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行き着いたところは、”晴耕雨読”(2)

本日は、ご近所の友達中尾くんがじゃがいもを植えるのを手伝ってくれました。感謝です。

さて、(前回の続き)2001年2月上旬、鹿児島空港に先輩トシさんと降り立った。九州・福岡県出身といえども、鹿児島は行った記憶がほとんどなかった。鹿児島に着いたら、どこからでも桜島が見えるという認識でいたが、鹿児島空港からは見えなくて、勝手に残念な思いをしたことを覚えている。昔、インド人の友達が、「日本に来たけど、侍が歩いてなく残念だ。」言っていたことに似ていると思う。私は地球儀大好き少年で、まぁまぁグローバル教育を受けたと自負していたが、私のグローバルの友達含め、その見識はまったくアップデートはされていなかった。そうやって19歳の私は「百聞は一見に如かず」で、現地に足を運ぶことにより、少しずつ世の中を知っていった。

空港には城谷さんという素敵なお姉さんがお迎えに来てくれた。エステの仕事をしているという自己紹介を受けた。そのお迎えの時点で鹿児島っていいところだなと思った。後に、JR九州入社後にインバウンドの仕事をして、アジアのお客様を九州にお迎えする仕事をした。あの時の城谷さんの笑顔とホスピタリティをそのまま使っている。知らない土地に降り立つ不安感を、一瞬で安心感、期待感に変えてくれた衝撃。この先生きていく上でとても大切なことを一瞬で学んだような気がする。

城谷さんの歓迎の笑顔は本当に最高だった。城谷さんには、「最高」だなんて、照れくさくて言葉にしていないと思う。ひょっとしたら、先輩のトシさんはそういうことを女性にさらりと言えそうなイケメンだったので、言っていたのかもしれない。先輩との差は開くばかりである。

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鹿児島空港から車で走ること、15分程度。羽田空港あたりは2℃、鹿児島は9℃くらいで暖かかったことを覚えている。緑の道を進み、川の音が聞こえてきた。妙見温泉と書いてある。田島本館にまずは到着。そこでお部屋に荷物を下ろし、それから田島社長のところに連れて行ってもらった。授業は10月頃か11月頃なので、すでに3ヶ月くらいは経っている。だんだん近づくに連れて緊張感が高まってきた。

大学の授業後では、フレンドリーに「行ってもいいですか?」っていう学生のいい意味でのノリと勢いで田島社長に声をかけたのに、何かが違う。緊張している、「ここに来てよかったのか?」という気にもなった。ここは完全なるアウェーであった。鹿児島空港で城谷さんが不安感を取り除き過ぎたせいか、一気に緊張が高まっていった。そんな心境を露知らず、城谷さんの車はどんどん田島ワールドに近づく。(後に私はタジマダファミリアと呼んでいる。これも後述する。)

そして、2004年開業の天空の森。その開業の3年前であった。開墾中の森の山頂付近に連れて行ってもらい、そこで田島社長と久々の再会となった。会った瞬間緊張が解けた。そこでも田島社長の笑顔に不安が吹き飛んだ。そして、素晴らしい快晴であり、霧島連山が鮮明に見える日だった。天気も心も絶好の日本晴れとなった。幸先のいい一日目が始まったが、(続きはまた明日)



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