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不登校問題は「学びの再編」の一部分

どんな社会においても、子どもが学習する期間はある。将来、自分が何らかの社会的役割を果たしながら暮らしていくために必要な知識やスキル(=自立した社会生活をおくる力)を習得する期間が。これはアマゾンの奥地の、いわゆる未開民族と呼ばれるような共同体であっても、日本においても普遍的な事象だ。

しかし、人生の初期(日本であれば6歳~15歳)段階を、義務教育課程に身を置きながら、同時にその具体的な学習を学校という場で行うという形態は、近代社会になって発明されたものだ。言い換えれば、人類普遍の学習形態などではまったくない。国民国家が形成され、資本主義による貨幣経済が広範に行きわたり、工業やサービス産業が社会の富を生み出す主要産業となり、それを支えるものとしての近代科学の力が増大し、その知識(現在、義務教育課程で学習する知識)の価値が非常に高かった社会において、初めて必要とされた形態である。しかし、その社会は、今と比較すれば、インターネットなど遠隔地に瞬時に情報が行きわたるインフラもなく、本が貴重でもあった。

将来、富を生み出すことになるだろう人材を効率的に、効果的に生み出すためには、各分野の知識を教えられる専門家=教師を一つのところにまとめ、そこに地域の子どもたちを集合させ学習させる以外になかった。

ところが社会は変化した。インターネットが普及し、どこでも知識を学ぶインフラが整備され、教科教育の知識はコモディティ(日用品)化したとさえ言えるレベルまで来た。

今の義務教育と学校教育は、あくまで上で述べたような社会が必要とした形だ。つまり、社会のカタチが変われば、学びのありようも変化する。

繰り返すけれど、どんな社会においても、子どもが学習する期間はある。何のための学習かというと、将来、自分が何らかの社会的役割を果たしながら暮らしていくための知識やスキルを身に着けるための学習だ。

だとすれば、今あるインフラやIT技術、知識の豊饒性とアクセス容易性などを前提にして、どんな風に子どもたちに「自立した社会生活をおくる力」を学んでいってもらうか。そして、それをどんな風に、多種多様な性格をもつ子どもたちに提供するのか。

それが一番最初に問われるべき問いであり、その具体的なオペレーションを試行錯誤しながら次の世代へ向けて作り上げていくことが、大人が担うべき最重要の責務である。

学校で学ぶとか、学校以外で学ぶとか、それは実はそうした「学びの再編」の一部分でしかなく、問題の本質ではないと思う。そこを見ておかなければ、学校に行かせること・学校以外で学ぶこと、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという話になってしまう。子どものそれぞれの性格から出発して、その子が将来「自立した社会生活をおくる力」を身に着けるために必要なものを、今ある社会の中から探し出して提供すること。

僕はそこが今現在学校や教育をめぐる問題の中で絶対に外してはいけない北極星だと思う。

*「不登校」問題の解決なども含め、今の社会を前提にして、新しい学びを作り上げる実践・取り組みは、既に様々になされている。

それを少しだけ紹介したい。

東京家学・大阪家学:不登校の7つのタイプなど実践上の見地から不登校の子ども達の大まかなタイプが分類され、その対応策の概要が記されている。

不登校サポートナビ:各地の不登校対応学校やイベントなどが紹介されている。

通信制高校ナビ:全国の通信制高校が調べられる。不登校対策情報も。

リタリコ発達障害ナビ:不登校とも大きく関わることの多い発達障害と、小中高で起こる問題を相談サイト。

クリスプぷらす:事業紹介やインタビューなどを通して、多様な生き方を伝えるサイト。

NPO JSBN:キャリア開発事業を通して、今の時代に合った新しい時代の学びを実践している。





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