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【創作】空想講義(1)

人生論(第15回)

講義概要には「第15回 生きるということ」と、
締めくくりには相応しいタイトルとなっていた。
何気なく受けていた講義ではあるが、
この回だけはしっかりと聴こうと思っていた。
(テストが近いということもある)

そんなことを考えていたら、
教授がやってきて、講義が始まった。

 今日が最後の講義となりますね。15回にわたって「人生論」などと大層な科目名で話してきたわけですが、偉そうに語っている私も……実は、人生については未だに悩んでばかりです。ただ、最後にこれだけは言いたいと思って「生きるということ」というタイトルにしました。
 皆さんは、これから大学を巣立ち、社会人になるわけです。そして、とてつもなく長い社会人生活を送るわけですが……それが終わった後のことは、考えているでしょうか?もしかしたら、その後の時間の方を長く感じてしまうかもしれませんよ?なぜなら、急に今までしてきた仕事が日常から無くなり、趣味等があまりない人であれば、毎日のすべきことを探す日々が始まるわけですから。仕事以外の人付き合いが無ければ、もちろん会話を交わす相手なども急に限られてしまうのです。もしかしたら、会話をしない日だってあるかもしれない。だから、生きるということを考える時は長期的視野で考えることが大切だと考えています。
 先日、「ペンションメッツァ」という作品を観ました。とても素敵な作品なので機会があれば観て欲しいのですが、今回はその1回目に出てきた台詞に着目したいと思います。それは、「人は時々、誰かのために何かをしないと、ダメになっていく生き物である」という台詞です。個人的には、仕事を引退した後は、人と接することを最低限にし、自分の好きなことに没頭したいと考えていたのですが……どうやら、この考え方ではいけないようです。
 「人生」という言葉は、「人を生きる」とも解釈できると思います。社会人であれ、老人であれ、生きている限りは人として存在することを求められるわけです。となると、仕事を辞めたとしても……必要最低限の繋がりを維持しないと、人間としては衰えていく一方になるわけです。たとえ社会人として相当な苦労をされたとしても、年老いた時に人としての役割を忘れてしまうと……今頑張っている人の足を引っ張ることになりかねないのです。ゆえに、どんな方法であっても人と繋がっていることが大切になってくるのです。これは、自分が自分であり続けるためにも必要です。けれども、繋がっているだけではダメで、時と場合にもよりますが……誰かに迷惑をかけるなどはしてはいけないと思います。
 結局、人は孤独を愛する一方で、人との繋がりを維持しなければならない……というよりかは求めなければいけないのですね。ここでも「ペンションメッツァ」の台詞を借りれば、「人間とは厄介な生き物」でもあるわけです。
 さてさて、90分もあるこの講義ですが……語るだけでは意味がないと思いますので、今日はこれで終わろうと思います。残りの講義時間は、皆さんに差し上げたいと思います。その時間で、ぜひ「生きるとはどういうことか」を自分自身に問うてみてもらいたいと思います。これは、テストでも論述問題で必ず出したいと思うので、テスト勉強も兼ねて頑張ってみてください。
 私は空いた時間で……美味しい珈琲でも飲みに行きたいと思います。老後は珈琲屋巡りもいいかもしれませんね、人としての生きる意味を探す活動に時間を費やすわけだから、私にとっても有意義な時間になりそうです。それでは、15回お付き合いいただき、ありがとうございました。またどこかで、お会いできたら。

一方的に話し終えると、
教授は教室を出て行ってしまった。
周りのみんなは喜んで、教室を後にしたが…
自分は人として生きる意味を…黙って考えているのだった。

(さいごに)
あくまでも創作ですので、そこのところはご承知おきを。
せっかくのnote、色々試してみようと思います。

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