリスト教会)のリードオルガンで「デモ音源」を録音し、facebookで公開しました。その時点では「拡張させて前奏曲に」と考えていたんですが、一度公開して安心してしまったのか、そのまま後奏曲として1ヶ月余後にYouTubeに公開する運びとなりました。
このリードオルガンで作品収録を行ったのは、コロナ禍前の2019年9月以来でした。そのおかげもあり、以前から参加していたfacebookグループ「リードオルガン」にもようやく投稿することができ、多くのリアクションをいただきました。(他に「古楽を聴く、語る、宣伝する!」グループにも投稿させていただきました)
モチーフとしている聖書箇所は動画タイトルに書いている通りですが(こちらでお読みいただけます)、復活したイエス・キリストが弟子たちに立て続けに告げた言葉です。
さて、ようやく5曲の紹介が終わりました(^^;; 最後に、すでに言及しているプロモーション強化策発動の結果、YouTubeの再生回数でも目に見える成果が出ています。
昨年度は1,885回でした。今年度に入って2ヶ月弱が経ちましたが、すでに550回を上回っています。このペースなら2,000回越えは確実ですが、すべては今後の新作創出次第です(^^;;
そもそも、このnoteも元をたどれば創作作品のプロモーションのために始めたものでした。noteを通してお聴きいただいている方も多く、感謝しています。初期の記事で書いたはずですが、ゆくゆくは曲集(楽譜)出版や音源のリリース(CD+電子?)を願っています。ぜひサポートやお知恵の拝借をいただければ幸いです。
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そういえば、チャンネルのアイコンとサムネイルは変更したのでした・
アイコンは、昨秋にカトリック妙高教会で行われた結婚式で奏楽させていただいた際に撮っていただいたものです。
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