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もりぞー生活

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日々の雑記です。とりとめもなく書きます。 (2017年10月〜)
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2018年1月の記事一覧

#102  シャワーを浴びながら。

シャワーを浴びながら考えたこと。どうにもたちの悪い薬の副作用に襲われながら考えたこと。ふいに5年日記がほしくなったこと。ボールペンの芯を間違えて三本も買ってしまったこと。明日のラジオのこと。明朝体はなんだかすがすがしい気持ちになること。最近時間を何事も測り始めたこと。最近30歳までのカウントダウンをし始めたこと。そしたら残り2400日だということ。文字を書くということは本当に手間のかかることだなあということ。愛着はどんどん強まるし、憎しみみたいなものもどんどん強まるってことも

#101  信じることの正確さ。

いくぶん冷え込む日が続いている。1月がもう終わろうとしているから驚く。一瞬一瞬を生きるということは、永遠に共有し得ないものだからたぶんまだ誰も正確に知っている人はいない。「信じられるものがほしい」という思いが気づけばこんなにも世界にはあふれている。もう全部宗教だ。

#100  「andymori」と「AL」と100回

ついに100回、である。100回続いたということはなんともうれしいもので、ほんの少しの安心もある。 「続いている」といえば、解散したバンドandymoriというバンドは今、ALとして続いている。 いや、正確にはChampaignがAlexandrosとなって、名前だけ変えてそのまま続いているようなわけではない。メンバーはギターボーカルとベース以外は代わっているから、以前とは何もかもが同じというわけではない。 それでも、バンドの中心にいる小山田壮平の鳴らす音楽は今でもたし

#99 明朝体と、ちょっとしたスパイスの話

文字の感じが少し、変わったことに気づきの方もいるかもしれませんが、そうです。明朝体にしました。 何かを変えてみるということは本当に新鮮。今日も久しぶりに部屋の掃除をしたのですが、ものが少なくなったとか場所の配置とかが物理的に変わった、ということだけでなく、なにか「空気が変わった」というようなことを感じます。 フォントや目の前にあるもの。それらに少なからず、いつも影響を受けているというものがある。 「もようがえ」は世界の見方を新しくする、ちょっとしたスパイスみたいなものか

#98  「夕日がくれても、まだ遊んでいたい」と、思っていたい。

「目的もない集まり」というのは、どんどんと少なくなっていることに気がつく。一人だったら目的もなく漫画を読んだり散歩をしたり、なんてことは日常茶飯事なんだけれど、これは数人となるとちがってくる。だから、「みんなでとりあえず集められてしまった」というできごとがあったのだけれど、僕はいくらか「目的もなく遊ぶ」筋肉のおとろえを感じた。 しかし、「目的もないこと」ということが引き出すエネルギーというのも、ずいぶんと大きい。じわじわと、小さいときの感覚を思い出すようだ。 「夕日がくれ

#97  沖縄料理屋がステーキ屋にまるごと引っ越してたっていう不可思議なランチタイムの話

よくごはんを食べに行く沖縄料理屋さんがある。沖縄料理屋とはいっても、豚バラ炒めとか担々麺とかチキン南蛮とか、ほとんどは沖縄料理でもなんでもない、定食屋さんみたいな感じだ。 ところが先週いったら、閉まってた。「改装工事につき」とのことで、2ヶ月近くはかかるんだとか。 「困ったなあ」と思ったからもうひとつ近くのいきつけのテキサス風ステーキ屋に行く。すると、様子がおかしい。なんとそこには沖縄料理があった。 店の前のディスプレイを見る。肉と沖縄料理(屋にあったなつかしの定食の数

#96 今日の写真4選『線と凹凸』

「線と凹凸」 大仏の中の凹凸 ゆがんで見える路線と道路の交差点 くもり空とぼやけた信号 ゆうやけどき

#95  ”違うもの”を重ねていくことでしか世界を描くことはできない

小説家の柴崎友香さんの、こんな言葉を見つけた。 SFは世界の描き方や小説の可能性を示してくれるものでもあります。自分が見てる世界と人が見てる世界は違う。でも、その”違うもの”を重ねていくことでしか世界を描くことはできないのではないかと思うんです。 ーー「違うものを重ねていく」。そもそも人の数だけ世界があるんじゃないかというくらいに見えているもの、感じているものはちがっているし、だからこそ生まれてしまう問題もある。 だけれども、違ったものが重なるということは、面白いことで

#94  移住にパーマカルチャーに。千葉の「いすみ」へいってみた

こんにちは。もりぞーです。 以前から「いってみたいなあ」と思っていた、千葉県のいすみへ。 いすみ市は、ソーシャルビジネス、小商い、オーガニックなどの取り組みでも有名なところ。Airbnbに宿泊し、あとは現地に住まわれている方の案内で、一緒にぐるりと。実際に移住で住まわれている方も多くて驚きました。 1泊2日どころか3泊4日くらいな楽しいツアーとなりました。一緒に回ったみなさん、ありがとうございました。 ではでは。 ※くわしくはこちらでも書いてます。 ▽移住にパーマ

#93 まちの景色。

まちの景色。

#92  感動すること。

言い捨てられているはずなのに新しく聞こえること。のどがふるえるように吸い込まれること。なんだか理由もわからないけれど好きなこと。思いがけないこと。店員さんの笑顔に安心すること。一緒に叫ぶこと。くだらないことがちっともくだらないと思えること。昔の友人にはあうんの呼吸がすでにあること。ものごととものごとがつながっていくこと。忘れようにも忘れられないこと。あの日気持ち悪いくらいに泣いていたこと。「理不尽じゃないか」と思いながら理不尽をまっとうしていたこと。味覚そのものに感動したこと

#91 おみくじ引いてないけど絶対に大吉だと確信した瞬間2018年

おみくじ引いてないけど絶対に大吉だと確信した瞬間2018年 今年も盛り上がっていきましょう。

#90 ”文人”と”世人”の分離

日記はいつも「書いたら書きっぱなし」なものでもある。記事とは違って構成をかっちり決めてから書き出したりなんてこともない。 そんなわけで書き始めてから本を手に取ると、デヴィット・ヒュームのエッセイを元に書かれた、こんな言葉を見つけた。 ヒュームはこのなかで、まず精神の仕事にたずさわるひとびとを「学識のあるひと」と「話し好きのひと」とに分け、前者に必要なのは「余暇と孤独」ならびに「長期間にわたる準備と厳しい労苦」であり、後者に必要なのは、「快への趣味と知性の品のいい使用」なら

#89  音に感動したときは、「のどがふるえる」みたいだ。

昔『ロッキングオン』という雑誌がめちゃくちゃ好きでのめりこむように読んでいたことを思い出す。 切実な歌が、言葉が、音が、思いが、時代が、メロディーが。そういったものが全てバンドには、そのバンドが鳴らす曲にはつまっている。なにより美しいのは、「ジャーン」と鳴らした音やボーカルの叫ぶ声が、一瞬にして聞く人の心をとらえてしまうということだ。 思えばArctic MonkeysのBrianstormを聴いたとき、THE BACK HORNの罠を友人のiPodで聴いたとき、車のスピ