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国語が得意になったきっかけ

どうも、座右の銘太郎です。(『ハチ』っぽく読んで下さい。)

「いつもと違うタッチの記事(急に危ない小説やらポエムやら)書いて、嫌われちゃったらどうしよう😥」なんて自意識過剰な男です😆😆😆


座右の銘太郎よ。振り返って見給え。お前のnoteが、情緒不安定なのは、今始まった話では無いのだよ。

過去のトラウマ路線、家族問題の愛憎劇、ビジネス路線、ダジャレ、造語、危ないポエム、発作的に書いた小説、変な独り言の数々。

半年間もの間に、よくもまあ、こんなに書き散らかしたものだ!!!

毎日note記録が途切れるのが怖かったんだな!

偉い偉い。


だから、お前がちょっとくらい変な小説を上げたくらいで、誰も驚かないから安心するんだな!

【以下、最近の心配事】

最近私のnoteを読んだリアルの友人に、このようなことを言われて、noteとの付き合い方をほんの少しだけ見つめなおしています。

「とても目の前に座ってる見かけ年齢50代のおっさんが書いているとは思えない。ちょっとお前との関わり方考え直すわ。(褒め言葉と受け取った!)」とか真顔で言われ、

「いやいや、ブラックライターに書かせてるんだよ。(相手はちゃんとjokeだと分かっている)」とおどけて見せたが、俺のアイデンディティはこの先どうなってしまうのだろうかと、一抹の不安があったりします。

😱😱😱


話は中学1年に遡ります

入学して初めての「中間テスト」なるものに、そりゃもう、張り切って勉強しました。

気合入れて臨んだだけあって、全教科概ね90点前後で良い感じだったのですが、国語の答案用紙が戻って来て、気を失いそうになりました。

「41点」

嘘やろ!!

そんなに出来なかった覚えは無い。

漢字が1,2個書けなかった以外は、解答欄は全て埋めた。

子供の頃から読書は嫌いじゃなかったし、むしろ娯楽の少ない貧乏生活に、図書館の本は貴重な遊び相手だった。(ずっとぼっちだった。)


何が間違っていたのだろうか???

国語教諭のY田が、答え合わせを始めた。問題や正解へのアプローチを解説するのを追いかけながら、私の答案用紙に赤字で書き込まれた「ペケ」マークの欄と比較・・・


俺の答え、合ってんじゃんよ!!!(# ゚Д゚)


おかしい!!

絶対におかしい!!

答え合わせの結果、本当は82点のハズ。(おつとめ品半額かよ!)


俺様をコケにしやがって!許さん!許さんぞーーーーーー!!


授業後、講義ならぬ抗議に行ったところ、

「余計な句点がいっぱいだったよ。」と。


は?

句点?

「。」


句点が余計????????????

なんじゃそりゃ???


国語の中間テストの最中に

試験開始から30分程経った頃、試験中にもかかわらず、Y田がおもむろに話し始めた。

「いいですか皆さん。『句読点』はちゃんと書き入れましょうね。『句読点』が有るか無いかも、採点対象ですからね。」

こんな話を、2度、大きな声で言った。

大事なことだから、2度言ったんだろう。


書けなかった漢字以外の、全ての解答欄を埋めて見直しフェーズに入っていた私は、急にY田の言葉を思い出し、不安に駆られた。

あれ?国語の試験で、句読点が要るとか要らないとか、今まで考えたこと無かった。どうだったっけ?

なんか、全部句読点が必要に思えて来た。

まあ、無いと減点かもしれないが、有って悪いもんじゃないハズだ。


そして私は、漢字問題以外の解答欄に、全て「。」を書き入れたのだった。


「良かったな!これが高校受験だったら、君は志望校に落ちていたかもしれないよ。中学初めての中間試験なんだから、いい予行演習になったね!」


こんのやろめがーーーーーーーーーー(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)

コイツ、マジでタヒりたい!!

思春期の情緒不安定(今も???)で血気盛んな男子に恨まれたら、夜道に気を付けたほうがいいぞゴラァ(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)


もう、大人なんて絶対に信じない。

なんて、随分逆恨みしました。

Y田はよりによって、私が入部した部活の顧問だったりもしたのですが、コンニャロ、私の承認欲求を煽るために、絶対に私を褒めない。

整った顔立ちで女子に人気の、タカヒロの事ばっかり褒めて、私のことを一切褒めない。


褒められたい一心で、めちゃくちゃ一生懸命練習に励んだが、面と向かって褒められた記憶は片手で数える程度だったように思う。


多分、いい感じで個性を伸ばして貰ったんだと今は思います。

→そしてこんな良く分からない生き物が育ちましたとさ。


そして国語の成績は上がった

句点如きに得点を50%ディスカウントされ、めちゃくちゃ悔しかったので、国語だけは絶対に95点以上取ってやると、血眼になって勉強したのが懐かしいです。復讐心に燃えていました。

あと、作文が得意で、よく他の人の作文を添削してあげていました。

そのおかげか、いつしか文章を書くのが苦では無くなりました。


今となっては、Y田先生に感謝ですね☆

お元気でいらっしゃるかなぁ~。


最早どうでもいい話ですが、英語の先生と二人きりで語り合っている姿を、度々目にしましたが、お互い既婚者でいらっしゃったので、それはきっと、『語学教師』という「なんてことない繋がり」だっただけで、それ以上でもそれ以下でもなんでもない関係だったと、分かっていますよ!

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