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ジュヴァンタン著『ダーウィンの隠された素顔』よりプロローグを公開!

 2024年9月の新刊、ピエール・ジュヴァンタン著/杉村昌昭訳『ダーウィンの隠された素顔──人間の動物性とは何か』より「プロローグ」を公開いたします。

 本書は、フランスを代表する動物行動学者・ジュヴァンタン氏が、『種の起源』公刊時より続く進化論の「誤読」の歴史を検証し、ダーウィン自身の著述をもとに、この謎めいた天才の精神の内奥に迫る、まったく新しいダーウィン論です。

 ダーウィンの主著『種の起源』および『人間の由来』では、何が書かれ、何が書かれなかったのか。ダーウィン自身は、一大ブームを巻き起こした社会進化論をどのように見ていたのか。そして、生存闘争だけが進化・自然選択の原理なのか。長年にわたり動物の生態を研究してきた氏の科学者としての知見と、社会思想史に関する広汎な知識が融合した一冊、どうぞご期待ください。

 *転載にあたり、一部表記と注を割愛しております。


プロローグ──ダーウィン、この有名なのに未知の人 

ペシミズムとオプティミズム、貴族主義と民主主義、個人主義と社会主義、こういった相対立する思想が、長い間ダーウィン思想を断片化して競い合うことになる。

セレスタン・ブグレ、ケンブリッジでのダーウィン生誕100周年記念式典、1909年

 ディエゴ・リベラは芸術の歴史のなかで「壁面主義」の代表者として知られている。このメキシコの芸術運動は1930年代に、『ファシズムの過程』、『人類の行進』〔以上、シケイロス作〕、とりわけ『十字路の人物』〔リベラ作〕などの大フレスコ画によって民衆を教化していた。ネルソン・ロックフェラーが自分の大会社の建物〔ニューヨークのロックフェラー・センター〕に設置するために注文したこの巨大な絵画のなかで、リベラは産業時代の2つの主要イデオロギーである社会主義と自由主義を顕揚している。中央に置かれた人物の左側には当然のごとくあらゆるマルクス主義革命家が配置されている。リベラがコミュニストであったからだ。しかし右端にはストライキを弾圧する警官とドイツ軍の兵士が描かれていて、その真ん中に学者ダーウィンの姿が見える……

ディエゴ・リベラ『十字路の人物』1933(復元版)
写真:Gumr51, CC-BY-SA-3.0

 この有名な科学者がどうして、誰も羨ましく思わないようなこの場所に置かれているのだろうか? 私はフランス国立科学研究センター(CNRS)の研究ディレクターとしての長いキャリアのなかで、世界各地で研究してきた鳥類や哺乳類の環境適応を説明するために、一貫してダーウィンの進化論に依拠してきた。9年にわたる南極大陸への滞在のあいだも、私はこの誰もが知っている人物から私の思想を切り離すことはできなかった。しかしこの人物はこのうえなく透明なように見えて、じつは明らかに不明な諸要素を抱え込んでもいる。鋭敏で優れた洞察力を持つこの学者が、自分のつくった進化論の社会的帰結を知らなかったはずはあるまい。私は定年退職した後、「ダーウィンの隠された顔」、動物や生命科学よりも人間や人間のイデオロギーに関わる彼の危険な遺産を解明することにした。以下に私がまとめて記すのは、この長期にわたる調査の結果である。ダーウィンの生活と著作に影の部分はない。世界を経巡る大旅行を除いたら、ダーウィンはほとんどの時間自宅にこもって著作に専念した。そして彼の著作の結論はほとんどつねに確固たるものとして評価された。ではなぜ、150年前に発見され専門家によって認定されてもいる彼の大発見をめぐって、いまなお議論が存続しているのだろうか。それはなぜかと言うと、この議論の争点が〈種の起源〉の射程を超えて、もっと大きな問題に関わっているからだと私には思われる。

 地球は今から45億年前にできた。そして生命は38億年前に現れた。哺乳類は2億年前に現れ、霊長類の人類は250万年前から多様化してきた。人類は今のわれわれの種に到達するまで連綿と続いてきたと最近まで信じられていたが、毎年新たな人間種が発見されている。多くの分枝を持つこの人間種の系統図のなかで、われわれの種が唯一生き残っている。このホモ・サピエンスはたかだか20万年前から存在しているにすぎないが、それがどこから来たのか、また何者なのか、自問し続けている。ホモ・サピエンスが長いあいだ狩猟採集の生活をしていたことは、洞窟画や狩猟採集人の生き残りの存在が証明している。その後ホモ・サピエンスは植物を育て動物を家畜化して安定した栄養の取り方を見つけた。ホモ・サピエンスはこの自然支配に慢心して、数千年前から自らを万物の王であると見なすようになった。ホモ・サピエンスが長いあいだ続いたこの神話的想像世界から科学的証明の次元へと移行したのはたった150年前のことである。今日、われわれの起源は動物であるという主張は、少なくとも教養ある人々の間では当たり前のものとなった。しかし多くの現代人にとって、そのことの社会的射程をどう評価するかという問題が残されている。

 この本は不偏不党たろうとするものではない。それに、これほど社会性の強いテーマにおいて、中立性を保証するものなどないだろう。科学の歴史、なかんずく思想の歴史においては、議論の余地のない事柄はほとんどない。とくにダーウィンというこの本の主人公は、きわめて知的であるにもかかわらず不可解で複雑きわまりない人物であるため、どう解釈するかが重要になる。それゆえ私は自分の立ち位置を踏まえながら、対立する意見を提供しなくてはならない。そして客観性など不可能であると高を括ってはならない。したがってこのエッセーは、ダーウィニズムからその「精髄中の精髄」を抽出し、この静穏な学者、穏健な一家の長を、その内奥にある動機に至るまで、聖像破壊を恐れずに追いつめようとするものである。その結果、われわれは生物学者としてだけでなく人類学者としてのダーウィンという、従来のイメージとはいささかずれた肖像を提供することになるだろう。

 われわれはこの本の前半部分で、進化論の要約と世界中の思想の歴史を一変させた「ダーウィン戦争」の要約を行なう。後半部分で、本質的でこのうえなく今日的な諸問題を提起する。すなわち以下のような問題である。ダーウィニズムは単なる科学理論なのか、あるいはまた哲学的含意を有しているのか? 競争が自然選択の唯一の原動力なのか、あるいは社会主義者ピョートル・クロポトキンが唱えた相互扶助が自然選択を補足するのではないか? ダーウィン以後の科学の発展は、社会進化についてのダーウィンの問いを、どんな点で確証し存続させているか? 今日、この偉人の思想に沿って考えたとき、われわれは最も魅惑的でありながら最も神秘的でもある人間という種についての理解を改良することができるか?

 ダーウィンの伝記はたくさんある。フランスでは、パトリック・トールが、ダーウィン自身をはじめ多くの生物学者が否定する、彼の人類学者としての隠された顔を明らかにした。私としては、動物行動学ならびに進化生態学における私の半世紀におよぶ研究経験を利用して、ダーウィンの科学的メッセージに現代的意味を与えなおし、われわれ人間という種についての彼の問いを存続させる試みをしたい。ダーウィンの大著『種の起源』の刊行から今日まで、議論や論争が絶えず行なわれてきた。その間に、彼の著作の科学的評価は確定したように見えるが、その人類学的メッセージは往々にして否定されるかほとんど理解されてこなかった。それどころか誤解もされてきた。遺伝学、動物行動学、生態学(エコロジー)、古人類学、社会的行動の進化などの領域で相次いで起きた大きな発見が、全体的展望のなかに置かれることはめったになかった。われわれはその展望をはっきりさせようと思う。たしかに科学的次元においては、進化論は論争の余地がないほどまでに確立されているが、しかしそれは見かけほど単純ではない。とくにこの生き物の世界の唯物論的説明の結論が、われわれ人間との関わりにおいてあまりにも近視眼的であることは見逃せない。つまり、大半の生物学者はダーウィニズムのなかに事実だけしか見ようとせず、また大半の人文科学の研究者はそこに思想だけしか見ようとしないため、ダーウィニズムの社会的含意が否定されてしまっているのである。このように専門家のあいだでも解釈が完全に分岐していることは、昔も今も、科学的、宗教的、倫理的、経済的、政治的な次元において混乱が生じていることを示している。われわれはより明晰な目をもって、生誕200年の機に顕揚され公認されたアカデミックなダーウィン像を踏み越えていこうと思う。


ピエール・ジュヴァンタン 著/杉村昌昭 訳
叢書・ウニベルシタス1177
『ダーウィンの隠された素顔──人間の動物性とは何か』
46判上製/310頁/定価(本体3,600円+税)
ISBN978-4-588-01177-1
2024年9月19日配本予定


目次

プロローグ──ダーウィン、この有名なのに未知の人

第一章 進化の発明
 「落ちこぼれ」のとんでもない考え
 ミステリーのミステリー
 〈大建築家〉のプランとは何だったか?
 尺度とパラダイムを変えなくてはならない
 誰が進化を発見したのか?

第二章 社会ダーウィニズム
 北アメリカの資本主義
 フランスにおける生物学的レイシズムの創設
 イギリスの優生学
 ドイツのナチズム
 生存闘争

第三章 ダーウィン社会主義
 イギリスのマルクス主義
 ソ連のルイセンコ主義
 ヨーロッパのアナキズム
 利他行動の生物学
 先天性か後天性か?
 社会生物学という爆弾

第四章 ダーウィニズムの社会的射程
 インテリジェント・デザインの祖先としての自然神学
 悪魔の福音
 不道徳な学説
 ダーウィニズムの道徳的射程

第五章 ダーウィン的社会
 資本主義社会の反映
 ダーウィン左派
 ダーウィンは右派か?
 人間的例外とは何か
 真のダーウィンとは何者か

エピローグ──ダーウィニズムの奥深さ

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