結婚して名前を無くしたこと

私は再婚する時、オットに1つだけお願いをした。
とは言え、そんなに大袈裟なものではない。
ごく日常的な簡単な事だ。

“ずっと今のままお互いを名前で呼ぶ事”
たった1つだけ、これだけお願いした。
小さな事かもしれないが私にとっては大事な事だった。

以前結婚していた七年間、私は元夫に名前を呼ばれた記憶がない。
記憶がないと言うより、呼ばれた事がないからどう呼ばれていたか分からない。
大体いつも“ねぇ”とか“あのさ”から会話が始まる人だった。
付き合い始めた時から名前を呼ばれた事がない。
結婚して、子供ができて段々と呼び方が変わって気が付けばお互いの名称がパパママになっていたと言う話はよく聞くが、思い起こせば彼との間には最初から私は名前がなかった。

その事に気がついたのは離婚の話が出た時で、その時相手が私を”貴方”と呼称することに気持ち悪さを覚え(単純にその頃は生理的に受け付けなくなっていただけかもしれないけど。笑)、思い返してみたら名前を呼ばれた事がないからどう呼ばれても違和感しか残らなかった。
因みに私はずっと相手を名前で呼んでいた。
“パパ”などとは意図的に呼ばないようにしていた。
何かこんな小さな事から感覚ズレてんじゃんって今なら納得。

オットとは若い時に出逢っているのもあるし、共通の友人がいたからか、ずっと前から名前で呼び合っている。
友達になった時も変わらずそのままだった。
オットとは日常的に会話が多く、名前を呼ぶ事がお互い多い。
それだけで何だかホッとする。
この名前の話をした時も、オットは“むしろ名前以外に他に何と呼んだら良いかわからん!”と笑っていた。

名前くらいと思う人もいるかもしれないが、苗字は自分のものでないような気がしたし、いつも〇〇ちゃんママと呼ばれて、友人との接点もなくして名前を呼ばれる機会を失うと、私って何なんだろうと思う事があるのだ。
外で働いていたり、人と接点が多ければ名前を呼ばれる機会も多いかもしれないが、私にはそういうものがなくなってしまっていた。
ママとか妻とかじゃなくて、私単体のアイデンティティが失われたような気がした。

名前を一度も呼ばない人。
名前で呼んでくれる人。
人それぞれだが、私は後者の方が断然愛情を感じる事ができる。

離婚しようと思い立つまでは、それが嫌だとかおかしな事だとか考えた事もなかった。
結婚は私が我慢がしていれば上手くいくと思っていた。
我慢して上手くいくことなんか何もないと今は思う。
心の深い所に不満をどんどん蓄積して全部に蓋して隠してきたけど、そんな事したってそこに生まれてしまった不満をない事になんか出来るわけがなかった。


離婚は必然だったと思う。
元夫が家を出てから、私は私なりに色々改革を目指した。
そして何もできなかった反動から様々な新しい体験をする事になる。

つづく。


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