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【超要約】イーロン・マスク 未来を創る男(アシュリー・バンス)

いつも読んでいただきありがとうございます。
ふゆんです。
今回は、世界の名実業家イーロン・マスクの本格評伝である”イーロン・マスク 未来を創る男”を紹介したいと思います。この本ではイーロン・マスクが生まれてからスペースX、テスラ、ソーラーシティ等の会社を手掛け、その中でどのようなドラマがあったのかを詳細に記されている本である。この本は人生の上でものすごい刺激をもらったので心から勧めたい一冊です。

1.12歳のときにビデオゲームを開発する

南アフリカに生まれたマスクは10歳のとき初めてコンピュータを買ってもらう。そしてコンピュータに付いていたプログラミング言語「BASIC」の手引き書を6ヵ月かけて学ぶものを3日間一睡もせずに全部終わらせたのである。そして12歳の時、宇宙が舞台のSF風ゲームである「Blaster」を作り、それが南アフリカの業界誌に載った。そして謝礼金として500ドルを手にする。
この頃から宇宙をテーマとしたものを作っており、現在のスペースXのような宇宙への憧れがあったのだと推測する。


2.カナダを目指す

17歳を迎えたマスクは、カナダを目指すことにした。その理由を2つ答えている。
⓵米国に早く行きたかったから
⓶アパルトヘイトの徴兵を逃れたかったから
以上の2つの理由である。
そしてマスクは南アフリカ共和国の公立大学であるプレトニア大学に籍を置いており物理と工学を専攻したが、わずか5ヵ月で中退する。マスクは早い時期からコンピュータやテクノロジーに興味を持ち、シリコンバレーに強く惹かれるようになっていた。
そして母のカナダ国籍を子供に与えられるように法律が改正され、マスクは申請し、承認を受け取ると同時に旅立った。祖国に永遠の別れを告げた瞬間だった。


3.大学生活

1988年にカナダに降り立ったマスクは、そこから1年間カナダ全土で様々な肉体労働を経験する。その後、弟のキンバルもカナダ行きを決め、カナダでマスクと合流する。
そして1989年にオンタリオ州にあるクイーンズ大学に入学する。今まで変わり者として扱われていたマスクは、大学では当時のめり込んでいたエネルギーや宇宙などの話題を持ち出しても笑ったり冷やかしたりする学生はいなかったため、大学という環境が大きな救いだったようだ。
その後マスクは1992年、大学2年生の終わるタイミングでアイビー・リーグのひとつであるペンシルベニア大学に編入する。そして二重専攻にも挑戦し経済学と物理学の学位を取ることに成功する。この時に書き上げた論文はどれも高い評価を受けており、物理学の概念を現実のビジネスプランに落とし込む才能はとても秀でていた。
そしてマスクは「インターネット」「宇宙」「再生可能エネルギー」の3つの分野こそ、今後大きな変化を遂げる分野であり、自分が影響力を発揮できる市場だと見ていた。マスクは大学時代から自分が取り組む分野を完全に定めていたのだ。


4.初めての起業

マスクは在学した2年間で2年連続夏休みを憧れていたシリコンバレーで過ごし、ペンシルベニア大学卒業後は迷うことなく西海岸を目指した。
当初マスクは、スタンフォード大の大学院で材料工学と物理学の博士号を取得する予定だったが、わずか2日でスタンフォードを中退する。
そして弟キンバルを誘い、シリコンバレーに拠点を移し、ウェブで一旗揚げようと誓い合う。
1995年、インターネットが急速に一般に広まり始めた年にさっそく兄弟で「Zip2」というベンチャー企業を立ち上げることにした。事業内容としては、マスクらがレストランや美容院に訪問し、インターネット利用者に店の存在を知ってもらうチャンスだと訴えた。
二人のセールストークは「最寄りのピザ屋の場所と店までの道順がわかったら便利ですよね!」だった。Zip2は検索対応のディレクトリーを作成、所在地の地図を連動させていた。
当時、父親から約300万円の資金を提供してもらったが、オフィスの拡張やソフトのライセンス契約であっという間になくなったという。そして1996年初めにベンチャーキャピタルから約3億6000万円の投資を取り付けた。


5.経営権をなくした失態

マスクはある日ベンチャーキャピタルに技術責任者の職に専念するように言われ、CEOを他の人に任せてしまった。しかしその後、Zip2の経営権を手放したことに怒りが収まらなかった。マスクは直接消費者向けの情報サイト運営をするべきと提案したが通らなかった。
1998年にZip2と競合するシティサーチとの合併の話が持ち上がるが、合併が上手くいかず、このタイミングでマスクは当時のCEOを追放しマスク自らがCEO復帰を要求したが拒絶される。それどころか、会長のポストも失うことになる。
その後1999年にPCメーカーのコンパック・コンピュータがZip2を買収する。マスクは2200万ドル、キンバルは1500万ドルを手にする。
Zip2時代をマスクはこのように振り返っている。
「みんなが同じように行動してくれるはずという思い込みからして間違っていた。なんらかの指示をしても半分も伝わればいいところだろう。」


6.ネット銀行という大野望

マスクは過去に銀行にインターンした経験があり、その時に思っていたのが「銀行には金があるが、無能な連中ばかり」だった。そしてインターネット銀行の設立を検討し、「金融のネット化は避けて通れない」と自説していたという。マスクが狙っていたのは、ネット上に本格的な金融機関を作ることだった。そして、1999年2月にZip2を売却した翌月に金融ベンチャーのX.comを立ち上げる。そしてマスクはX.comに1200万ドル(14億円)投じた。X.comの斬新だったのは送金サービスだった。送金先のメールアドレスを入れるだけで送金が完了するのだ。開業からたった2~3ヵ月で実に20万人以上がX.comで口座を開設していた。


7.ペイパルの登場

ほどなくしてX.comに有力なライバルが現れる。マックス・レブチン、ピーター・ティールという頭が切れる若者コンビがコンフィニティというベンチャーで決済システムを開発していた。この二人はX.comのオフィスの一部を借りていた。そしてある日、コンフィニティ創業者コンビがウェブとメールを使った新たな決済サービスに専念するため、オフィスを移転を決めた。そのサービスこそがペイパルである。
その後、X.comとコンフィニティは互いに似たような機能を競い合い、顧客の獲得合戦に明け暮れる。宣伝に巨額の予算をつぎ込んだのだ。
ペイパルはイーベイのようなオークションサイトに採用されるなどの強みがあったが、マスクはこれに対抗するプランを次々と打ち出していた。


8.合併とクーデター

2000年3月、異常な浪費合戦の末、X.comとコンフィニティはむしろ手を結んだほうがいいのではないかと気づく。ペイパルは手元資金が底をつきそうだったが、X.comは潤沢な資金があったため、合併で有利な条件を手にしたのはX.comだった。そしてマスクは合併後の新生X.comの筆頭株主に躍り出る。
その後、技術面での意見の食い違いから、ティールが会社を辞めてしまう。週に一回はウェブサイトがダウンしており、度重なる危機にマスクの判断に対して疑問視する声が社内で高まっていた。そしてクーデターが発生してしまう。
マスクは2000年にジャスティンと結婚をしていたが、新婚旅行はまだだったので、シドニーのオリンピック観戦を楽しむという計画を立てていた。そして2人がフライト中に、X.comの役員らが取締役会に不信任動議を提出したのだ。そしてマスクが着陸したころには、もうCEOはティールに替わっていたのだ。
この時のことをマスクはこう振り返る。
「自分は何が何でもCEOの立場にかじりつきたかったわけじゃない。要するに『これは着手しておいたほうがいい』と思っても、CEOじゃなかったら見逃す可能性がある。それが嫌だった。」
その後ITバブルがはじけ、イーベイ役員がペイパル買収を打診してきた。そこでマスクは取締役会に対し、安易に提案に乗らず売り渋って価格を吊り上げるように求めた。そして2002年7月にとうとうイーベイは15億ドルでどうかと持ちかけてきたため、提案を受け入れる。この売却でマスクは2億5000万ドルを手にする。


9.ロケット事業に乗り出す

CEOから追いやられたマスクは。「インターネットのサービスなんてやっている場合ではない。」と考える。そしてある日、NASAのウェブサイトを見ていたマスクは「人類は限界に挑む意欲を失ってしまった。」と愕然し、当初はマウスを人工衛星軌道に乗せる計画だったが、直接火星に送り込もうと考える。
マスクはまず、大陸間弾道ミサイルの中古整備品をロシアから購入し、打ち上げロケットに利用する計画だった。しかし、ロシアに出向いたが想定した金額より多く要求されてしまい、断念する。そしてマスクは一から自前でロケットを作ることを決める。
そしてマスクはミューラーというエンジン開発の天才に出会い、その他の数人を集めて2002年6月にスペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)が誕生した。
そしてスペースXが手がけるロケット第一号を「ファルコン1」と命名した。まず最初にぶつかった壁は部品供給業者と打ち合わせとするたびにコストが高く、納期も遅いことを知った。そのためファルコン1はエンジンだけでなく、他の部品も自社開発することにした。
そしてマスクは、グアムとハワイ間では最大の島である、クワジェリン環礁という打ち上げ場所を見つけ、そこでファルコン1の打ち上げを行うことにした。2006年3月にすべてのシステムが整い、打ち上げを行ったがわずか25秒後に制御不能となり、地上に落下してしまう。そして1年後の2007年3月に再チャレンジし、ファルコン1がついに宇宙に飛びたったが、突然ロケットが空中分解して爆発してしまう。


10.苦難の時代

ファルコン1の2度目の打ち上げが失敗し、2億ドル近い資産が消えた。あの時のイーロンは「最後の1ドルまで会社のために使いたい」と話していたという。
そして翌年の2008年8月、ファルコン1の3度目の打ち上げをするが失敗に終わる。次に4度目の打ち上げだったが、5度目の挑戦は資金的に無理だった。そして9月に4度目の打ち上げを行い、ペイロードを軌道に投入することにとうとう成功したのだ。ここまでくるのに創立から6年かかったのだ。
しかし、打ち上げには成功したが資金もほとんどなく、マスクはスペースXとテスラについてざっと計算してみたところ、生き残りのチャンスはどちらか1社しかないことがわかった。
そこで2008年12月、ちょうどNASAが宇宙ステーションへの補給の契約を結ぼうとしているとの情報が飛び込んできた。4回目の打ち上げを成功させていたスペースXは、NASAから12回分の補給契約を獲得し、総額16億ドルに上る現金が転がり込んだのだ。


11.スペースXの強み

スペースXの強みとしてあげられるは、米国内で一からすべて自前で作り上げている点だ。1回の打ち上げ費用は6000万ドルと欧州や日本には真似できない低価格を実現している。マスクは製造面の技術革新と発射台の進化に取り組み、打ち上げコストの大幅削減を検討しているという。スペースはすでにカナダ、欧州、アジアの顧客から衛星打ち上げを受注し、18回の打ち上げを完了している。(現在はもっと多いと思われる)
スペースXの上場が期待されているが、マスクは火星へのミッションがある程度固まるまではありえない、と述べている。株式公開をすることで、火星移住ミッションが遠のくことを恐れているという。


12.テスラモーターズという革命

話は少し前にさかのぼる。テスラはマスクが創業したと思っている人も多いと思うが、実は違う。
当時、カリフォルニアには電気自動車に興味を持つ者が2人いた。それがマーティン・エバーハードマーク・ターペニングだった。この二人は2003年7月1日に「テスラモーターズ」を立ち上げたのだ。
テスラとしては試作車開発に必要な700万ドル(約8億4000万円)の大部分をポンと出してくれるメインスポンサーが必要だった。そこで二人はマスクがちょうど電気自動車の投資先を探しているという情報を得て、マスクにアポを取った。そして実際に会い、マスクから財務モデルについての質問が山のように寄せられたという。その後快諾し、マスクは650万ドルを出し、筆頭株主になると同時に会長の座を手に入れたのだ。
ここでテスラの一番の財産は、ノートPCなどに使われている18650リチウム電池が非常に優れた電池で今後も進化し続けると誰よりも早く見抜いていたことだった。そしてテスラは2006年初めにロードスターを市場投入する計画を決めたのだ。テスラの戦略として、高価格少量生産の高級路線でスタートし、時期を見て手頃な価格帯にも広げていくものだ。
テスラでは、創業当初からエンジニアの間でエバーハードの即決即断力が高く評価されていた。しかしその後、いろいろな問題に起こる。トランスミッションの耐久が低すぎてもたない。バッテリーを量産するためのタイの工場も気候や労働者の問題だった。生産上の問題を聞きつけたマスクはエバーハートの経営手腕に疑問を持つようになった。そして2007年8月にテスラ取締役会はエバーハードを降格させ、技術担当役員に任命した。その時の12月にはエバーハードは会社を去ることになる。その後まだマスクではなく、違う人をCEOに任命した。


13.モデルSの誕生

テスラはセダンタイプの電気自動車「モデルS」の生産の計画をしていたが、資金が不足しており、ダイムラーからの出資やエネルギー省から融資を得ることができ、そして2010年にGMとトヨタの合併工場を譲りうけ、本格的にモデルS生産ができる環境が整ったのだ。そしてその年の6月29日にテスラは上場を果たした。
マスクにとって上場とは、「魂を売る」ことだった。いつも長い目で物事を考えるマスクと、目先の利益を追い、常に結果論を振りかざす投資家が対峙することになる。
そして2012年半ば、ついにモデルSの出荷を開始する。充電は世界各地にあるテスラの充電スタンドで無料でできる。
ガソリン車は、ガソリン推進力に変換する効率は10~20%にとどまり、非常にエネルギー効率が悪いが、モデルSは60%程度のエネルギー効率を実現していた。
そしてテスラは、クルマを売る際にディーラーを通さず直営店やウェブサイトでの直販しかなかった。またオイル交換もチューンアップも必要ない。たとえ問題があってもエンジニアがインターネット回線からモデルSにアクセウし、ソフトを更新すれば良いのだ。
それまでテスラはリコール続きであり、自動車産業からなめられていた。それ以来、マスクは何か問題があると「顧客第一のサービス体制」を前面に押し出してテスラの宣伝をするようになった。
マスクは常に「できるだけ内製化しろ」と社内に指示していた。普通は外部の開発機関を頼るが、テスラは優秀な人材を採り、開発させていたのだ。
マスクは自分の思いをすぐに言葉にする能力も高い。だから自信を持って意見を言うし、消費者の共感も得やすいのだ。
モデルSの初出荷のわずか3週間前にスペースXは国際宇宙ステーションに物資を届けることに成功し、宇宙船は無事地球に帰還したばかりだった。このあたりからシリコンバレーの外側でマスクの見る目ががらりと変わった瞬間でもあった。これに関してマスクはこう語る。
「スケジュールに関しては楽観的だったかもしれませんが、結果について大げさな約束をしたことはありません。やると言ったことを実行してきただけです。」
そしてSUVのモデルXも開発していた。モデルはファミリー層を狙ったクルマであり、「ファルコンウィングドア」を搭載している。ファルコンウィングドア跳ね上げ式のガルウィングドアである。


14.テスラをグーグルに売りかける

2013年2月半ば、テスラは再び危機状態に陥る。テスラには予約客はたくさんいたが本契約の進む人が少なかった。当初マスクはこの事態を知らなかったため、社員に「今すぐ予約客に電話をして売買契約を成立させろ」とハッパをかける。予約客が本契約に進まない上に、売買契約済みの客までが近日登場の新機能や新色の発表を耳にして延期されていたのだ。
そしてマスクはこうした実情を包み隠さず友人のラリー・ペイジ(グーグル創業者)に説明し、「最悪の事態になったらテスラを買収してほしい」と頼み込んだ。そして二人は固く握手をしたのだ。しかしその時マスクは、買収されても大衆向け電気自動車を作るまで経営を任せてくれ、とペイジに言っていたという。
しかし、幸運にもマスクが無理やり営業に変えた500人の"営業部隊"が大量の契約を獲得し、5月にも初の黒字を達成したのだ。


15.なぜテスラは勝てたのか

テスラのすごいところは、テスラというブランドをライフスタイルにまで高めたことだという。テスラが売っているのはクルマだけではない。イメージを売り、未来へ足を踏み入れている感覚を売り、ブランドとのつながりを売っているのだ。同じことを何十年も前から実践してきたのがアップルである。
テスラはいわゆる2014年式、2015年式などの「年式」という考え方は取り入れていない。常に最高のモデルSを作り、それを顧客が手にするのである。ほとんどの機能をソフトのアップデートという形で全オーナーに提供できるため、既存のモデルSオーナーも満足できるのである。
テスラと競合他社の明暗を分けたのは、妥協することなくビジョンを徹底的に追い求め、マスクの要求水準を達成するために全社員が全身全霊で打ち込んだかどうかだったのである。


16.太陽を格安で手に入れる

マスクの従兄弟であるライブ兄弟はマスクの太陽光エネルギー市場の話を聞き、2006年にソーラーシティという会社を立ち上げた。ソーラーシティの秀逸だった点は彼らが開発したソフトである。顧客の電気料金や自宅の位置、日照条件を分析し、ソーラーパネル導入が割に合うかどうかを判定するというものだった。この制度づくりにアドバイスしたマスクは同社の会長兼筆頭株主になった。
その6年後、ソーラーシティは全米最大のソーラーパネル設置業者に成長する。2012年には新規株式公開を果たし、2014年には時価総額が70億ドル近くを達成した。
マスク自身は、ずいぶん前から「太陽光エネルギーは意味がある」と判断していた。
2014年に入ってソーラーシティは、まず蓄電システムの販売に乗り出した。これはテスラとの提携によって開発されたものである。
そして太陽光電池メーカーのシレボを買収し、ソーラーパネル自体も自社で開発するようになる。
マスクの頭の中には、最終的に企業同士を相互に結び付け、一体的な世界を生み出すという、いわば「統一場理論」がある。ソーラーシティはその重要な柱でもあるのだ。テスラがパッテリーパックを製造し、ソーラーシティが顧客に売る。ソーラーシティはソーラーパネルを使ってテスラに充電スタンドを供給する。テスラ車のオーナーには無料で燃料供給できるようになるという連鎖である。テスラとスペースXも相互に支え合う関係にある。材料や製造技術、工場運営のこまごましたことまでさまざまなノウハウを交換しているのだ。


17.ハイパーループ構想

2013年8月、マスク信者たちを熱狂させる出来事があった。「ハイパーループ」なる、まったく新しい次世代交通システムの構想を発表したのだ。速度は時速800マイル(約1287km)であり、ロスからサンフランシスコまでの600km強をわずか30分で結ぶのだ。
マスクは投資家で友人のシャービン・ピシュバーの案内でオバマ大統領に技術の詳細を説明する機会を得た。そして2014年4月、一対一の面会の機会が与えられたのである。そしてピシュバー他数人でハイパーループ・トランスポーテーション・テクノロジー(HTT)という会社を立ち上げた。


18.テスラとスペースXにかける思い

モデルX以降は第3世代の電気自動車、モデル3がある。これは当初3万5000万ドル程度で予想して計画された自動車である。すでに世界のチリウムイオン電池供給量のかなりの部分はテスラが使用しているが、モデル3が本格化したら、もっと必要になるという。そこで2014年に「ギガファクトリー」なる世界最大のリチウムイオン電池工場を建設したのも、この需要増を見込んでのことだった。この件に関して、マスクはこう語る。
「競合他社はギガファクトリーを鼻で笑っているだろうね。しかし、電池メーカーが電池工場に数十億ドルを投資する気はさらさらない。つまり、自前で作らなければ十分な量を確保できないんです。ところが、誰もそれをやりたがらない。」
スペースXのマスクの究極のゴールは、人類を国際人ならぬ”惑星間人”にすることにある。そしてマスクは、「スペースXは2025年ごろには火星まで大量の人間と貨物を運べるブースターと宇宙船の開発を終えていると思う。」と語る。そして、「私が死んでもスペースXが問題なく運営していけるとわかれば真っ先に火星に行きたい。行きたいが、行く必要はない。大事なのは、私が火星に行けるかどうかではなく、数多くの人々が行けるようにすることだから。」という。


あとがき

今回は”イーロン・マスク 未来を創る男”を紹介しました。この本は密度が濃くて、読み終えるのに結構時間がかかりました。しかし、読めば読むほどイーロン・マスクの野心に刺激されることが度々あり、こういった人達が世界を変えるんだろうなと想像した一方で、自分も負けてはいられない気持ちになりました。
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