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定常電流は電磁波を放射しない―奥が深い古典電磁気学―

素朴な疑問

大学で電磁気学を学ぶ場合、最初に、時間的に変化のない静的な電磁場について学び、次に、時間変化のある動的な電磁場について学ぶというようにステップを踏むのが普通である。静的な電磁場を生み出すのは、当然ながら時間変化のない電荷や電流の分布である。定常電流は静磁場を生み出す。このとき、電流が流れる導線の形状がどんなに屈曲していようが、周囲の電磁場には時間的な変動が一切生じないことが暗黙の前提となっている。ところが、後半の動的な電磁場を学ぶと、加速度運動をする点電荷は、その周囲に電磁波を放射することを知ることになる。すると、以下のような疑問が浮かぶ。

電流はそもそも多数の荷電粒子の流れであり、導線が曲がっていれば、そこを流れる荷電粒子は一斉に同期して同じように加速度運動をすることになる。そのとき、電磁波を放射するのではないか?

マクロで見て時間変化のない定常電流であっても、ミクロで見れば、個々の荷電粒子の動的な運動が見えてくる。定常電流が形成する「静磁場」も、個々の荷電粒子の運動に起因するはずなのに、放射という動的な変動がどこで消滅するのか?という疑問である。電磁気学を一通り学習した方でも、これに即答するのは意外と難しいのではないだろうか?

加速度運動する点電荷が形成する電磁場

この問題を考えるには、運動する点電荷が形成する電磁場が出発点となる。運動する点電荷$${q}$$があり、その位置を$${\boldsymbol{r}_s}$$,速度を$${\boldsymbol v}$$で表す。この点電荷の電磁場を位置$${\boldsymbol{r}}$$,時刻$${t}$$で観測する状況を考える(図1参照)。この点電荷が形成するスカラー及びベクトルポテンシャルは、よく知られたリエナール・ヴィーヘルト・ポテンシャル

$${\phi(\boldsymbol{r}, t)=\dfrac{1}{4\pi\varepsilon_0}\dfrac{cq}{cr_n-\boldsymbol r_n \cdot \boldsymbol v} }$$・・・(式1)

$${\boldsymbol A(\boldsymbol r, t) =\dfrac{\boldsymbol v}{c^2}\phi(\boldsymbol r, t) }$$・・・(式2)

で与えられる。ここで、$${\boldsymbol r_n}$$は、

$${\boldsymbol r_n = \boldsymbol r - \boldsymbol r_s}$$・・・(式3)

で定義され、$${\boldsymbol r_s}$$,$${\boldsymbol v}$$は、式4で与えられる遅延時間$${t_r}$$における値である。

$${t_r=t - |\boldsymbol r(t) - \boldsymbol r_s(t_r)|/c = t - r_n /c}$$・・・(式4)

図1

位置$${\boldsymbol r(t)}$$における電磁場を求めるには、

$${\boldsymbol E = -\nabla \phi - \dfrac{\partial \boldsymbol A }{\partial t} }$$・・・(式5)

$${\boldsymbol B = \nabla \times \boldsymbol A}$$・・・(式6)

を計算すればよい。言うのは簡単だが、これがよく知られた大変面倒な計算で、結果的に、

$${\bold E(\bold r, t) = \dfrac{q}{4\pi\varepsilon_0}\dfrac{r_n}{(\bold r_n\cdot\bold u)^3}\left\{(c^2-v^2)\bold u+\bold r_n\times(\bold u \times \bold a) \right\} }$$・・・(式7)

$${\boldsymbol B(\boldsymbol r, t) = \dfrac{1}{c}\boldsymbol{\hat r} _n \times \boldsymbol E(\boldsymbol r, t)}$$・・・(式8)

が得られる。ここで、$${\boldsymbol a = \partial \boldsymbol v/\partial t}$$は点電荷の加速度であり、$${\boldsymbol u}$$は$${\boldsymbol u=c\boldsymbol{\hat r}_n - \boldsymbol v}$$($${\boldsymbol{\hat r}_n}$$は$${\boldsymbol r_n}$$方向の単位ベクトル)で定義される。

式7の右辺の2項のうち、点電荷の加速度に依存するのは第2項のみである。また、点電荷と観測点間の距離$${r_n}$$に対する依存性を見ると、第1項は$${1/r_n^2}$$に、第2項は$${1/r_n}$$に比例する形なっている。電磁波の輻射に寄与するためには、無限遠方$${r_n\to\infty}$$において、ポインティングベクトル$${\boldsymbol S=\frac{1}{\mu_0}\boldsymbol E\times\boldsymbol B}$$の距離依存性が$${1/r_n^2\,}$$である必要がある。従って、輻射には第2項の輻射場

$${\boldsymbol E_\text{rad}=\dfrac{q}{4\pi\varepsilon_0}\dfrac{r_n}{(\boldsymbol r_n\cdot\boldsymbol u)^3}\boldsymbol r_n\times(\boldsymbol u \times \boldsymbol a)}$$・・・(式9)

のみが寄与し、輻射のポインティングベクトルは、

$${\boldsymbol S_\text{rad}=\dfrac{1}{\mu_0 c}E_\text{rad}^2\hat{\boldsymbol r_n}}$$・・・(式10)

となる。式9, 10の意味するところは、点電荷が加速度運動をすると、その加速度ベクトルの時間変化と同様に変化する電磁場の変化が無限遠まで光速で伝播するということである。単なる等速運動では、無限遠点の電磁場は全く影響されず、加速度運動をしたときのみ、遠方まで電磁場の歪みが伝播していく。

斎藤吉彦博士の解答

では、これを定常電流の場合に適用するとどうなるか?大阪市立科学館の斎藤吉彦博士が、まさしくこの問題に真正面に取り組んでいる(下記論文参照、2022年10月現在、ネットで検索するとPDFが出てくる)。

斎藤吉彦, 2014. 電荷が加速しても定常電流は電磁波を放射しない. 大阪市立科学館研究報告, (24).

この論文では何と、運動する点電荷が形成する電磁場の式(上記式7, 8)(論文中の表式は異なるが意味は同じ)を出発点として、定常電流の場合、静的な電磁場の式であるクーロンの法則とビオ・サバールの法則

$${\displaystyle \boldsymbol E(\boldsymbol r) = \dfrac{1}{4\pi \varepsilon_0}\int\dfrac{\rho \boldsymbol r_n}{r_n^3} d\boldsymbol l }$$・・・(式11)

$${\displaystyle  \boldsymbol B(\boldsymbol r) = \dfrac{\mu_0 I}{4\pi}\int \dfrac{\hat{\boldsymbol l}\times \boldsymbol r_n}{r_n^3} d\boldsymbol l }$$・・・(式12)

が導出できることを愚直な計算で示している。具体的には、電流を有限個の点電荷$${q}$$の列(位置$${\boldsymbol l}$$における点電荷間の間隔は$${\boldsymbol v(\boldsymbol l)\Delta t}$$)として構成し、各点電荷からの電磁場を式7, 8を用いて計算して和をとり、電流$${I=q/\Delta t}$$が一定の条件下で$${\Delta t \to 0}$$の極限をとる、というステップを踏んでいる。こうすると、電流の形状や点電荷の速度・加速度・密度分布等に依存せずに、$${\Delta t \to 0}$$の極限で式11, 12に帰着することを一般的に証明している。マクスウェル方程式を出発点とすれば、そうならないと絶対に変なのであるが、式7, 8のような複雑な式を出発点として、動的な電磁場の極限として式11, 12が導出できることは全く自明ではないだろう。見事な計算である。

放射が消える直観的理由

さて、上記のような厳密な計算をすると、定常電流は静的な電磁場のみを形成し、確かに電磁波の放射をしないことが結論されるのだが、、、簡単には納得できないものがある。定常電流であっても、個々の点電荷が加速度運動をしている部分では式9に従って電磁波が放射されているはずなのに、多くの点電荷の放射の和をとると、どうして放射が消えるのでしょう?一般的に必ず放射がなくなるという結果である以上、もっと直観的に理解できないものだろうか?

単純に思いつくのは、個々の点電荷が放射する電磁波の位相がバラバラで、多くの点電荷の放射を足し合わせると相殺してゼロになる、というものだが、そう単純ではない。例えば、下図のように、無限に続く直線電流の1点Aで、デルタ関数的に点電荷が加速する定常電流を考えると、任意の観測点に向かって、デルタ関数的な形状の電磁場のパルスが光速で伝播することになるが、多くの点電荷が連続的に流れてきても、観測点においてはパルスが時間方向に連続につながるだけで、相殺してゼロになることはない。

図2 点電荷が左から速度vで流れてきて、点Aで瞬間的に加速度aで加速する。点Aから式9に従って電磁波が放射される。

では、どのようにして輻射場の総和がゼロになるのだろうか?自分が考えて到達した解答は、以下のようなものである。式9, 10を見ると、輻射場の電場$${\boldsymbol E_\text{rad}}$$は電荷に比例するので、輻射のエネルギーの流れを表すポインティングベクトル$${\boldsymbol S}$$は電荷の2乗に比例する。定常電流$${I}$$をN個の点電荷列で構成した場合、電流を一定に保つために、個々の点電荷は$${q/N}$$とする必要がある。すると、個々の点電荷のポインティングベクトルは、$${(q/N)^2}$$に比例する。N個の点電荷の寄与を合計すると、$${(q/N)^2\times N = q^2 / N}$$に比例することになる。従って、$${N\to\infty}$$の極限をとると、輻射のポインティングベクトルはゼロに収束する(証明終わり?)。要は、個々の点電荷は輻射するという状況は変わらないのだが、定常電流を多くの点電荷の集合として構成すると、個々の点電荷の大きさが細分化されるため、その効果によって輻射の大きさがゼロになるのである。何だか狐につままれたような説明になってしまったが、たぶん間違ってないでしょう。

「隠れた運動量」考でも述べたが、この問題も、古典電磁気学を築いた人々がおそらく見落としていたか無視していたが、後から考えて結果的に問題なかったという例の1つであろう。古典電磁気学の何と奥深いことか。



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