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アウトサイダー・アート入門。〜メンタルが治る最強の藝術行為〜【古田更一入門】

 (アンチ)アウトサイダー・アーティストの古田更一です。
 
 主に批評系YouTuberを中心に活動しています。

 これまでは武蔵野美術大学/株式会社DeNA/singaporeなどで活動させていただきました。

 現在は初台➫目黒を拠点に活動させていただいてます。

 さて、アウトサイダー・アートとは何か?

 ハッキリ言うと、頭が良くなりたかったり、メンヘラを治したいなら、めちゃくちゃ必見になるんだと思います。

 倫理的に問題があるかもしれませんが、当時2020年あたりにボクは著名な不謹慎系YouTuber坂口章(現在はtiktoker edamamekun)に弟子入りをしていました。

 確かに彼のやった行為は許しがたい。

 木村花さん7くなってありがとう!とか言っちゃあいけない。

 しかし、同時に奇妙にもあえて風呂場で不謹慎発言をしたり、カラシとワサビを鼻に入れて自らを虐めまくったり、極めつけは何十回もカップラーメンを投げつけて食べるという行為を無意味に何度も繰り返していて、彼は頭の中は自由であるにも関わらず、社会的には不自由なんだと理解されました。

 アウトサイダー・アートは元々はアール・ブリュット、生の藝術を指す言葉で元々は精神科医が余りに斬新すぎる絵を描く患者に興奮してしまい、精神障◯者の絵として発表したことで一躍有名になり、当時の近代前期の著名なアーティストたち、確かダダとか様々な本物のアーティストたちに刺激を本当に与えました。

 しかし、彼らは有名になれない(笑)。

 沢山アーティストはいますし坂口章自体も有名ですが、彼らは言語が苦手です。

 だから、歴史に載るだったり説明の記述ができない。

 要するに、近代社会、法律や政治、経済にとってはめちゃくちゃ不要物な存在です。

 しかし、アール・ブリュットという生の藝術が語源な通り、本来は真の藝術行為とはここにあるんだという話になります
  
 たとえば、私の師匠の1人に駿台の英語教師・小林俊昭がいます。

 彼はintergrative英語と評して自らの英語行為をアーティスティックに解釈し、ギリシャ語やローマ語、ギルマン語に遡りながら英語を解説し、ひたすら英語の歴史を毎回、長文&文法&作文&リスニング&スピーキングに応用する手法をとっています。

 アウトサイダー・アートもちょうどこれに近い。

 彼らのアートは確かに美大や藝大では中々分からないものですが、デッサンという近代的制度的なアプローチの起源前にある原初のARTは当に頭から湧き出る生の創作行為にあるからです。

 ただオモチャを並べてみる。ただ頭の中に浮かぶ不思議な猫のイラストを何度も何度も描いてみる。

 このヘタウマ的な創作行為こそ人を自由にするし極めて民主的な生の藝術行為の始まりだった。

 ハッキリ言えば、入試科目にデッサンを入れる美大/藝大はフランス史観に支配されています。

 あれは、フランス語の勉強に近しく、だとしたら、パサパサとドローイングと英語で造形を問う試験に変えるべきです。

 要するに、バブル後に代表されるようにポスト・モダン/大量消費社会を経て、我々はフランス現代思想にかなり無意識下で影響を受けて日本を作っている。

 真に民主主義を機能させるならば、障害者/精神科医というはぐらかしの近代的フレームを取っ払うべきだと思う。

 それが偽物のアウトサイダー・アーティスト古田更一がアウトサイダー・アーティストをあえて名乗る理由です(批評系YouTuber/加速主義者としての役割。夏目漱石も一人二役で文学者/批評家を行っていますから)。

・患者=精神科医

 アール・ブリュットやアウトサイダー・アートの文献を見て分かるのは、作家と批評家、つまり、患者とコミュニケーターである精神科医の違いが無くなってくるフィードバック的な磁場にあります

 精神科医が患者の絵にハマるうちに自らがトランス状態になり、患者そのものに成り下がる。

 lainゲーム版でそのような主題はありましたが、ちょうど私も統合失調症患者扱いを専門卒や地方の方々にたくさん言われました。
 
 しかし、これは不謹慎系YouTuber坂口章さんを批評する過程で、極めて美しく作る側と言葉にする側の境の領域がぶっ壊れてゆく生成の過程であったのです。

 ボクは要するにアートの起源を彼から学んだというわけだ。

 今のアート業界は制度のアートを批評する人々が作品を作っても、アーティストとしてそのまま生きようとする人々がいない。

 確かに稚拙かもしれませんが、アーティストはやっぱりアーティストとして生きなければ意味はない。

 たとえば、ボクはここ最近複数名から誹謗中傷に組織的にあっていた。普通だったら、警察を介入するべきでしたが、アーティストとして怒らないといけないなと思った。

 だから、ボクはYouTuberの放送中に何度もわざと怒ったしメディア・アートにして表現した。

 確かに自らの生存を意識したら、それは短期的には無駄な行為だったかもしれない。

 しかし、あくまでも限界までは作家として誹謗中傷にも向き合いたいとボクは思った。

・メンヘラが治るプロレス

 ここからは科学的な理系に踏み込む内容になりますが、人間誰しもがメンヘラです。

 中世期の世界史/日本史を見てくださいよ。

 第一次世界対戦も二次も既に組み込まれているかの如く、ドンパチしている。

 だから、近代的制度は戦争をシステム化した問題がある一方で中世までの小規模な戦争を中和する作用があった。

 言語という神が法律、コードになった。

 でも、あくまでも人間はメンヘラなんだという源流そのものを治せず、対症療法にすぎません、近代は。

 だから、昨今はAIやSNSが流行っていますが、あれも不徹底。

 近代が言語による支配、文系だとしたら、シンギュラリティ/加速主義は理系による支配ですが、文系がダメなら理系こそ対症療法な其の実、文系に甘えた変人芸でしかない。

 やっぱり思想は文系がメジャー。

 王道は変わらない。

 そこで考えたいのは、メンヘラを治すのではなくて、メンヘラと向き合い、メンヘラの形を必死に言語化するアプローチにあります。

 それがアウトサイダー・アートの真の役割だとボクは思っています。

 言っちゃあ悪いし傷つけるかもしれんけども、太宰治や芥川龍之介、江藤淳、宮台真司、西部邁といった自冊したり◯された作家は何もメンヘラが治っていないどころか、むしろ悪化のプロレス。

 ボクは失礼な話、近代的科学的古さを引きずって、彼らのように◯にたくない。苦しみたくない。

 不躾な話を申せば、頭が悪い年上の皆様の殆どは見下していて、唯一不謹慎系YouTuber坂口章さんとはこの話は私より話せましたが、あの陽キャ哲学さんですらこの話は苦手で、また東京都知事選挙に今年出馬したネオ幕府の相川さんの手伝いもしまくりましたが、結局、彼は近代的自我と心中する気でいるとボクは感じるので、彼が躁鬱的に色々と大変に金に邁進する態度は、結局のところ、資本主義に敗北した太宰治たちのプロジェクトを超えていない。

 もっとも近代的権威主義を保持した上でどうにかしたい専門卒の陽キャ哲学さんは真逆の手法で超越していますが、それも文芸に近しく、近代的自我を乗り越えず、自らが専門卒の負けという十字架をたぶん確信犯的に背負って居る。彼は池袋=大阪的にそこを誤魔化しておとぼけますが、笑いやギャグで流すのは、大衆的で不可能です(シラケ神経症。いつか解説)。

・メリトクラシー(能力至上主義)

 ボクがやりたいことは、メリトクラシー、能力至上主義の破壊です。

 作家/橘玲&浅羽道通に非常に私は批評、文章の世界ではめちゃくちゃ影響を受けている。

 その理由は横道にズレますが、帝国美術学校、東京の左側にある武蔵野美術大学がそもそも早稲田大学の哲学専攻たちによって作られた流布がある。

 橘玲も浅羽も早稲田文系です。

 で、武蔵野美術大学は北一輝の弟が作っている(そういう意味であえて文芸的に間違えた行為に走る北一輝や西部邁、宮台真司先生のことは非常に尊敬しています。ただ表現者/古田更一としてはZ世代として鋭く批評しなければいけないと思っています。もっともアーティストとして感傷マゾヒストとして尊敬しているのは彼らからすると軽蔑に当たるかもしれない)。

 東京の大学だよという近代的なシステムの外で考える場の話になる。

 しかし、とは言っても、メリトクラシー、能力至上主義、受験勉強が完全に悪いとはボクも思わない。

 ただし、インターネットに弱者男性、学歴厨が生まれたり、vtuberというサブカルに見せたルサンチマンの意匠を見る背景に、あくまでも科学的にこのメリトクラシーという病を批評/あるいはシンギュラリティ、加速主義的に集団抑圧的病をフロイトできないか?かが私のライフ・ワークです(申し訳ないけど、趣味、道楽もあります)

 あくまでも近代は必要な病であり、治すのではなくて、人類は向き合っていかないといけないなと考えております。

・英米哲学とado

   歌手そのものがうっせぇわと自らを斬るadoはそのまま歌手批評としてメタ歌手としての歌い手がそこにある。ちょうど4分33秒?あたりに近しいのだと。

 ただし、文学や作家、音楽家が自分を陰キャやメンヘラと話すのは酔っているだけなので無視するべきです。くだらない。

 文学と真逆のプロレスに批評(ドイツ)がありますが、その先に哲学があり、ボクは英米哲学に非常に学生時代に影響を受けた。

 つーか、学生もフレームなんで、科学はもう会社に超越されていると睨んでいますが、ともかく話を戻すと英米哲学の基礎は殆ど読んでいますけども、結局のところ、天才言語学者チョムスキーの理解者である太庸吉師匠には勝らないかもしれない。

 太庸吉=チョムスキーは生成文法を提唱し、まあざっくりさせると、SVOCで言葉の病を解釈せず、S P(述語)で解釈して、非常に文芸的である。
  
 関西左派の表三郎も日本語の語順のままに英語を読みますが、近代プロレスは西洋の遺伝子の記述にすぎないため、東洋言語の解析は非常に重要です。

 古文漢文は英語より簡単ですが、あくまでも日本人、東洋人の脳プログラミングの流れを意識するために論理パズルと割り切って勉強するべきだと思います

(非常に失礼な話ですが、古文漢文は英文解釈のSVOCでボクは古文漢文を読む邪道をしていました。だって、古文漢文は英文より論理性が低いから。ただしアーティスト的に英文解釈では読みきれない問題が露悪的に出てくる。そこを見るためにやっぱり古文漢文文法が必要になってきます)。

 ようは、どこまでも近代は言語学に過ぎず、加速主義/シンギュラリティも理系で延命したいにすぎません(橘玲/浅羽さんを尊敬する一方で彼らの限界は太庸吉より下にあると思います。という意味ではイーロン・マスクよりはルネ・ジラールに影響を受けたピーター・ティールが私に近しい)。

・日本未来加速主義のビジョン   


  横浜へ行くと、特にみなとみらいあたりがこれからの思想だと思う。

 PSYCHO-PASSや攻殻機動隊でも中華街はよく使われている。

 元カノとめちゃくちゃ仲悪いですが、勉強と評してブスッとしながら、最新式の中華の空飛ぶ機械みたいな紐がついたヤツに乗りました。

 その日は全く楽しいことにならなくて、すぐお互いに帰りましたが、あれが日本が目指す一つのビジョンでみなとみらいあたりに東京藝術大学があるのも、それだと思う。

・ベーシック・インカム/陽キャ哲学/医学部YouTuber批評

 3つは説明は省きますが、今後起きる延命された近代主義です。

・結論

 昔ARTISTとしてただ雑にYouTuber動画をあげたところ、不謹慎やお笑いよりも批評だけがバズり、様々な誤読にあって、仕方なく描きたくない本を出したのが『本は破れ!』です。

 本は破れ!はもう過去の本なんでボク自身は興味すらないんですが、ボクのやりたいことや自己紹介には使えて、1言でまとめると、

メタバース化する現実に意味論の不可知さを列挙し続け、極めて終わった理系も文系も超越せよ。

という当たり前の結論を発信し普及するのが私の批評系YouTuberとしての使命です。

 私は学生時代にメタバース研究、SNSプラットフォームでAIや数学で人々をコントロールすることを研究していて、株式会社DeNAへ渡り、実際に人々が数学によってコントロールされる様を8年?以上前に見ました。

 一方で文系としては英米哲学を勉強していて、しかし、理系にも文系にも興味がないので、これから社会がメタバース、SNSのプラットフォーマーの奴隷、ようするに社会がパチンコになる世界をボク自身はユートピアだと捉えていて、そのユートピア的な世界観をどうポジティブに広げてゆくかが?私の使命なのです。

 社会は存在しない。

 文学としては否定的でも、あるいは科学としては冷笑できても、現実は現実。

 メタバース以降に我々はARTぐらいしかやることがない。

 本は破れ!

 以上、宇宙人ではない人間の古田更一でした。

〈追記〉

 当たり前の論理プロレスを話しているわけで、社会はパチンコになります。

 パチンコこそ社会。

 不謹慎すぎるかもしれやせんが、これがZ世代論客の出した回答です。

 成田悠輔さんはメンヘラにすぎません。尊敬しているけども、病が悪化します、あれは。

 

 

 
 

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