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Hundreds Colorsです。
今回のキーワードのようなものは「雑談の相対的な価値」。

テレワークはいいんだけど、今までの「そういうものだ」という思い込みに気がついた。
自分だけがおかしいのでは?と思っていたこともあるが、
今、気がついた気がするのは、それは「デファクトスタンダード」であったのではないか?ということ。つまり、「どこかで思い込んだあり方、姿、進め方」。

本当に「そういうものなのである!」を信じて良いのだろうか?
例えば、職場の自動販売機の前で始まる雑談、街から通り過ぎるときに聞こえる雑談、喫茶ランドリーで聞こえてくる雑談。
そして、気がつくと雑談をめぐる雑感をメモしていた。

周囲を観察したり、いろいろな方との対談や対話で勉強していると、雑談の価値を巡って回帰していくのは「情報共有」であるし、「理念とかビジョンの共有」が大切だということ。
いやいや、現場目線で言うと「これって少し教科書すぎ」かもしれないとも思う。間違っても、正論よろしくオンライン環境である時こそ、「目的共有だ!」とか「ビジョンの共有だ!」とか言えない。

理論は確かに整理されてすっきりするが、そこには「一般化の罠」もある。
「わかっちゃいるけど、でもねー」と言う声が聞こえてきそうだ。
マクロで全体地図のようなものを感じつつ、ミクロで個別事象と対話をするとき、やっぱり大切なのは教科書的な「〇〇共有」ではない側面もあるのが現実なのだろう。

当たり前だが、不思議と鍵になるのは、オンラインまたはオフラインの出会いに関わらず

を知っている」×「本人のを知っている」
→「心理的に安全になっていった」

と言う感じなのではないだろうか?

書き出すと、当たり前すぎるし、あまりにも人間的だ。

2021年1月くらいから日本でもclubhouseが急激に盛り上がり始めた。
clubhouseは、人間的な感覚を強烈に気づかせてくれるすごいものなのだと、感じている。

人事の人事ではなくて、経営戦略として組織開発の専門職として仕事をしていて、最近の雑感メモとして書き出した。

雑談をめぐるRedundancy(冗長さ)メモ

福岡伸一先生の書籍「動的平衡」でエントロピー増大の法則を知った。
新型感染症によって私たちが経験している「物理的な分断」は、今までデファクトスタンダードに「そもそも論」を何度も問い直す時期なのだろうと思う。まさに「そういうものだ」ということが「それって違うかも?」というエネルギーが大きくなって、一度リセットするようなものだ。
整理整頓されていた部屋が時間がたつと「おかしいな、散らかっている。断捨離したいな」と感じる瞬間があるように。
たしか、福岡先生の著書の中で「細胞は自分を作った瞬間から、自ら壊し始めている」という表現があったが、今、もう一度、本質的に感じる。

雑談を巡って、今、有益なことと無駄なことが浮き出てきたのではないだろうか?

★場所、国境すら制約はない


文字通りである。
オンラインセミナーも、日本だけでなく、地球の裏側のコンテンツを臨場感モリモリのライブで拝聴できる。行きたくても行けないアメリカのAssociation for Talent Developmentの登壇者の話も、深夜に早起きして前のめりで聴ける。
リッチな時間の使い方である。

そう言えば、2018年頃に、ドキドキしながらルワンダの社会人学生に「平和は教育から作られる」と言うコンセプトで、zoomでオンラインクラスをしたのが懐かしい。飢餓や貧困をなくすためには、自国の人間が学び、ビジネスモデルを作ることで社会課題を解決する他に、方法はないのだろうと確信した。
そこに、実際の解決になるのが、人工知能、ブロックチェーンなどのテクノロジーを組み合わせて、Peace Tech Educationの提供に関わっていた時を思い出す。。

★会えないクラスの方が自分のために映っている


かつて、オフラインでは対面開催のホールでも100メートルくらい離れたところから著名な経営者や研究者の話を聞いていた。
今は、違う。
良い意味で1000%ストレートに自分に語りかけられるような感覚が画面から伝わってくる。
不思議とオンラインでも、感情的にも知的にも興奮する。
これも、贅沢なことだ!
確かに物理的な分断はあるが、実際に会ったことがない方でも、
オンラインで何度もお顔と顔を拝見していると、感情価値のようなものが高まるという感覚がある。

★雑談のトピックがあれば…オンラインでもいいみたい

ところが、仕事環境になると少し事情が異なる。
雑談するためのチャットルームや、オンラインミーティングを、ポップアップさせるように始めてみた。
タイミングの問題もあるとは思うが、1つの気づきがあった。
「おしゃべりチャネル」作りました!と、
オンラインに「場」を作ってみた。
たとえ、顔見知りでも、トピックがないと雑談は始まらないのが不思議だった。翻って、緩いトピックを設定しておくと、とても盛り上がった。

★雑談はポロリと弱さを出せる場なのではないか?

ここ3年くらい組織開発をする中で「弱さを出す勇気」を持った方が、結果として強い組織になれるのだ、と言い続けている。
雑談の相対的な価値の高まりは、「強いコミュニティを作るには、強い個人を作るのではなく、多様性を包摂する経験値と心理的資本としてのレジリエンスが高めること」の説得力も増加させたのだと思う。

もう一つ。
コロナ禍の前から「権威や情報が中央にあることで集権的なパワーを持っていた世界から、個が情報を分かち合いながら自律的に暮らす世界になってきたよ!」って、発信している。
その一方で、「それは、IT企業だけだ」とか「言っていることは分かるけどね」と言う現実の声をいただく。
引き続き対話を続けていこうと思う。

対話というよりは、すれ違いのエレベーター雑談で。

★偶発性の顔をする雑談

「偶発性をしかける」というのは矛盾がある日本語である。
偶然に「あの時聞いた〇〇」という雑談の切れっ端に触れる回数をオフラインでもオンラインでも積み重ねられることが、いかにも偶然の顔をした雑談のインパクトのような気がする。

その最も強い要素は、「本人の声」なのだなー、と確信を得た気がする。
当たり前すぎるくらい、人間的で、逆タイムマシンのような。。。
そして、逆説的に感じてしまうのが、さらに面白い。

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