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20211219子どもクリスマス会メッセージ再現原稿「私たちと共に生きてくださる神」

 前日にも同じようなお務めの機会をいただきましたが(当該記事参照)、午前中にクリスマス礼拝が行われた日曜日の午後にも子どもクリスマス会で短いメッセージ(10分目安)をさせていただきました。今年度出席しているのは、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン・北新井駅から徒歩3分のところにある日本伝道福音教団・新井聖書教会新潟県 妙高市)です。
 このメッセージの前には、子どもたちによる紙芝居の披露がありました。この紙芝居は、いのちのことば社がダウンロード販売しているものです。

 タイトルでお分かりいただける通り、この紙芝居では主イエスの誕生について描かれています。元となっている聖書箇所へのリンクを貼っておきます。(新改訳2017は仕様上貼れなかったので、新共同訳です)
ルカの福音書1章26~38、2章1~20節、マタイ福音書1章18~25節
 さて、そういった基本情報を見聞きしてもらった上でどんな話をしたのか、というのがこの記事の内容です。ただ、原稿を作らずに臨み、録音もしていなかったので、記憶をたどりながらの叙述にとどまることをお断りしておきます。また、言えなかったことを多少補足したり、ヨセフ・マリアに対する敬称を省略したりもしています。
 なお、見出し画像は当日朝の風景です。教会も写り込んでいます。この週末が今シーズン初めての本格的な積雪でした。
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 こんにちは。そして、クリスマスおめでとうございます。今の紙芝居で、最初のクリスマス、つまりイエス様がお生まれになった時の様子を知ってもらうことができたと思います。しかし、この紙芝居は最低限の内容で、聖書の中にはこの時のことについてのお話が他にもいくつか紹介されています。このお話では、その中から少しだけ紹介したいと思います。
 赤ちゃんのイエス様をお腹の中で大切に育てていたマリアは、結婚することが決まっていたヨセフと共にヨセフが生まれたベツレヘムに行かないといけなくなりました。これは、自分が支配している土地に人がどれくらい住んでいるかを調べる(住民登録)と皇帝が決めたからでした。今の日本でも「国勢調査」という名前で似たようなことが行われていますが、5年に一回で時期も毎回同じだし、紙で提出するだけでなく今はインターネットでも回答することができます。しかし、この時は紙もまだ普及していなかったので、そんな訳にはいかなかったのです。そうだったとしても、もし1年前に予告されていたら、ヨセフとマリアは前もってベツレヘムに移動しておいて、安心して出産を迎えることができたかもしれません。しかし、そうすることもできませんでした。
 ナザレからベツレヘムは、Googleマップで調べると150km以上あります。今の時代、車や電車で行くのも楽な距離ではありませんが、2000年前は当然歩くしかありませんでした。マリアはゆっくりなスピードでしか歩けなかったでしょうから、他の人達に追い抜かれて遅く到着したんだろうと思います。
 さっきのお祈りの中にもあったように、神様はすべてのものを創造されて、今もすべてのものを愛し守ってくださっているお方です。そんな方は、本当ならホテルのスイートルーム、いや宮殿のようなところで生まれるべきだったのかもしれません。しかし、実際は宿屋が空いておらず、馬やロバの餌を入れる飼い葉桶でお生まれになったのです。
 イエス様は何歳の状態でお生まれになったでしょうか。愚問だったかもしれませんが、0歳の赤ちゃんとしてお生まれになりました。大人として、羊飼いのもとにやって来た天使のように神々しく降臨した訳ではなかったのです。マリアにとっても、「神の子だから特別に苦しむことなく生むことができますよ」ということではありませんでした。ヨセフとマリアもまた、特別な人ではなかったのです。今で言う教会の牧師とか政治家とかそういう人ではなく、ヨセフは一人の大工でした。イエス様が生まれるという知らせは2人にとって驚きの知らせでしたが、ただ神様を信じる思いがあったからこそ、神の独り子であるイエス様の両親としての役割を果たすことができたのです。
 前半の最後に、クリスマスはイエス様の誕生日という訳ではないということを紹介したいと思います。後になって、ある会議でこの日にするという感じで決められました。歴史的に正しいかどうかは大切ではなく、私たちが心からイエス様の誕生を喜び感謝することが大切だと思います。

 前半では、イエス様が生まれた時の苦労と、その中でヨセフとマリアが神様を信じ切っていた様子を紹介しました。イエス様は30歳くらいになるまでは普通の人のように生活していました。お父さんのヨセフの仕事を手伝い、実はヨセフはイエス様が10~20代の頃に亡くなったと言われてるんですが、その後は一家のあるじとして家族を支えたと思います。その中でいろいろな苦労を経験し、悩みもあったのではないかと思います。お父さんを早くに亡くしたんですから、悲しみもあったでしょう。
 そしてイエス様は、30歳の頃から3年鑑、神様のことを伝える仕事をしました。しかし、ここでも人々に憎まれ、何度も殺されそうになりました。この人々は、旧約聖書に詳しかったり、それこそ今で言う牧師の仕事をしていたのに、約束されていた救い主であるイエス様が救い主だと気づくことができなかったのです。そして、ついにイエス様は十字架にかけられて殺されることになってしまいました。(その後復活して、イエス様を信じる人々には永遠の命を与えてくださることになりましたが)
 ここで伝えたいのは、イエス様は私たち人間のことを「上から目線」で高みの見物をしているだけではないということです。イエス様自身が人間となって、私たちが経験する苦労を自分のこととして経験してくださいました。だからこそ、私たちの苦しみをご自分のこととして受け止めてくださいます。聖書には、イエス様について次のような言葉があります。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

ヘブル人への手紙4章15~16節(新改訳2017)

 もう一つ紹介します。

死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、(補足:天に昇られて)神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなして(注:簡単に言えば「祈って」)いてくださるのです。

ローマ人への手紙8章34節(新改訳2017)

 なので、みんなには困った時や嬉しい時に神様に祈ってほしいと思います。神様にお話するというのはピンと来ないかもしれませんが、苦しい時に必ず神様が助けを与えてくださることを頭の片隅に置いて生きていってほしいと思います。
 そして、もし聖書やキリスト教のことについて気になることがあったら、毎週日曜日の朝に教会でやっている教会学校に来てみてください。

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