移住したいと最初に思った、脳裏に焼き付いてずっと忘れられない風景
初めましての方も、そうでない方も。
こんにちは!村本彩です。
山梨県北杜市に移住して、そろそろ半年が経とうとしています。
「なんで移住したの?」
そう聞かれると、理由はたくさんある。
ずっと記事の更新が止まっていたのでその理由が東京からの渋滞みたいになっていたけど(笑)もちろん、それは1つに過ぎなくて。
今日は、移住という選択肢が私の人生の選択肢に挙がってきた最初のきっかけを記録したいと思います。
私には、脳裏に焼きついて忘れられない風景があるー。
それは2019年4月のこと。
新卒から13年働いたサントリーを退職し、個人事業主として必死に奮闘して1年経った頃だった。
そろそろHPを作ろう!そのHPには私の脳内にあるイメージが世界観として伝わるように動画を作って置いてみたい。
そんな想いから、今でも仕事の良きパートナーであるジョンくんと、アシスタントの小池有くんと共に1泊2日で福岡県糸島市に撮影に行った。
私は福岡県出身だけど実家は北九州なので、実は糸島に特別馴染みがあるわけではない。
ただ、仕事を通して知り合った本橋へいすけさんの糸島ライフの発信をSNSで見るたびに無性に心惹かれるものがあり、撮影するならここ!と行ったこともないのに直感で決めたのだった。
1日目の終わり、夕暮れ時に海辺で撮影していた時のこと。
お父さんと、小学生・幼稚園くらいの女の子2人が自転車に乗って海辺に来た。
テトラポットで仲良さそうにしばらく遊んでいた3人。
30分くらい経っただろうか。3人がふと静かになり、じっと立ち止まって遠くを眺めていた。
その先にあったのは、地平線に沈む美しい夕日。
特に言葉を交わすこともなく、並んでただじっと夕日を眺める3人。
私も撮影してもらいながら、同じように静かにその夕日をずっと眺めていた。
この時間には言葉はいらない。そんな時間だった。
その時間10分くらいだろうか。
広い海と、沈む夕日。幼い子供でもその美しさにハッとさせられ、言葉を発することも忘れて自然に見入ってしまう。そんな時間だった。
太陽が地平線に沈んだあと、その親子は特別「きれいだったねー!」という言葉を交わすこともなく、でも静かに心が満ち足りた様子でまた自転車に戻り家路へ。
あぁ、この親子にとって、これは日常の風景なんだろうな。だから美しいと思っても、それを取り立てて評することもない。
それが私はとてもとても、素敵だと思った。
と同時に、「私が人生の最期に思い出す風景も、こういう時間であってほしい」と強烈に思った。
会社員として働いていた時は、ブランドマネージャーという仕事柄、やりがいの大きさと比例するように仕事の量はとても多く、産休に入るまでは22時まで会社で残業することも多かった。
出産して復職してからは残業こそできないもののフルタイム勤務で保育園にギリギリにお迎えに行き、仕事と家事と育児に奮闘する日々。
会社を退職してからの1年も、早く軌道に乗せたいと、不安と焦りの中でもがきながら一生懸命頑張っていた。
社会人になってからの時間を振り返ると、充実しているはずなのに、親子を見て感じた「私が人生の最期に思い出す風景も、こういう時間であってほしい」と思うような風景がなかなか思い浮かばない。
子供と過ごす時間も、頭の中では別のことを考えている時も多かった。
あぁ、私が本当に心の底から欲しているのは、仕事での評価でも名誉でもなく、家族とのこういう時間なんだなと腹落ちした。
何かを得て満たされるのではなく、ただそこにあるものを、美しい・愛おしいと感じれる時間。
仕事は仕事で楽しいし、色んなことに挑戦したいし成長したい。
この気持ちは変わらないけど、でもこの日見た時に羨ましいなと思ったような時間を、もっと増やしていきたいなぁ。
これが、私が移住したいと最初に思った原点。
ただ、決してそこからすぐに変われたわけではない。
「いつか」と思っている間は、ずっと「いつか」で現実にはならなかった。
人生で本当に大切にしたいことに気づきながらも、目の前の「やるべきこと」を優先してしまっていたから。そして、これまでの成功体験や価値観・世間の常識を、なかなか手放せずにいたから。
この糸島での体験から約3年の時を経て、私たち家族は山梨県北杜市に移住した。
なぜこのタイミングだったのか、なぜ糸島じゃなくて北杜になったのか。
それはまた別のタイミングに^^
移住して約半年。今は「私が人生の最期に思い出す風景も、こういう時間であってほしい」と思うシーンが、日常の中で少しずつ増えていってることが幸せだ。
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