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自分のなかの敵だけを―戦後75年と言われる日に寄せて―

 今日が近づくに連れて、コロナ禍と先の大戦を比較する視点から書かれた記事が目立つようになったように思います。

 会員登録をしなくても全文読めるという理由で、こちらの論説を一例として載せました。
 程度の差はあれ、両者の類似性を感じる方が多いのではないでしょうか。

 この記事のタイトルとして、ある賛美歌の一節を引用しました。この曲は比較的珍しいタイプの賛美歌なのではないかと思います。それを実感していただくために歌詞をご紹介します。

讃美歌21 372 幾千万の母たちの
作詞:阪田寛夫 作曲:大中 恩
1.幾千万の母たちの 幾干方のむすこらが、         
  たがいに恐れ、僧みあい、 ただわけもなく 殺しあう、      
  戦いの真昼、 太陽もなまぐさく。
2.風吹きぬける焼け跡に、 幾千万の母たちは、
  帰らぬ子らの足音を いつもむなしく待っていた。
  戦いの日暮、 まっかな陽が沈む。
3 むなしく裂けた天の下、 焼けてただれた樫の木が、
  それでも青い芽をふいて、 神のめぐみを あかしした、
  戦いはとだえ、 夜明けは近づいた。
4 幾千万の母と子の こころに合わせいまいのる。
  自分のなかの敵だけを おそれるものと なるように、
  戦いよ、終われ、 太陽もよみがえれ。

22.3/10追記:なぜか動画を載せていなかったのでアップしました。

 作者のお二人とも、よく知られた人物ではないかと思います。しかも、この組み合わせは童謡「おなかのへるうた」「サッちゃん」と同じコンビなのです。(実はこの他にも、子門真人さん等クリスチャン作詞・作曲家はちらほらいらっしゃるんですが)
 大中さんは母校の校歌を作曲された人物でもあるため、そのお名前は印象深く記憶していました。そんな大中さんが残した賛美歌作品であるこの曲も同様でしたが、あいにく礼拝等で歌う機会はほとんどありませんでした。ちょうど5年前の今日が、自分にとって唯一ではないかと思います。(見出し画像は、その時にfbに投稿していた写真です。映っているのは讃美歌第二編の譜面ですが)
 大中さんの人となりを垣間見ることができるサイトをご紹介します。(3分半の動画付き)

 この賛美歌は1~3節で小説のようなストーリー展開をしているのではないかと思います。この投稿ではタイトルに引用した部分を中心的に記すつもりにしていましたが、改めて歌詞を読んでみて新たに気づいたことがありました。2節「帰らぬ子らの足音を」という部分が、本来帰省シーズンであるはずの今年のお盆を象徴しているように感じられたのです。どれだけ寂しい思いをしている方がおられるだろうかと、改めて思いを馳せました。

 「平和というのは、決して戦争(戦闘状態)がないだけを意味するのではない」という考え方も、何となくではあっても多くの方々が聞いたことがあるのではないでしょうか。5年前のこの時期は、日本ではまだ草創期であったであろうクラウドファンディングによって「現代平和学の父」ヨハン・ガルトゥング博士がノルウェーから来日して講演を行いました。
 この時はさすがに(?)CFに参加し、講演聴講の権利を勝ち取って横浜でお聞きしました。その時は撮影自由だったので、当然ながらお写真を撮らせていただいたのです。

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 トランセンド研究会のHPでは次のような説明がなされています。今日の戦没者慰霊式でも首相が「積極的平和主義」を口にしたそうですが、それは本家と大きく外れた考え方なのです。

平和学でいう「積極的平和」とは、戦争や内戦などの直接的暴力、経済的搾取などの構造的暴力、それらを肯定しようとする選民思想などの文化的暴力のようなあらゆる暴力を世界からなくしていく努力の中で、さらに一歩を進め、単にそれらの暴力をなくすだけでなく、対話や協力など何か積極的なものを新たに創造していくことを意味します。もちろんこれは、非暴力的な手段によって達成されなくてはなりません。

 コロナ禍で新たに生まれてしまった分断・問題もあれば、それ以前にも常態化していたものがさらに深刻化してしまったという側面もあったと思います。
 冒頭で紹介した「コロナ禍と戦争」の記事をもう一つ紹介します。

 コロナそのものよりも、そこから派生した様々な言動で傷ついた方々の方が多いのではないかと思ってしまいます。75年前と比べて、良くも悪くも「個人の発信力」が絶大な今の時代にあって、人々の心を癒やし励ます言葉も拡散されますが、誹謗中傷・罵詈雑言のもたらすダメージは今の方が深刻なのかもしれません。
 仮に傷ついたとしても、以前のような密接な人間関係が許される状況であればまだ良かったのかもしれませんが、未知の疫病の前ではそれもままなりません。幸いにしてネットを使えばどうにかなるものの、オンライン会議(通話)には独特の疲れが生じると言われます。また、文字だけのコミュニケーションだとどうしても認識のズレが起きてしまいやすいものです。顔と顔を合わせたコミュニケーションには、やはり他には代えがたい価値・効果があると思うのです。それが癒やし、さらには平和・和解へとつながりやすいものではなかったかと。
(まあ、こんなネガティブなことばかりを言ってないで、それこそ現状を積極的に生かしていく視点も大切なんですが)

 この世界で生きていく限り「自分のなかの敵だけをおそれる」状態なんて起き得るはずがないと思い、この一節に対しては違和感を覚え続けてきました。しかし、コロナ禍が始まってからは「周囲に恐れるもの(対象)が多すぎる」と思うようになりました。それについては既述の内容と重複するので割愛しますが、こういう状況になったからこそ「自分のなかの敵だけを おそれるものとなるように」という祈り・願いが自分のものになったように思うのです。
 「決してゼロにはできないけれど、少しでも減らすことができれば自分も周囲も生きやすくなる」ものは、恐れ以外にもいくらでもあるだろうと思います。(逆に、一つでも増やすことができれば…というものもあるでしょう) それが自分にとって何なのかは、人によって異なる意見も出てくることでしょう。しかし、多くの人の間で共有できるものも少なくないはずです。過度に個人主義化するのではなく、個人を尊重した上での「緩やかな連帯」がコロナ禍の社会においても実現していけばいいなぁと思います。

 最後に、8・15=敗(終)戦という風潮には異を唱える立場にいます。実際のポツダム宣言調印は9月2日でしたし、樺太戦が終結したのは8月25日でした。また、奄美・沖縄が占領下に置かれたことやシベリア抑留・日本軍残留兵のことも脳裏をよぎります。新潟に関係することで言えば、1949年春に「名立機雷爆発事件」が発生し、63人が亡くなりました。
 また、ここ数日で報じられた「戦争体験」でも、決してこの日で戦争が終わったとは思えないものも少なからずあったと思います。そういった声にこそ耳を傾け、記憶にとどめるべきではないかと思うのです。

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