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依存症は自傷か?

前に書いたことがあるのですが、私はアルコール依存傾向と浪費癖そしてガチャ中毒と、依存症に片足を突っ込みながらグレーゾーンを点々としています。
精神が安定してきましたらだいぶ良くなり、特にアルコールは劇的に縁が切れました。なんとか断酒状態を保っています。

話を遡り、精神疾患の急性症状を発症する前は肉体の自傷に向かうこともありました。
結局未遂に終わるのですが、衝動的に「切りたい」となって包丁を手首に当て、何をしているんだと我に返ったことがあります。
当時は20代半ば。リストカットは10代に多いと聞きます。リストカットへの偏見ではありますが「切って傷跡残して、誰かに吐露するきっかけを作りたいだけでは?」と思い直し、「いのちの電話」に電話しました。話を聞いてもらえれば何でも良かったようです。
傷は薄皮を切っただけ……

では終わりませんでした。
正確な時期は覚えていませんが、アホな酒の飲み方をするようになりました。朝からハイボールを流し込み、最終的にカップ焼酎をどこだろうと、それこそ人前だろうと飲むようになります。鬼ころしは開けると蓋ができませんが、カップ焼酎は蓋ができるので鞄に入れて持ち運びが可能なのです。
酔わないと眠れない日が続き、酒を入れては気だるく起きる無職の毎日。書き起こすと完全に緩やかな自殺です。

酒を飲むと世界が曖昧になります。
私はシラフで街を歩いていると「世界はこんなにもはっきりしたものだったのか……」と感心するようになりました。一分一秒ごとに雪崩れ込んでくる絶え間ない情報量に呆然とすることがあります。

情報が私を飲み込んでいってしまう。「私」が街の風景になって、消えてしまう。

若干、いやかなり詩的な表現をさせていただきました。実際は上記のような事は起きないのですが、はっきりした世界は私にとって「しんどい」。
街の風景くらいならいいのですが、人の顔色、ご機嫌、評価。そういうものが私を削り取っていきます。とても恐い。肉体の死自体は恐怖ではありませんでしたが、存在意義が消えることは恐怖でした。
「こんな恥ずかしい人生を送って……」と言われることが恐くて自殺を先伸ばしにしていたくらいです。

昔から人と合わせることができず、リアルでは身に覚えのないことで叱られたり笑われたりしてきました。いじめられても飲み込めずに固まっていました。やり返さないのが精一杯の渡世術でした。

私のことを空っぽで何も感じないから笑っていいと思っている。いじめていいと思っている。

酒は存在意義への疑問と空虚感を誤魔化してくれました。輪郭がにじんで世界に馴染めたという気がするのです。

自傷欲求の正体は「話をきいてほしい」でしたが包丁を手首に当てるまで、「切りたい」ということしか頭にはありませんでした。
ピリッとした痛みがあって初めて「切りたくはない。私は話したいのだ」と気づくことができました。

自分の実体、あるいは魂と呼ぶべきかもしれませんが、それをつまびらかにしたくて私は肉体に傷をつけたり、酒に依存したりするのかもしれません。
そういう方、いませんか?

ここから先は全部余談なのですが、依存症の治療で「いつ、どういう時に飲みたくなるか(それをしたくなるか)」を書き出す、というものがあります。自覚することでその場面を攻略する力をつけようというワケ。

断酒状態ではあるものの、抗酒剤は服用しており気の抜けない日が続いています。暇だと空虚で飲みたくなるので時間を埋める方へとシフトしたいです。
最近はネットやりすぎが心配ですが、文章を書いていると「生産的なことをしている」感が強まるのも確か。
思考をこねくり回して自分の魂の輪郭をなぞっているとざわつきが落ち着きます。
ネット依存かもわからんけど、まぁこれは主治医に相談します。

あと仕事がうまく行き出したら本当に楽になって、そこから良い循環が回りだした気がします。私の魂の居場所はここだったかもしれないですね。

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