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#68 百鬼堂農園(17) NOT UNDER CONTROL

 妻が所用のため何日か実家に帰った。妻が育てているベランダの花に水をやり、リビングにPS5を移し、Rise of the RONINというゲームを始める。幕末を舞台にしたオープンワールドアクションロールプレイングゲーム(長い)。セールになっていたので買ったけど、キャラクターのクリエイトだけで疲れた。読まなきゃならん本が山積みで、ゲームどころじゃなかった。

 風の影響だろうか、ミニトマト苗1本がべったりと地に伏せるように倒れていた。枯れてはいないので、急いで起こして支柱に結わえた。まだ背が低いので支柱に結ばなくて大丈夫かと思っていたが、甘かった。それとは別に、植え増ししたばかりの接木のミニトマトの苗2本は、ぐったりしおれてしまった。大きく丈夫そうに見えたのだが、復活の気配が乏しい。

 農園開始とほぼ同時に張り切って植えたオクラ第1陣は瀕死だが、弱々しく花が咲いている。とても実はならないだろうという気がするが、生きている。1ヵ月以上遅れて植えた第2陣は、元気いっぱいとはいえないが、それなりに根付いてきたようで、第1陣の大きさをとうに超えた。

 スナップエンドウは2本のうち1本はほとんど育たなかった。ほぼ枯れてしまったので近々撤去する。2回ほど収穫できたのでよしとしよう。ジャガイモは5つ植えたうちの一つだけが成長しない。

 うまくいかなかった理由は、それぞれ思い当たる節はあるものの、はっきりしない。苗購入から定植まで時間をおきすぎた、植えた時期が早く低温被害にあった、水不足などなど。

 千葉雅也は「現代思想入門」(講談社現代新書)で、植物が「人間の言語的な秩序からは逃れる外部を示す」ものだと語っている。思い通りに管理できない「他者」としての植物に目をやることが、物事を言葉でがんじ搦めにしようとする傾向に風穴を空ける効果がある。他者が自分の管理欲望を撹乱することに、むしろ人は安らぎを見いだすのだと。

 雨、風、日照り。そして何より生育の状況。自然というのはままならない。趣味の農業は、そのままならなさを楽しむということなのだろう。

 うまくいっていないもののみについて記したが、全体の7~8割は順調にみえる。枯れた野菜を見るのはちょっと悲しくはあるけれど、4割が収穫にこぎつければ今季は成功と見込んでいるので、まだまだ落ち込む必要はない。

 とはいえ、不安定要素をひとつずつ排除して収穫の確率を高めていくのも農業というものだろう。畑仕事に慣れてはきたので、次はマルチをやってみようとか石灰をきちんとまこうとか、風よけをつくってみようだとか、いろいろ考えることはある。やはり失敗に基づく経験値というのは大事だと思える。

 妻実家で義母がやっている菜園について、妻が取材してきたのであれこれ聞く。毎年いろいと野菜や果実を送ってくれる義母は、この道数十年のベテランで、これ以上の経験を積んでいる人はまわりには見当たらない。ここからは遙か遠い妻の実家を訪れ、実際に畑をみて、話を聞いてみたい。

 枝や茎が折れてしまうのではないかと心配になるような激しい雨が降った翌日。畑を見に行くと、しおれかけていたトマトの苗が元気に復活していた。

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