白飯
チャイムが鳴り響き、教卓に立つ教師が四時限目の授業の終わりを告げた。
学級委員の号令が教室に響き、にわかにクラス全体が騒がしくなり始める。
昼休みだった。
クラスの生徒の大半が昼食の準備に動き始める。
俺も昼食を摂るために、机の脇に置いた通学カバンを手に取り、努めて気配を押し殺しながら、席を立ち学食や購買に向かい始めたクラスメイトの中に紛れる様にして静かに教室を後にした。
昼休みの喧騒に沸く校内。
その喧騒から離れる様に部室棟の方へ向かう。
途中、校内に設置されている給水機に立ち寄り、持参している空のタンブラーに水を注ぐことも忘れない。
本校舎を離れ、部室棟に入ると一層静けさが増した。
大抵の生徒は教室や学食、中庭などで昼休みを過ごしている。
昼食を摂るためにわざわざ部室棟に訪れる生徒はそう多くはいない。
別にいじめられているわけではないが、友人の居ない人間にとっての教室というものは、そうではない人間が考える以上に居心地の悪いもので。
そういう理由もあって俺は毎回こうしてわざわざ部室棟まで移動している。
人気の少ない一階ロビーを抜けて、階段を上がる。
二階へ出て多くの部室が並ぶ通路に入る。
その通路の奥の空き部室、の一個手前の部室。
俺は特に遠慮することなくそのドアノブを握り、扉を開けた。
「今日は早いな、周」
部室の奥でいつものように私物のPCを操作していたこの部室の主――月瀬水仙が顔を上げてこちらに声を掛けた。
「早い、って授業終わりに速攻で部室に来たんですけど、なんで部長もういるんすか……」
途中給水機に立ち寄ったとは言えほぼ真っ直ぐに部室に来ているので、相当早くにここまで来た。
しかし、部長は既にいつもの部長の席で寛いでいるようだった。
早いにしてもほどがある。
「あぁ、四限が体育だったからサボったからだ」
「えぇ……」
あっさりと自分の悪事を白状した部長に引きはしておくが、いつもの事なので特に気にはしない。
それに部室のカギを管理しているのは部長なので、彼女より先にここに来ても部室の前で待っている羽目になるだけなので文句も特にない。
それ以上、この話題は続くこともなかった。
部長は既にPCの画面に視線を移しており、俺は持っていた通学カバンを長机においてから、先ほど水を注いだタンブラーを持って部室に置かれた電気ケトルに向かう。
確実に他の部室にはないであろう設備だが、そこにある以上は有効に使うことにしている。
電気ケトルにタンブラーの水を移し、ケーブルをコンセントに差し込む。
電気ケトルは音を立てること無く、スイッチの光だけでお湯を沸かし始めたことを伝えてくれた。
それを確認して、今度は戸棚からカップを取り出す。
「部長、何にします?」
「あー……、カフェラテ」
カップ二つ、それと戸棚の中に大量に用意されているスティックタイプのインスタント飲料の中からカフェラテと自分用の緑茶を用意した。
ケトルの方を見る、が流石にまだお湯は沸いていなかった。
「……伊吹先輩来ますかね?」
伊吹先輩もそれなりの頻度で昼休みにこの部室へやってくる。
仲の良い幼馴染みである部長と昼食をともにするためだろう。
しかし伊吹先輩は生徒会長を務める忙しい身なので毎回部室に来れるというわけではない。
なので、こうして部長に確認しているわけだ。
決して下心はない。
「周、お前湊のこと大好きだな。そんなに気になるか」
「ちがっ……!カップの用意があるから訊いたんすよ!」
「そんなバレバレの嘘吐いて恥ずかしがってもキモイだけだぞ」
「ぐうっ……!」
終始口角を上げている部長の言葉のナイフがグサリと刺さった。
完全に俺の反応を見て楽しんでいるだけなのが見て取れるが、それでもダメージを受けるものは受ける。
「ま、湊の奴はあれで度を越して鈍いから気付くことは無いだろうがな」
俺の反応で満足してくれたのかひとしきり笑ってからそう言った。
「ちなみに今日はたぶん来ないぞ。なんせ学校祭も近づいてきてるからな、忙しいらしい」
「……なるほど」
文句を言ってやろうかとも思ったが、返り討ちに会うのは目に見えているので心に浮かんできた多くの言葉を飲み込んでそれだけ返した。
そんなやり取りをしている間にお湯が沸いた。
二つのカップの中にインスタントの粉をそれぞれ入れてお湯を注ぐ。
カフェラテと緑茶の良い香りが立ち上り、部室を包んでいく。
カフェラテの方を部長に渡し、俺も席に着く。
カバンを置いた長机の部室の扉に近い方の席。
そこが俺にとっての定位置だった。
席に着いて、先ほど淹れた緑茶に口をつける。
インスタントではあれど、(部長がどうやって仕入れているのか謎だが)きちんとした銘柄の商品なので味がいい。
窓の外は夏の過ぎ去った後の穏やかな晴れ間が広がっている。
このままぼうっと時間を過ごしてしまいそうになるが、思い直してカバンから弁当を取り出す。
二段になっている弁当の上がおかずで、下には白飯が詰まっている。
毎朝、母親が作ってくれているものでおかずには昨日の唐揚げの残りが詰められていた。
箸を取り出し、控えめに両手を合わせてから唐揚げと白米を交互に口に運んだ。
いつも通りの味が口に広がる。
それらを飲み込んでから、もう一度緑茶に口をつけた。
熱い緑茶が喉を通っていく。
一息ついて、ふと部長の見れば部長も昼食を摂っているのが見えた。
「おにぎりなんて珍しいですね」
「ん?」
普段は菓子パンの類を食べている部長にしては珍しい。
綺麗に形成された三角形のおにぎりではなく、少しだけいびつなその形からおそらく手作りなのが伺えた。
「部長、一人暮らしですよね?自作ですか?」
「私が作ると思うか?」
部長がせっせとおにぎりを握るところを想像しようとしてみたが、すぐに諦めた。
あまりにも似合わないからだ。
「思わないです。じゃあ、どっかの店で買ってきたんですか?」
おにぎり専門店なんていうのも時々目にする。
そういうお店で買ってきたのだろう。
しかし、部長は首を横に振った。
「いや、湊の手作りだ」
「はー、伊吹先輩そういう事も出来るんですね」
生粋のお嬢様である伊吹先輩はどうやら料理も出来るようだった。
おにぎりしか作れない、というのも伊吹先輩では考えにくい。
「栄養を考えろって渡されたんだよ」
どうやらいつも外食や菓子パンで食事を済ませる幼馴染みを心配してのことらしかった。
相変わらず完璧超人っぷりである。
校内で一番の人気者であることも両手放しで頷ける。
そんな人気者の手料理を食べられる数少ない人間である部長は面倒臭そうにおにぎりを食べていた。
……何も言うまい。
「……でも、部長が米食べてると不思議な感じです。和食のイメージがないです」
そもそも食事に興味が無さそうな気がしているので、きちんとした食事を摂っていること自体が不思議なのかもしれない。
「あ?この前も寿司奢ってやっただろうが」
「あー、そういえばそうでしたね」
あの時も寿司を食べる部長という光景に違和感はあった。
「あと私は洋食よりも和食の方が好きだぞ」
「え、そうなんですか。意外っす」
「ウチにある調理道具で私が買ったのは炊飯器ぐらいだ。米食うのに必要だからな」
それは和食洋食云々の前に、やっぱり食事に興味がないだけなのでは?と思ったが口には出さなかった。
「周は出来んのか?」
「何がですか?」
「料理」
「あー……」
料理、と言われて思い浮ぶのは中学生の頃の調理実習の思い出。
普段は俺の存在を完全に無視していた同じグループの女子に「もう触るな」と焦げ付いたフライパンを半ば奪い取られた、というもの。
俺は部長に苦笑いを返すことしかできなかった。
「なんだ、出来んのか」
「まぁ、出来ると言ったら嘘になりますね」
「今時、男でも料理ぐらい出来んとモテないんじゃないか?」
「……やっぱりそうなんですかね?」
「知らん」
部長は興味が無くなったのか視線をPCの方に戻してしまった。
この人に深刻な話をしてもしょうがない。
俺は多少温くなった緑茶を飲んで昼食を再開した。
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