2021年から、これからの人生に携えていく本、漫画、映画たち
去年は『2020年から~』とほぼ同じタイトルのnoteを書いた。2021年も同じ体裁で書いてみる。あとで並べたときに読みやすいように。
2021年はCOVID-19に対する社会の認識がある程度均一化され、ワクチンの接種が進んだ。要因ははっきりと断定できないけれど感染が収束に向かい、外に出ることが容易になった。
お陰さまで9月30日をもって緊急事態宣言が解除され、ひさびさにトライアスロンにも出場したり。飲食店にはまだすこし制限がかかっているけれど、経済活動も一定の落ち着きを取り戻したと実感した。
さて、前回はせいぜい50回繰り返せば終わってしまう人生と書いたが、一つ歳をとったので1/49だ。
49という数字には思い入れがある。ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』が好きだからだ。(原題“The Crying of Lot 49”)
『競売ナンバー49の叫び』は難解かつ長大なという修辞がつきがちなピンチョンにあって、比較的薄い本ではある。短くはあるが、簡単だというわけではない。
49とは直接的にはロット49のことであり、昔の恋人の遺言執行人になった女主人公エディパが、きな臭いパラノイアにまとわりつかれながら降ってわいてくる謎を追いかけるうち、その重要な手がかりが競売に出されたその競売ナンバーを指す。
エディパ自身も様々な隠されたイメージを背負っている。たとえば“エディプス・コンプレックス”の女版でもあり、塔から出られないラプンツェルの役も担っている。
下の絵は、エディパが対面し、不自由な自分の身を重ねて涙するもの。
レメディオス・バロ自身が女性画家として20世紀を生き抜いた、フェミニズムの文脈で語られることも多い存在。エディパの中には、そんな現実に生きた人物も含まれている。
このように、ピンチョンの書く文章にはキーワードやそれにまつわるイメージにあふれている。
ピンチョンに出会い読み漁っていたのは残りの人生が1/60だったころ。エントロピーやマクスウェルの悪魔、量子力学にロケットなど理系の知識が出てくるたびに、関連する書籍を読み漁った。『重力の虹』を読むために、その10倍の本は辿った。
そうやって、何かをきっかけに特定のジャンルにのめりこむタイミングが波のように来ては去っていくのが僕の人生。
今年、その波が来た。円城塔という名前の大きな波が。
今年のコンテンツを以下に列挙する。連載中の漫画は、単行本を購入しているうち、今年読み始めたものか完結したものだけ記載している。
☆がついているものは、特に思い入れのあるもの。
①円城塔の『Boy's Surface』にやられる
円城塔は昨年『Self-Reference engine』と『文字渦』を読んで一旦止まっていたのだけれど、ゴジラS.Pというアニメの脚本をしていたのをきっかけに残りの作品も読み始めた。そこで『Boy's Surface』にやられた。
物理→数学及びその学際の研究者であった作者自身が、研究していたことをほとんどそのまま書いたというだけある。数学的な概念がたくさん使用されて、漠然としかわからないことがたくさん出てきた。
ピンチョンを出発点に物理の本を読み漁ったように、これをきっかけに数学の書籍を当たるようになった。
『Boy's Surface』自体は6月に読み終わり感想文をnoteに書き付けているのだが、3万字に達しようとするところまで膨らんでまだ終わっていない。2022年の春には投稿できる状態としたい。
②数学の世界へ
高校までは理系で数学は好きだった。友人と別解づくりをしたり、楽しかった。ただ、化学や生物など当時は暗記物と考えてしまっていた科目がどうにもなじめなかったこともあり、大学で文転した。なので線形代数学、解析学、統計、論理学、物理基礎などを教養科目で履修してそこまでになっていた。
そんな自分がリーマン予想と聞いてピンと来るはずもない。
まずは『マスペディア1000』を通読するうちに楽しくなって、『Boy's Surface』そっちのけで数学の本をいくつか読んだ。一般書ではミレニアム予想や暗号などを中心に。
基礎部分は、大学数学科の学士レベルの基礎知識をつけるために穴埋めを。マスペディアを使って穴の検討をつけ、『数学セミナー』を手引きに以下の本で取り組んでいる。
計算理論→『計算理論の基礎』
圏論→“Category Theory”
トポロジー→『多様体の基礎』
集合→『集合・位相入門』(岩波数学入門シリーズ)
代数系→『代数系入門』(岩波数学入門シリーズ)
グラフ理論→“Introduction to Graph Theory”
2022年の夏には一通り終わっているといいなと祈りつつ、ゆっくりと楽しんでいる。
おそらくこの数学も、大学院以降に進んだ層からすれば基礎なのではあろうけれど、高校までの数学に比べると楽しさが全くちがう。
退屈だった高校数学の授業も、いま独学できることにつながっているので良かった。どちらかというと国語と英語、大学で触れた論理学の方が役に立っている実感があるけれど。
③その他の分野
マスペディアを読んだついでにサイエンスペディアも読み、自分が明るくないジャンルに縦串を刺していった。
『合成生物学』『免疫・感染生物学』『分節幻想』『32ビットコンピュータをやさしく語る はじめて読む486』なんかがそれ。科学雑誌やネットの記事を元にして曖昧に捉えていたことに少しずつ筋が通ってきている。
『合成生物学』は帯に生物の起源なんて言葉が並び大げさだとは思っていたけれど、読み通して納得した。生物学の懐の深さを知れたというと大げさだが、どのジャンルも深入りしていけばこちらの想定よりもずっと深いものなのだろうと改めて思う。
やっぱり、おおざっぱな俯瞰の知識と地道な基礎の能力が組み合わさって、現実に接続されたと感じられる瞬間が好きだ。
コンピュータに関しては、今やスマホを片時も手放せないほど使っているのに、よく知らないことがいつも気になっていた。大枠では調べていたけれど、結局基礎的な部分がなかったので、本当の意味でどのような仕組みになっているか理解できているとは言い難い。
現代生物学系の入門や、コンピュータ系の基礎知識については既にジャンルをカバーする分を積読してあるので、2022年を通じてある程度総括的にも理解が及ぶようにしていきたい。
人文は、友人が言語学まわりに興味が出てきたと言っていたので入門書を一緒に探した。ソシュールの入門書でもいいかと思ったけれど、あまり絞っても良くないし。個人的にソシュールが言語学を代表するとも思っていないので、もう少し広い意味でとらえて。書店に通った結果『語源から哲学がわかる辞典』『言葉とは何か』あたりが楽しく、かつ入り口としてもよさそうだった。
あとは人間の心系。『進化の意外な順序』は人間の体=神経系からのアプローチで、『人工知能』はデジタルなアプローチ。はさみうちできた気分。“What is it like to be a bat?”も読んだけれど、前提とされている意識という言葉自体が漠然としていて、独り歩きしている印象を受けた。
④漫画
漫画は短編を読むことが多かったので、タイトルの羅列が長くなっている。特に宮崎夏治系さんにドはまりし、画集を含む既刊をすべて読み漁った。
絵自体の説得力、投げやりともとれる世界観、異常な緩急の展開。すべてがカチっとはまる瞬間が好きだ。
昨年の『A子さんの恋人』や『チェンソーマン』に匹敵する個人的大ヒット。
前から追っているものだと、相変わらず『推しの子』の展開のうまさに舌を巻いている。同著者の『かぐや様は告らせたい』も読み、やはり展開の上手さに圧倒された。
相変わらず藤本タツキ氏が素晴らしく、友人たちと語り合ったのが楽しかった。
⑤映画
タランティーノ監督は『キル・ビル』の印象が強く、タランティーノを好きと公言する映画通のいけ好かない雰囲気を感じ取ってなんとなく避けていた。
が、タツキ氏も影響を受けていると明言しているのは従前からインタビューで読んでいた。Netflixも契約してテレビも買ったことだしと重い腰を上げて見始めた。
結果、大好きだった。なぜ今まで観ていなかったのか。特に『レザボア・ドッグス』がツボだった。
いままであまり映画というもの自体を見ておらず、その理由はあまりに現実離れした、にもかかわらずこれが現実ですとポーズをとっている作品が多いと感じてしまっていたからだ。
『レザボア・ドックス』ではとりとめのない会話や脈絡のない展開が、恐らく監督がカッコいいと思ったからというだけでぶち込まれていて、それこそが現実に現実的に対処する方法だろう。
なんて、友人たちにまくし立てても全然ピンと来てくれないのは少し寂しいところ。
⑥アーサー・ランサム再読
アーサー・ランサムは帆走をテーマにした児童書で、第一回のカーネギー賞を受賞している。児童文学ながらやけに現実的で、特に帆走シーンやキャンプのシーンなどは専門用語を多用した本格的な描写がある。
いまでいうとハリー・ポッターのような立ち位置だったのかもしれない。魔法はないけれど。
大人との最低限のルールはしっかり守りながらも、少し危険もはらむ冒険を兄弟姉妹・友達たちで楽しむ姿は、当時の自分の理想だった。そして、いまも。
そんなアーサー・ランサムの日本語訳を一手に担っていた神宮輝夫氏が今年亡くなったので、再読しようと思い立った。
原文はむかし全集12巻のうち1巻目の“Swallows and Amazons”だけ読んで止まっていたので、そこから好きな巻を読み進めていった。
昔に比べて細かい背景の描写や、書いたアーサー・ランサムの意図に気が付くことが多かった。これは英語と日本語の差なのか、大人となった自分との経験の差なのか。
よく考えると木や鳥の名前もなんとなくわかっているだけで、実際に自分の人生でかかわったことのないものは漠然と流していたのだな。
それは普段の生活で常に起こっていること。
2022年は何が起こるだろうか。それは分からないけれど、海外に行きたいしCOVID-19はおさまってほしい。それでも、何かは起こるだろう。
新しい変化をきっかけに、自分の思考や経験を整理して現実に接続する。そんな楽しみ方を積み重ねて接続点が増えていき、今が一番楽しいとまた年末に思えればいいな。そんなことを毎年考えている。
↓去年のnote。来年もまた書きたい。
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