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電気回路のエネルギーは周辺の空間を伝わる??―奥が深い古典電磁気学―

はじめに

話は大学時代の1998年1月12日に遡る。在籍していた物理学科の電磁気学の授業で、教官(坪野公夫教授(当時))が「電気回路のエネルギーは導線を伝わるわけではなく、周囲の空間を伝わる」とか言って煙に巻いたことがあった(下図は当時のノートの抜粋)。

当時は、まさかと思って深く考えなかったが、ふと思い出して2021年から改めて考えるようになり、なかなか奥が深い問題であることを知ることとなった。実際、ネットで検索すると、電気回路のエネルギーは、導線ではなく、実は周辺の空間を伝わっているという話が日本語でも英語でもたくさんでてくるし、「ファインマン物理学」をはじめとする著名な電磁気学の教科書にも明確に書いてあるものがある。しかし、空間をエネルギーが伝わるとはどういうことか?静的な電磁場しか形成されない直流の簡単な回路でも、電池のエネルギーが周辺の空間を伝わって豆電球を光らせているとは、直観的に大変納得しがたい物理現象である。自分はこの解釈に非常に懐疑的だったが、電磁気学を復習してこの問題を自分なりに考え直した結果、直流回路の場合でも確かに周辺の空間を電磁場のエネルギーが流れるのは認めざるを得なくなった。ただし、よく見る「電磁場のエネルギーが吸収されてジュール熱に転換される」という表現には依然として違和感がある。電磁場のエネルギーは確かに空間を流れるが、その流れは導線中の電荷の流れに付随するものであり、自分の理解では、あくまでエネルギーを伝える能動的な主体は導線中を流れる電荷である。まだ大胆に間違っているかもしれないが、せっかく考えたのでここにまとめておく。

ポインティングの定理(電磁場のエネルギー保存則)

この問題は、ポインティングベクトル$${\boldsymbol{S} = \boldsymbol{E} \times \boldsymbol{H} }$$ の物理的な意味の解釈にしかたによって生じている。ポインティングベクトルを導入すると、電磁場のエネルギー密度

$${\displaystyle u = \frac{1}{2} \varepsilon_0 \boldsymbol{E} ^2+\frac{1}{2\mu_0}\boldsymbol{H}^2 }$$ ・・・・(式1)

に対して、

$${\displaystyle -\frac{\partial u}{\partial t} =\nabla\cdot\boldsymbol{S}+\boldsymbol{j}\cdot\boldsymbol{E} }$$ ・・・・(式2)

が成り立つ(ポインティングの定理)。式の解釈は、両辺をある閉曲面内で体積積分すれば分かるが、

左辺=電磁場のエネルギーの減少分
右辺=(Sが外に出た分)+(ジュール熱)

となっており、ある空間内で減少する電磁場のエネルギーは、その空間から外に出るエネルギーと、その空間内の電流によって生じるジュール熱に等しいという、エネルギーの保存則に相当する。この式を拠り所にして、$${\boldsymbol{S} = \boldsymbol{E} \times \boldsymbol{H} }$$がエネルギーの流れを表すベクトルと解釈され、さらに、「本当に」エネルギーが $${S}$$に沿って空間を流れていると解釈されるようである。

静的な電磁場でもエネルギーの流れはあるのか?教科書によって異なる記述

そこで、すぐに出てくる疑問が、静的な電磁場でもエネルギーの流れはあるのか?である。よく教科書に出てくる例が、静磁場と静電場が直交するように組み合わせた系である(下図)。

図1

教科書によっては、こういう場合はエネルギーの流れを表すわけではない(ただし、任意の閉曲面上で S を積分してもゼロになるので矛盾はない)ので注意が必要、との注釈がある(例えば平川浩正「電磁気学」)。しかし、ポインティングの定理が電磁気学の基礎方程式であるマクスウェル方程式から導出される以上、考える系によって、ポインティングベクトルが電磁場のエネルギーの流れを表したり、表さなかったりするのは変な話である。本来、いずれかに解釈を統一するか、あるいは、表す/表さないの区別の物理的な根拠が明確に与えられるべきであろう。ポインティングベクトルの意味に関しては、電磁気学の教科書によってもかなり意見が分かれている。ポインティングベクトルの閉曲面上の積分値がその曲面からのエネルギーの出入りを表すことについては、いずれの教科書も当然ながら異論を唱えてはいないが、ポインティングベクトルのベクトル量としての意味については、記述に温度差がある。この問題に関してスルーしている教科書の方が多いのだが、ある程度突っ込んで説明している教科書の論旨を以下に整理してみた(原著の出版年順)。

高橋秀俊, 1959. 電磁気学
p.319~322にポインティングベクトルとエネルギー保存則の説明あり。この本では、電池に抵抗導線をつないだ単純な直流回路の系に形成されるポインティングベクトルを図示し、「エネルギーの流れは、電池のところから出発して、空間に広がって導線の各部分に至り、そこで導線に吸収されて、けっきょくJoule熱となって散逸するものと考えることができる」と記述している。空間をエネルギーが流れるのみならず、それが導線に吸収されるところまで明確に主張している。さらに、空間に金属板のような遮蔽物がある場合でも、ポインティングベクトルはそれを避けて通るような向きになるので、影響はない、と説明している。図1のような静的な電場と磁場を組み合わせた系の場合でも、循環するエネルギーの流れがあるとしても観測できないので、流れの存在を否定することもできない、と論じている。

ファインマン・レイトン・サンズ, 2002. 戸田盛和 訳 ファインマン物理学IV 電磁波と物性(増補版)(原著1964年)
p.81~90にポインティングベクトルとエネルギー保存則の説明あり。回路の系でも、電磁場は導線中の電子ではなく、実際は空間を伝わることをいくつかの具体的な系で詳説している。電気が流れている抵抗線においても、ポインティングベクトルは抵抗線の中心軸を向くように向いており、「その場から入ってくるエネルギーによって電子は熱を作り出すエネルギーを得ている」と説明している。図1のような静的な電場と磁場を組み合わせた系の場合でも、循環するエネルギーの流れはあると主張している。一方、このような直観に反する帰結に関して、「エネルギーがどのような道を通るかをくわしく考えることは、エネルギーの保存則を用いるときに、特に役に立つとは思えない」と、ややぶっきらぼうな物言いで締めくくっている。

平川浩正, 1968. 電磁気学
p.156~158にポインティングベクトルの説明あり。同軸ケーブルの例で、ポインティングベクトルの積分値が消費電力に等しくなることを説明しているが、エネルギーの流れの実体について深い言及はない。一方、静電場と静磁場の直交する場の例(上記の図1)を出して、このような場合に電磁エネルギーの流れがあると考えるのは不自然と言及している。

砂川重信, 1999. 理論電磁気学 第3版(初版1973年)
自分の学生時代当時、日本語の原著で珍しく内容も高度で、定評があった教科書である。p52~54にポインティングベクトルとエネルギー保存則の説明あり。「ここで注意すべきことは、単にSなるベクトルが形成されるからといって、エネルギーの流れがあるわけではないということである」との記述があり、その後に、平川の教科書同様の静電場と静磁場を重ねた系の例を出し、Sの閉曲面での積分がゼロになることを説明している。立ち入った議論はないが、ニュアンス的には、静的な場に限らず、ポインティングベクトルに沿ったエネルギーの流れ自体を否定しているように見える。

飯田修一, 1975. 新電磁気学(下)
自分の学生時代には著者の飯田先生はすでに退官されていて、一度お目にかかったことがあるだけだが、いろいろエキセントリックな先生だったようである。p.478~p.481にポインティングベクトルとエネルギ―保存則の説明あり。ポインティングベクトルのベクトル量としての物理的意味づけについて、かなり強調して注意書きをしている。曰く、「ポインティングベクトルが、輻射エネルギーの入射の姿を示すと考えるのは誤りであるということである。式(8)(※注 ポインティングベクトルの定義式S = c E×H) が現実に電磁エネルギーの流れを示すのは、ただ1つの例外、すなわち電磁波が真空中にあり、完全に波束として他の電磁波と孤立する場合(中略)、その電磁エネルギーの流れの全体は式(8)の体積積分によって与えられることが相対論的にも厳密に証明せられるが、その他の場合、特に物質中においてなど、エネルギー流の次元をもつベクトルであるという意味以上のことを与えてはならない。これは確立されている事実であるにもかかわらず、古来多くの教科書や研究が誤ってきた歴史的誤謬問題であるから、注意せねばならぬ」。日本語の文としても変で読みにくいが、飯田先生なりの深い考察に基づいてこう結論しているようである。著者の考え方を理解するにはこの本の後半も通読する必要があり、ちょっと手に余った。

太田浩一, 2000. 電磁気学II
p.312~315にポインティングベクトルとエネルギー保存則の説明あり。さらに、p.403~408に、真空における同軸ケーブル様の導体中を伝わる電磁場について詳説している。「電流と電圧だけでなく、電磁場のエネルギーも円筒間の空間を光速で伝搬する」との記述がある(その方向はポインティングベクトルに一致)。他の本と違って特筆すべきは、スイッチを入れた瞬間の電磁場の伝わり方と導体中の電子の動きまで解説していることである。
※余談だが、本書の巻末には古今東西の様々な電磁気学の教科書が紹介されているが、上記の名高い砂川の「理論電磁気学」については一切言及がなく、あからさまに無視している。何の因縁があるのか知らんが、砂川本が気に入らない理由があるなら、それも紹介すべきだろう。

松田卓也, 2014. 間違いだらけの物理学
電磁気学の教科書ではなく一般向け?の本で、Amazonのレビューで酷評されているが、この問題について検索すると松田先生の記事がよく出てくるので、挙げておく。第7章のタイトルずばり「『電流のエネルギーは電線の中を流れる』は間違い!」で、単純な直流の回路でも、図2のような回路周辺に形成されるポインティングベクトルの議論から、電池のエネルギーは周辺の空間を伝わって豆電球を光らせると強力に主張している。曰く、「豆電球の場合、電線の外を流れる電流のエネルギーは電球に吸い込まれて、中のフィラメントを熱くします。豆電球のガラスなどを突き抜けて、入っていくということです」。主張するところは、上記の高橋やファインマンと同じであろう。これの実験的検証として、「『磁場すくい』コイルで音楽を拾う実験」を紹介している。音楽を流してるiPodと外部スピーカーをつなぐケーブルの近傍に、導線を巻き付けたコイルを近づけると、コイルの導線につながった別のスピーカーから同じ音楽が流れるというものだが、自分の考えでは、この実験は本質を外していて説明になっていない。この実験は、電流が時間的に変動する場合に、それに追従するように導線周囲の電磁場が変化するのを示しているだけであり、空間の電磁場のエネルギーがコイルの電流に変換されるのは電磁誘導によるものである(ここまでは自分も異論はない)。しかし、上記の主張のように、静的な直流回路でも周辺の電磁場のエネルギーが本当に「電球に吸い込まれる」のであれば、そこにはまったく別の物理現象が関与するはずで(少なくとも電磁誘導ではない)、それに沿った実験による検証が必要であろう。

このように、ベクトル量としてのポインティングベクトルの意味づけに関しては、電磁気学の教科書によって記述内容に相当な違いがあるのである。このような違いがあるというのは、裏を返せば、いずれで解釈しようが観測に掛かる量に影響を与える話ではないので、これについて考えること自体が本質的ではないのかもしれない。が、、、ここでは敢えて深入りしてみる。

電磁場のエネルギーが空間を伝わるとはどういうことか?―単純な解釈の疑問点―

直流回路のポインティングベクトル

さて、本題に入る。電池と豆電球から成る単純な直流回路の周辺に形成される電磁場とポインティングベクトルを考えてみる。このネタでよく見るのが、図2に示したようなポインティングベクトル場である。

図2

電流が流れている定常状態において、電池の起電力によって回路の上半分と下半分で電荷の偏りが生じ、図に示したように、上の導線から下の導線に向かう電場が形成される。また、導線に沿って、右ねじの法則にしたがって磁場も形成される。図示していないが、電池においては、起電力による電場が電流と逆向きに生じており、豆電球においては、逆に、起電力と同じ大きさの電場が電流と同じ向きに生じる。導線の抵抗を無視すると、導線中の電場はほぼゼロである。これらの電場・磁場の向きを考慮すると、電池から豆電球に向かうようにポインティングの場が形成される。

電流が流れている定常状態において、電池の起電力によって回路の上半分と下半分で電荷の偏りが生じ、図に示したように、上の導線から下の導線に向かう電場が形成される。また、導線に沿って、右ねじの法則にしたがって磁場も形成される。図示していないが、電池においては、起電力による電場が電流と逆向きに生じており、豆電球においては、逆に、起電力と同じ大きさの電場が電流と同じ向きに生じる。導線の抵抗を無視すると、導線中の電場はほぼゼロである。これらの電場・磁場の向きを考慮すると、


この系にポインティングの定理

$${\displaystyle -\frac{\partial u}{\partial t} =\nabla\cdot\boldsymbol{S}+\boldsymbol{j}\cdot\boldsymbol{E} }$$ ・・・・(式2再掲)

を適用すると、定常状態のため、式2の左辺はゼロとなり、

  • 電池においては、電流と起電力による電場が逆向きのため、式2右辺第2項の符号は負。一方、ポインティングベクトルは電池の外側を向くため、電池を囲む閉曲面で積分すれば、右辺第1項の符号は正となる。内部で発生する電力 IV が、閉曲面から外に出るポインティングベクトルの積分量に等しい。

  • 豆電球においては、電流と抵抗線中の電場が同じ向きのため、式2右辺第2項の符号は正。一方、ポインティングベクトルは外か抵抗線に向かうように向くため、豆電球を囲む閉曲面で積分すれば、右辺第1項の符号は負となる。内部で消費する電力 IV が、外から閉曲面内に入るポインティングベクトルの積分量に等しい。

  • 導線のみ囲む閉曲面を考えると、導線中では電場はほとんどゼロのため、式2右辺第2項はほぼゼロ。また、閉曲面に入るポインティングベクトルの積分量と外に出る積分量がちょうと釣り合うため、右辺第1項もゼロとなり、矛盾はない。

  • 導線を含まない回路周辺の任意の場所の閉曲面を考えると、式2右辺第2項は当然ゼロ、第1項も、積分量としてはゼロになるので、同様に矛盾はない。

となる。すなわち、回路の系のポインティングベクトルを考えると、量的にも方向的にも、それがエネルギーの流れを表していると解釈するのが一見合理的である。

この解釈に対する疑問

しかし、もし、「本当に」エネルギーが電池から周辺の空間を伝わって豆電球に流れるとすると、ちょっと考えるだけでも、以下のような疑問が湧く。

(疑問1)ポインティングベクトルを辿ると、電池から豆電球に向かって曲線を描くが、本当にそのような曲線に器用に沿ってエネルギーは流れるのか?「曲がる」運動を決める基礎方程式はあるのか?
(疑問2)電磁波として伝播しないと、エネルギーは伝えられないのでは?その場合、曲がって伝播するのは不可能なはず。また、電磁波の波長はどういう物理で決まるのか?
(疑問3)周辺の空間に電磁場を遮蔽する物体があっても、必ずエネルギーは流れるのか?上記高橋秀俊の教科書はそう主張するが、遮蔽物の配置によらず、エネルギーが伝わる時間も同じなのか?周辺の空間の状況によらず、導線がつながっている限り必ず同じように(スイッチを入れてから点灯するまでも時間も変わらず)豆電球が点灯するなら、もはや、導線をエネルギーが流れると考える方が自然ではないのか?
(疑問4)豆電球に周辺の空間からエネルギーが流れ込むことで豆電球が点灯するならば、それは一体どのような物理現象なのか?電気回路ではなくとも、上記のような適当な静電場と静磁場を組み合わせてポインティングベクトルが存在する系に豆電球を置けば、うまくやればそれを点灯させることはできるのか?

ここでつくづく不思議に思うのが、エネルギーが空間を伝わる派の教科書を見ても、あれほど奇妙な主張をしているにも関わらず、そこで思考停止しており、さらに踏み込んだ考察がないことである(特に疑問4!)。

ファインマンの教科書の投げやりな物言いも、どうせ観測には掛からない話なので深く考えても意味がないというニュアンスを感じるが、だとしたらなおさら、直観に反し、かつ、電磁場のエネルギーが導線に吸い込まれてジュール熱に転換するという、説明に未知の物理を要するような現象まで仮定する必要がある解釈を、わざわざ採用する必要はないだろう。もっと素直で分かりやすい解釈はないものか?自分が考えたのは以下である。

回路における電磁場のエネルギーの伝搬 再考

話を分かりやすくするために、同軸ケーブルを流れる電流を考える。同軸ケーブルは、電流が流れているときにケーブルの外側の電磁場が常にゼロになるため、電磁場の厳密な計算が容易であり、ポインティングベクトルがエネルギーの流れを表す例として教科書によく登場する。よく知られているように、下図のような直流回路の場合、電場は内芯から外側を向き、磁場は電流の向きの右ねじ方向に形成される。そのとき、ポインティングベクトルは電流と同じ向きになり、その断面における積分量は消費電力IVに等しくなる。ケーブルの内部の空間を、電磁場のエネルギーが電源から電球に向かって伝わると解釈される。

図4

直流の定常電流ではではエネルギーの「流れ」を実感しにくいので、スイッチのON/OFFで短いパルス状の電流を流す場合を考える。パルス幅τの電流が流れているときの電磁場と、導体に分布する電荷の様子を表したのが下図である。

図5

内側と外側の導体が対になって正負に帯電し、その電荷に挟まれた空間に局在した電磁場が形成され、その領域に式1による電磁場のエネルギーが蓄積される。これら電荷と電磁場が一体となって、電池から抵抗に向かって光速で動いていくわけである。このように考えると、確かに、導体間の空間を電磁場のエネルギーが伝わるというのは認めざるを得ない。
※図5の様子は、瞬間的に電圧を掛けた直後の挙動を表しており、この時点では、同軸ケーブルの末端の条件によらず(末端がつながっていなくても)同じように伝わっていく。

さて、この電荷・電磁場の塊が回路末端の抵抗に到達したときにどうなるか?同軸ケーブル末端の抵抗では何が起きるか?(下図) 話を簡単にするために、抵抗はケーブルの特性インピーダンスと同じ大きさで(インピーダンス整合)、伝わってきたパルス電流は反射することなく抵抗で消滅するものとする。

図6

抵抗の両端に正負の電荷が到達すると、ここでは正負の電荷の間が導線でつながっているわけだから、静電気力で引き合う。このときの電位差は電源と同じVである。抵抗に正負の電荷が流れ込み、電荷が消滅していく。このとき、ポテンシャルエネルギーの差QVが、抵抗におけるジュール熱に転換される(微視的に見れば、導体中の電子の運動エネルギーが熱運動に散逸していく)。電荷の減少に対応して、外側の空間では電磁場が減衰していき、全電荷が消滅すると同時に電磁場も消滅する。

つまり、あくまでも、ジュール熱に直接的に転換されるのは電子の運動エネルギー(元は電荷間のポテンシャルエネルギーの差分)であり、導体間の空間を伝わってきた電磁場のエネルギーが吸収されるわけではない、ということである。一見電磁場のエネルギーが抵抗に吸収されるように見えるが、因果関係は逆である。主役は電荷側の挙動であり、抵抗内部における電子の運動エネルギーの熱化及び電荷の消失によって、結果的に電磁場が減弱していく。このように考える方が自然ではないだろうか?

次に本題だが、静的な電磁場しか形成されない直流の電流の場合はどうなるか?この問題は、上記のパルス電流の場合の考察において、パルスの時間幅を無限に伸ばして考えれば良さそうである(下図)。

図7

電荷と電場が一体となって伝わっていく現象自体は、パルスの時間幅によらず不変のはずである。したがって、この場合何が起きるかと言えば、パルス電流の場合の電荷・電磁場の動きが連続的に途切れなく発生するだけである。導体間の電磁場は途切れずに電源から抵抗に向けて連続的に流れ続ける。

ここでややこしいのは、この定常電流の場合、導体間の空間において、どこの場所においても電磁場の強さは時間的に一定であり、式の上では静的な電磁場が形成されることである。電磁場を時間・空間の関数で表しても、

  • 本当に導体が帯電しているだけで、電磁場が真に静的な系

  • 電荷と電磁場が一体となって一定の速度で動いているが、見かけ上静的に見える系

を式の上で区別することができない。ポインティングベクトルは、後者のような、いわば動的平衡状態にある電磁場において、その電磁場を生み出す元の電荷の動きに追従して、電磁場が結果的に動く方向を表している。ポインティングベクトルが静的な電磁場おいてもエネルギーの流れを表すというのが一見直観に反するように見えるのは、この、見かけ上静的でも動的平衡状態の電磁場もあり得るということを見落としているのが原因であろう(実際自分も見落としていた)。

この解釈が合っているのか自信がなかったが、ごく最近2020年に出版されたグリフィスの「電磁気学II」のp.213の例題中で、まさしくこれに対応する解説を発見した。この同軸ケーブル回路を例としており、曰く、「電磁場は完全に静的だとしても運動量に寄与する!」。この問題では、静的な電磁場でも電池から抵抗に向けてエネルギーは転送されているため、電磁場の運動量はゼロではなく、電池から抵抗に向かう方向を向くとのこと。なので、上記の解釈は合っているらしい。

※上記の解釈において、そもそも、エネルギーを持つ主体を電磁場ではなく電荷にあると考えれば済むではないか(その方が直観的にも分かりやすい)と考えたくなるが、それはそれで不都合が生じる。よく知られた例だが、2つの点電荷が互いに力を及ぼしながら動いている系のような単純な問題でも、周囲に形成される電磁場の実体を認めず単に点電荷のみに着目すると、運動量が保存しなくなってしまう。エネルギー・運動量・角運動量の保存則を成立させるためには、電磁場も実体があって、それらを担う主体であることを認めざるを得ない。

電池と豆電球の回路 再考

次に、同軸ケーブルから離れて、素朴な電池と豆電球の回路の場合を考える(下図)。

図2再掲

同軸ケーブルは、電気信号を伝えるために、行きと帰りの導線を平行に配線することで、導線に電荷が溜まりやすくなるように設計されたものであるが、今度は、電池と豆電球を単純にループ状につなぐという意味で、問題は異なる。が、いずれも本質的には電源と抵抗を直列につないだ回路であることには変わらないため、周辺の空間をエネルギーが伝わるという現象自体も、程度の差はあれ変わらずに起きるであろうことは予想がつく。しかし、同軸ケーブルはケーブルの外側には電磁場が漏れない系になっているが、ループ状に配線した回路では、電磁場は周辺の空間にダダ漏れの状態になる。このような場合、実は、電磁場が導線のごく近傍にしか発生せず、エネルギーは周辺の空間を流れるとは言っても、実質的に導線に沿って流れることになったりしないだろうか?この辺も考えてみることにする。

導線にはどの程度帯電するのか?

同軸ケーブルとループ配線回路の量的な違いを決める主要因は、電流が流れているときに、導線間に形成される電場の大きさ、すなわち、導線がどの程度帯電するか?となりそうである。導線に溜まる電荷を決めるのは、行きと帰りの導線で形成される系の静電容量である。同軸ケーブルとループ配線の静電容量を比べてみることにする。

同軸ケーブルの単位長さ当たりの静電容量は、よく知られているように、

$${\displaystyle C=\frac{2\pi\varepsilon_0}{\log b/a}}$$・・・・(式3)

となる(a, bはそれぞれ、同軸ケーブルの内側・外側の導体の半径)。
では、ループ配線の導線の静電容量の表式はどうなるか??これが意外なことに、電磁気学の教科書や演習書を見ても、この単純な系(当然配線の形状に依存するが)の静電容量に関する記述が見つからない。が、とりあえず、同軸ケーブルと同様の伝送線の一種である平行導線(レッヘル線)の場合が参考になりそうである(下図)。導線断面の半径に比して導線間隔を十分に大きくすれば、ループ回路の静電容量と近い状況になりそうである。

図8

d >> r のとき、レッヘル線の単位長さ当たりの静電容量は、

$${\displaystyle C=\frac{\pi\varepsilon_0}{\log d/r}}$$・・・・(式4)

となる。式3と似た表式である。ここで意外だったのは、静電容量は導線間の距離に対して対数的にしか減少しないということである。これだと、量的にも同軸ケーブルと大して変わらず、本当に上記の図2に示したように電磁場ができることになりそうである。

ちょっと直観に反する結果なので、念のため、ループ導線の静電容量について議論している論文がないか探してみたところ、arXivで以下の論文を発見した。
Basil S. Davis and Lev Kaplan, 2012. Poyting Vector flow in a circular circuit. arXiv: 1207.2173v1.
この論文では、有限な太さのドーナツ型の一様抵抗導体(一部に無限小サイズの電源がある)に電流が流れている系で、導体表面の任意の場所における電荷を丁寧に計算しており、結果的に周囲の空間に形成される電磁場とポインティングベクトルまで求めている(電源から導線各所に向かうポインティングベクトル場も図示あり)。論文の最初の方で、ドーナツ導体の太さが無視できる場合の電荷分布の厳密解が導出されており、それを見ると、導線の静電容量は結局上記の式3と同じになるようである(ただし式3中のdがドーナツの半径になる)。どうやら、ループ回路でも同軸ケーブル同程度(少なくともオーダーで違う話ではない)に帯電するし、図2のようにポインティングベクトルが形成されるのは間違いなさそうである。
※余談だが、古典電磁気学の数学的な枠組みは100年前に完成しているにも関わらず、2012年という最近においてもこのような論文が出るとは、古典電磁気学は奥深いものである。

ループ回路にパルス電流を流すと?

では、図2のループ配線の直流回路における電磁場のエネルギーの流れを、同軸ケーブルの場合と同様に、パルス電流を流して考察してみる。と思ったが、、、これが、ちゃんと考えると非常に難しい問題のようである。同軸ケーブルの場合やレッヘル線のように、往復の2つの導体間の位置関係がどこでも同じで導体間の媒質も一様の場合、ヘヴィサイドの電信方程式の理論を適用してパルスの流れる様子を議論可能なのだが、電源と抵抗を無造作につないだ配線の場合、往復の導線間の距離や方向も場所によって当然異なるため、話が大変複雑になる。一瞬だけスイッチを入れてパルス電流を発生させても、導線の場所によって特性インピーダンスが異なるため、おそらく、抵抗に到達する途中で複雑に反射して戻る電流も発生し、単純な描像ができない。なので、ここは論理が飛躍するが、スイッチを入れて電流の流れが定常状態に落ち着いた状態(おそらく一瞬でそうなるだろうが)を考えることにする。仮に、導線を流れる正味の電流のパルス的要素を見ることができると仮定すると、下図のようになっていると考えられる。

図9

電荷が導線周囲に電磁場をまといながら動くイメージである(図では磁場は省略)。周辺の空間の任意の位置におけるポインティングベクトルの向きは、この導線中の電荷がまとう電磁場の塊がその位置において動く方向となる。定常状態で回路周辺に形成される静的な電磁場は、この導線を動く電荷要素が形成する動的な電磁場の重ね合わせである。これで、直流回路の一見静的な電磁場でも、周辺の空間をエネルギーが伝わることが理解できた。釈然としないものが残るが。。。

釈然としない理由は、同軸ケーブルの場合の説明でも述べたが、電気回路の場合、回路周辺に形成される電磁場は、導線中を動く電荷によって結果的に形成されるものであり、周辺の電磁場が能動的に電池から豆電球にエネルギーを運んでいるようには見えないためである。電池から豆電球に向かうエネルギーの流れが曲がった経路を描けるのも、導線があってこその芸当である。豆電球を光らせるエネルギーは、直接的には導線中の電子の運動エネルギーが熱化したものであり、上述のように周辺の電磁場のエネルギーが文字通り吸い込まれるわけではない。これが、例えば導波管中を伝わる電磁波の場合、電磁波は金属の管の中をその経路の形状に応じて伝搬していくため、中空の空間をエネルギーが伝わるのは分かりやすいのだが。この辺は理屈で納得させるしかないのかもしれない。

上記疑問への回答

何はともあれ、回路周辺の空間をエネルギーが流れることは納得できたことにして、上に挙げた疑問への回答を試みよう。

(疑問1)ポインティングベクトルを辿ると、電池から豆電球に向かって曲線を描くが、本当にそのような曲線に器用に沿ってエネルギーは流れるのか?「曲がる」運動を決める基礎方程式はあるのか?
(回答)エネルギーが流れる経路は、確かに曲がった軌道を描くことが可能である。ポイントは、自立して空間を伝播して行く電磁波としてエネルギーが伝わるわけではなく、導線を流れる電荷に追従して電磁場が流れるということ。流れる軌道は基本的に導線の形状で決まる。

(疑問2)電磁波として伝播しないと、エネルギーは伝えられないのでは?その場合、曲がって伝播するのは不可能なはず。また、電磁波の波長はどういう物理で決まるのか?
(回答)電磁場が空間を伝わる様式として、電磁波(自立的にまっすぐ伝播する)の他に、単に電荷が動くだけというのもある。電荷は自己の周囲に電場を形成するし、等速直線運動をすれば、電流と同様に磁場を形成する。電荷が動けば、周囲にまとう電磁場も追従して動くので、一応、電磁場が空間を伝わることになる。回路の周囲の空間を伝わる電磁場は、この後者の様式である。なので、波長という概念もない。

(疑問3)周辺の空間に電磁場を遮蔽する物体があっても、必ずエネルギーは流れるのか?上記高橋秀俊の教科書はそう主張するが、遮蔽物の配置によらず、エネルギーが伝わる時間も同じなのか?周辺の空間の状況によらず、導線がつながっている限り必ず同じように(スイッチを入れてから点灯するまでも時間も変わらず)豆電球が点灯するなら、もはや、導線をエネルギーが流れると考える方が自然ではないのか?
(回答)電磁場を遮蔽するために、とりあえず導体を置けば、少なくとも電場は中に入り込めないため、ポインティングベクトルもゼロになり、エネルギーの流れを邪魔することができそうである。実際に回路の導線のループ内に、遮蔽物として円柱型の導体を置いた場合にどうなるのかを下図に示した。

図10

遮蔽物の導体表面は静電誘導で帯電し、導線から伸びる電気力線は遮蔽物表面に垂直に入る。ポインティングベクトルは、電場と垂直な方向になるので、図に示したように、器用に遮蔽物を避ける経路ができる。高橋本が主張するのは、こういうことだろう。しかし、これは定常的に電流が流れている場合であって、ごく短いパルス電流を流す場合、遮蔽物がある場合とない場合とではおそらく挙動は異なると思われる。スイッチを入れてから電球が点灯するまでの時間も一般的には同じにはならないだろう。

(疑問4)豆電球に周辺の空間からエネルギーが流れ込むことで豆電球が点灯するならば、それは一体どのような物理現象なのか?電気回路ではなくとも、上記のような適当な静電場と静磁場を組み合わせてポインティングベクトルが存在する系に豆電球を置けば、うまくやればそれを点灯させることはできるのか?
(回答)空間を伝わってきた電磁場のエネルギーは、自立して回路の抵抗に集中して流れ込むのではない。回路の場合、エネルギー伝達の主役はあくまで導線内電荷側の挙動であり、抵抗内部における電子の運動エネルギーの熱化及び電荷の消失によって、結果的に電磁場が減弱していく。因果関係が逆である。なので、適当な静電場と静磁場を組み合わせて豆電球を点灯させるような芸当は無理な話である。

以上、これら4つの疑問については回答できたが、初めの方で挙げた、永久磁石の静磁場と、それとまったく無関係な静電場を組み合わせた系のポインティングベクトルの解釈については、どう考えればよいか?これについては、次の記事を参照されたい。


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