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20231029 縦走的思考

長い距離や長い時間を走り続けるということはそれに付随する全ての困難を可能な限り内包させる必要がある。

この考え方はおそらくワンゲル時代に培われた山の縦走的思考に起因していると思われる。たとえば7日間という長期に渡る縦走では、食糧はもちろん、防寒着やテントなど生存に必要な装備を全て携行する必要がある。グループでの登攀となると、時にはその重量は20kgを超えることもある。

いわゆるロードランニングやトレイルランニングという世界ではその点が等閑(なおざり)にされることが多い。もちろん単に走るということだけに焦点を絞り、純粋に時間や距離を競い合うことにレースとしての面白味を追求しているということは十分理解しているつもりだ。また、それらの世界でとてつもない記録を出している方々の凄さは身をもって知っている。だが、果たしてそれは本当の意味で走る時間や距離を競い合っていると言えるのだろうか。

途中で暖かい布団のある宿に泊まったり、真新しい荷物を受け取ったりしていれば、それは真に走り続けるという範疇からは外れる。暗い山中で温かい食べ物が準備されていたり、洗濯したてのウエアやシューズが唐突に出現することはない。折りたたみ椅子はおろか、テントや屋根のある休息場が突然湧き出ることもない。全て自身の携行している荷物でやりくりしながら進む必要がある。時には停滞や撤退も余儀なくされる。

当たり前のことだが、ある一定の距離や時間を越えると、人間という生き物である以上、ただ走り続けることに限界が生じてくる。食事、防寒、睡眠など。そういった生存に必要不可欠な営みを通して、葛藤や苦悩、孤独、そして喜びを知る。もしこれらを省いてしまえば、先人たちの築いてきた冒険や挑戦とは程遠く、現代人のレジャーと言われても仕方がない。

もしかすると偏屈で時代遅れな考え方なのかもしれない。だが、走り続けるということはそれに付随する全てを内包するからこそ、とてつもなく困難であり、とてつもなく面白いのだ。


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