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【実話怪談】食べること、生きること

S教授の話をします。
S教授は、私の指導教官で論文指導をしてくださった先生です。
人文学部でも西洋文化、特に舞台演劇が好きで、ゼミ生とシェイクスピアを題材にラジオドラマを作ったり舞台を公演したり……。最終的には自宅を改装して演劇スタジオにするほど、どっぷり演劇の世界にハマっていました。

私はと言うと、高校時代に演劇部と吹奏楽部を掛け持っていた経験があり、元々脚本を書くのが好きだったので、ゼミ生として脚本を書いて貢献していました。
小道具を作ったり、照明を手伝ったり、アルバイトが忙しくて舞台に立てない分、裏方のお仕事を一生懸命こなしてせっせと点数稼ぎをしていたものです。学生として単位を落とすわけにもいかなかったので、できることは何でもしました。

演劇の花形はやはり役者です。
裏方の楽しみは、役者が映える衣装を作ったり、必要なものを買ったりと、役者の演技が光るように尽くすこと。
演出や舞台監督もちゃんと居て、公演までは裏方でもそこそこ忙しかったことを覚えています。

S教授は、裏方よりも演技が好きで、自分も役者として舞台に立っていました。
学生に混じって楽しそうに演技するS教授は人気があり、ゼミ生以外も慕って集まります。S教授はそんな学生たちを研究室に招いてお茶会するなど、本当に気さくな方でした。

S教授のお茶会。
西洋文化が好きなS教授の用意するティーカップも、紅茶も、お茶菓子も何もかもが物珍しく美しかったので人気がありました。残念ながら研究室自体が本や資料で散らかり、埋め尽くされており、視覚的にチグハグな感じでしたが……。
「これでは、本が倒れてきたら圧死してしまいますね。」
と私が言うと、「本に潰されて死ぬか、舞台の上で死ねたら最高ですねぇ。」とS教授は笑います。
机の上にはパソコンと、立てかけられたヴィオラ。S教授は多趣味で、オーケストラも嗜んでいました。そんなところにも親近感があり、我ながら良いゼミに入ったなぁと思っていました。

ゼミ生による舞台演劇公演があと一ヶ月に迫っていた秋。

演劇スタジオによる練習ということで、S教授の自宅へ集まりました。全体的な流れや大道具、小道具、照明チェック……やることは沢山ありましたが、私は脚本担当でしたので参加は最小限。
それでも全体通し練習でのプロンプター(役者が台詞を忘れた時に、見えないところからこっそり伝える役割)くらいはと、足を運びました。

私からのリクエストで、舞台にはカラフルに塗ったタイヤが積み上げられています。ここに照明を当てることで、より神秘的な世界を演出できるのです。昔から頭の中にあったイメージが再現できて、感無量でした。積まれたタイヤの後ろに隠れ台本を持ちスタンバイして、いざ通し練習は始まります。

(なんだろう……ミサトちゃん、なんか変だな。)開始早々に、私は役者の1人が調子を崩していることに気が付きました。
ミサトちゃんは高校生の時、演劇の大会で全国の舞台に立ったことがあるという子で、今回の舞台でも重要な役どころを担っています。
(ミサトちゃんって、こんなに痩せてたっけ……?)
前に会った時より儚げな印象に変わっています。それでもパッと見は元気に見えるし、演技もしっかりできているので、気のせいかと思いました。

照明が一気に落ちて暗転。

次はミサトちゃんにピンスポットライトが当たって、しばらく沈黙してから台詞が入ります。
ゴシックロリータの衣装が最高に映えるワンシーンです。
暗転中に積まれたタイヤの上に腰掛け、スタンバイ。
ミサトちゃんは暗闇の中、素早くタイヤの上に登り、そして。



静かに、落ちてきました。

暗闇の中、ふわりと衣装のレースが舞う気配を感じて。

咄嗟に手を伸ばします。

高さは3メートル。

重力加速度は?

何故か頭にはそんな言葉が浮かび。

次の瞬間、強い衝撃と共に、ミサトちゃんの下敷きになりました。

その時。

私は確かに見ました。
抱き止めたミサトちゃんの背中に、無数の何かがいる。
見たことがある何か。

なんだっけ。

(これは、あれだ……餓鬼、だ。)

腹が膨れた、ガリガリの小さな餓鬼がいっぱいいる。
思わず手で必死に払う。
バラバラと、餓鬼は散る。

ミサトちゃん。

抱きしめた身体は細くて骨張っていて、なんだかとても悲しくて。
(頑張ったね。)と、小声で伝えると同時に照明がつき、次々とみんなが集まってきました。
幸いミサトちゃんに怪我は無く、私も受け止めた時に手を少し捻ったのと、着地の衝撃で腰を傷めたくらいで済みました。

その翌日。

S教授から呼び出され、ミサトちゃんと共に研究室にいました。
(一体何事だろう……。)
身構えている目の前で、S教授は楽しそうにお茶を用意しています。
「お茶会をしましょう。」
美しいティーカップに柑橘系の良い香りがするお茶が注がれ、高そうなチョコレートが置かれます。
「いただきます。」
と、私が手を伸ばす横で、ミサトちゃんはただ俯いていました。

「あなたが食べられないことはわかっているのですが、出さないと落ち着かないんですよ。」

ミサトちゃんに向けて、S教授が微笑みます。
驚いたように顔を上げたミサトちゃんに、S教授は静かに続けます。
「あなたは今、食べることに関して何らかの障害を抱えていますね?」
ミサトちゃんの見開いた眼に、うっすら涙がたまりました。
「僕は専門家ではないので、なにもできませんが……しばらく、休学して心身を整えませんか?演劇は治ってからにしましょう。待っていますから。」
優しく言うS教授に、ミサトちゃんがポツリポツリと言葉を発します。

世の中が汚いと感じるようになったこと。

他人の手に触れたものが食べられないこと。

最初はそれでも食べられていた、個包装のお菓子や菓子パンが、最近食べられなくなったこと。


死にたいと、思っていること。

頷きながら聞いたS教授は、ミサトちゃんに再び休学をすすめ、ミサトちゃんも承諾することになりました。
続いてチョコレートを食べる私に向かって、S教授は言います。
「と、いうわけで、脚本を書き直してもらえませんか?」
「……え?」
「あの役は、彼女にしかできないですから。」
ニコニコと鬼畜なことを言うS教授に、ミサトちゃんの手前断ることもできず。
(やられた……それが私を呼んだ理由か。)
苦笑いしながら「大丈夫です!明日にはもう、ササッと出来上がるから、ミサトちゃんは安心して休んでね!」と言わざるを得ませんでした。

後日談。

「なんで、ミサトさんの不調に気付いたんですか?」
その後も色々ありつつも無事に舞台を終え、レポートを提出する時になんとなく聞いてみました。「最初は、爪ですね。」
S教授は言います。
「女性は化粧で顔色がわかりにくいですが、爪を見たら不健康は一目瞭然です。あとは、彼女が以前私のお茶会で、ダイエットと言いながら周りに食べ物を振る舞い、且つお茶は口を付けるふりをして全部残していたんですよ。」
「よく見ているんですね。」
驚く私に、S教授は得意気に微笑みました。
「僕はシャーロキアンですからね。ただ見ることと観察することは、はっきり違うんですよ、ワトソン君。」
その時になんとなく、S教授とはこの先も長い付き合いになるような気がしました。
「それに……僕は高校演劇の全国大会を毎年ちゃんとチェックするんですが、彼女は本来もっと素敵な演技をするんですよ。早くまた見たいですねぇ。」

残念ながら。
ミサトちゃんの演技をその後私が観る機会はなかったのですが、卒業後にS教授から「ミサトさん、戻ってきてくれましたよ。」と連絡があり、ホッとしたのでした。

これは私の実話です。

S教授が出てくる話は以下にもあります。
興味のある方、どうぞ。


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