![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77496779/rectangle_large_type_2_ac292bfd369fde977589363bcdd426a9.png?width=800)
The Farewell Message
物語は、本に記されているとは限らない。
無限のストーリーとメッセージが
空に浮かぶ雲に、風に揺らぐ葉に、
雪の上に残された獣の足跡に、常時綴られ続ける。
終わりのないそれを読み始めたら最後、
夢中でページをめくり続けるしかない。
いにしえより、山を歩くということは
物語を読み解くことと同義であったと、私は考えている。
印刷された文章を読むのと違うのは、
文字のように意味を限定された記号を辿るのではない、ということ。
作家が書いた物語と違うのは、
自分自身がリアルに登場人物の一人だということ。
自由にストーリーラインを構築すると同時に、
結末にも自らが責任を持たなくてはならない。
私が森羅万象と共に創り上げる物語は、
足という鉛筆をすり減らし、
体内に滾る血潮をインクとして書かれている一点に於いて、
唯一無二の命が宿る。
そしてある日、私が語った、
あるいは語らされたのは、
鉛筆が折れ、インクも尽きた一頭の鹿が
雪の上に置き去りにしていった物語だった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77496817/picture_pc_169fc98845425398c3f1a33b6cc8006f.png?width=800)
2022年3月26日。
6年の北海道生活の締めくくりとなる講演を行った。
一番お世話になった、愛着のある店で
1時間半のトークを、連続して2回。
有難いことに、2回とも満席だった。
初めて会う方もいれば
何度も酒を酌み交わし、共に鹿を獲った仲間もいたが、
狩猟と同じく、全てをまっさらな基盤から、
場を構築してゆく。
山の語り部として生きたい私にとって、
毎回が一期一会の真剣勝負。
この一球で自分の肩が壊れても悔いはないと
最終イニングの甲子園のマウンドに立つ球児のように
持てる力の全てをふり絞り、ど真ん中に直球を投げ込むだけだ。
言葉と同時に、この日準備していたのは一本の後脚。
先端が失われた、大きな雄鹿の後脚だった。
講演のちょうど一週間前。
私は雪山で、彼を撃った。
最初に見つけた時にはその欠損に気づかなかった。
しかし彼は、しばらく走るとすぐに止まった。
雪は深くはあったが、巨大な雄の膂力があれば
逃げおおせることもできたはずだ。
私は多少の違和感を抱えながら引き金を引いた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77496980/picture_pc_8163e802bc31f1503ee7872ef6ba52ac.jpg?width=800)
仕留めた鹿を検証する過程で
彼が三本脚であったことを知った瞬間、
私は彼の前に跪いた。
記録的な豪雪の冬。
植物は深い雪の下に埋まり、
歩くことは困難を極めたはずだ。
健康な鹿でさえ、難儀したであろう冬を
よくぞ、この体で生き抜いた。
私にとっての、真の英雄。
畏敬の念しかない。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497030/picture_pc_e77ba777be219e9923a172c477d11342.jpg?width=800)
先端のない脚を入念に観察している内に、
今度は混乱が生じた。
まずは、断面。
折れた骨の先端は、既に肉で覆われて見えないが、
傷口はピンク色をしており、
うっすらと血も滲んでいる。
それは、この傷口が新しいことを示唆している。
一方、断面を取り巻く皮膚。
本来は毛皮であったものが、
断面から数センチ上まで毛が抜け、真っ黒になっている。
触ってみると、僅かな弾力がありながらも非常に硬い。
この色と感触を持つ部位を知っている。
常に直接地面を踏み締める、蹄だ。
通常の皮膚が蹄と化していくことには、心底驚いた。
しかし、通常の毛が抜け、露出した皮膚が黒くなり、
角質化してゆくのには、相当の時間がかかるはずだ。
新鮮な血が滲んでいる断面部分とは矛盾する。
一体、どういうことなのだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497065/picture_pc_b166dbe31ac26d330de61f3ccf3ad137.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497067/picture_pc_444615e5aadde5803425b9736ef53da1.jpg?width=800)
まずは、怪我の原因から考えてみた。
通常の骨折くらいなら、骨は癒着して治癒し、
そこから先が欠損するとは考えにくい。
脚が切断されるほどの大怪我。
一つ、思い当たる節があった。
くくり罠だ。
罠を踏むと、ワイヤーロープが投げ縄のように脚にかかる。
逃げようと大暴れした鹿や猪が
自分の脚を引きちぎって逃げる、という報告例は多々ある.
人間では信じられない行動だ。
想像してほしい。
仮に貴方が、足首に鉄の輪をはめられたとする。
たとえ生命の危険を感じたとしても、
鋭利な刃物もなく、自分の力だけで
足首をもぎ取って逃走することなどできるだろうか。
しかし、野生動物はそれをやるのだ。
更に推理を進める。
無理矢理に引きちぎった脚の先端は、骨が折れたまま
しばらくブラブラと垂れ下がっていたのではないか。
徐々に壊死していく中で、鹿は傷口を地面につく機会が増え、
肉は盛り上がり、皮膚は角質化していった。
そしてある日、壊死した部分がポロリと落ちた。
それであれば、傷口の断面はかさぶたが剥げた時と
同じような状態になるだろう。
(後日、知り合いの医師に聞いてみたが、
妥当な推測、とのことであった。)
凄まじい生への執念。
不屈の闘志。
命を落として尚、私の心を奮い立たせてくれる。
私の想像に過ぎなくはあるが、彼の生き様の一部始終を
集まってくれた皆さんに力の限り話した。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497203/picture_pc_7d8a6dafef4ca4e99a823ffb84adab89.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497204/picture_pc_1b5a8cd5767620a033957f73a8796c82.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497200/picture_pc_457feee7e1f9817922288060466e0375.png?width=800)
講演後。
ぴっちりとしたゴム手袋を両手にはめる。
皆の前で、先端の欠損したまさにその脚をテーブルに乗せる。
彼の喉元にとどめを刺した、愛用の狩猟ナイフを取り出す。
一片の肉も骨に残らないよう、丁寧にナイフを入れ、
脱骨と、精肉を進める。
観客にとって、その行為もまた
文章で綴られていない物語の一部であり、
しばらくの後に運ばれてきたローストを、
分かち合って食べることも同様だ。
誇り高き命を賞賛しながら、かぶりつく。
反発してくる歯応えは彼の強さ。
噛み締めれば噛み締めるほど
口の中に広がる肉汁は、
聞かされたばかりのストーリーと共に
体と心に取り込まれてゆく。
これほど見事に、個と個が結びついた肉があったろうか。
最早、ただの肉、ただの食事ではない。
メッセージを受け取る、という行為と、
咀嚼して嚥下する、という行為が
完全に融合している。
この時、会場を包んでいた一体感と高揚感を
私は生涯忘れることはない。
この経験をシェアした全員も、きっと。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497240/picture_pc_8fd3e8b0cdfb0e062384d265093dd2a8.png?width=800)
この肉を食べた皆が、苦境に立たされた時。
巨大な雄鹿が時空を超えて燦然と現れ、
三本脚のままに力強く導いてくれるに違いない。
彼が歩んだ苦難の道のりは、
いつまでも我々の心を貫く、一筋の光となったのだ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77497251/picture_pc_bbf76384924dd0e0884e76314d8df1b5.png?width=800)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?