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旅するように、戸締まるように─『すずめの戸締まり』と〈廃墟〉のモチーフ

この文章は『青春ヘラver.6「情緒終末旅行」』に収録されたものです。完全版は冊子をお買い求めください。

序章

 二〇二二年十一月に公開された映画『すずめの戸締まり』は、一ヶ月半ほど経った現在(二〇二二年十二月末)も記録を伸ばし続け、原稿の執筆を始めた今、ちょうど興行収入百億円を突破している。この映画の情報が初めて公表されたのは二〇二一年の冬だった。当時はまだ「少女が日本各地の寂れた土地を巡るロードムービー」としか思っておらず、後にもう一つの重要なテーマである〈震災〉が結びつけられることも知らなかった。つまり、新海監督の出発点はあくまで「旅をしながら土地を悼む物語」だったのだ。一年前の僕は、喜んで『青春ヘラver.6』のテーマを「終末旅行」とすることに決めた。
 しかし実際のところ、新海自身は始点となった〈廃墟〉というテーマに対して明確な答えを出していない。一方で、一度見れば分かるように、後から付け加えられた〈震災〉に対しては充分に答えている。初めから〈廃墟〉を中心としたロードムービーだと思って映画館に足を運んだ僕にとって、前半の〈廃墟〉への回答を無理やり〈震災〉についてのアンサーへスライドさせてしまったことは、作品の中に複雑なねじれを生んでしまっていた。「土地を悼む物語」は、物語が進むにつれて「忘れられていく土地と記憶の話」に変わり、最終的には「その代表例である震災の場所と記憶について」に変貌していく。新海誠はなぜ廃墟に対するリアクションを曖昧にしたまま、焦点を〈震災〉に移したのだろうか。僕はここから『すずめの戸締まり』を考えたい。
 本稿は、少なくとも単なる批評やエッセイではない。ある角度から見れば紀行文のようにも見えるし、別の角度から見れば一つの作品を巡った評論にも見えるだろう。しかし、今回扱う『すずめの戸締まり』という作品が、日本各地に赴き、寂れた土地を悼むロードムービーである以上、それに関する文章もロードムービー的な語り口調にならざるを得なかった。これが、本稿の奇妙な構成と文体の原因である。

第一章 廃墟

《友ヶ島》

 世間的な夏の終わりとは八月三十一日を指すのだろうが、大学生にとっては九月もまだ夏だ。夏休みが終わらない限り、夏は続いていく。「今年も青春できなかった」と嘆く九月半ば、僕はとある島に来ていた。紀淡海峡に浮かぶ《友ヶ島》は、区分的には和歌山県に属する無人島である。なんばから電車で約二時間。加太港から出ているフェリーが唯一の交通手段だ。時刻表を確認すると、繁忙期以外は一日に四便出ているようだった。「お早めの集合をお願いします」との文言に、遅れて取り残された場合のことを考えて冷や汗をかいた。

加太の海。すごく澄んでいる。

 フェリーの待ち時間まで、近くの海を散歩して時間を潰す。加太は水が澄んでいて、温かい印象を受けた。地元で見てきた海は、いつだって日本海特有の鈍重さが重苦しかった。全部繋がっているのに、反対側の海を眺めて安心するというのもおかしな話だ。
 平日に来ていることもあり、乗客はそれほど多くなかった。久々に乗り込むフェリーの感じに、ちょっとわくわくする。船はエンジン音がうるさくて移動中に会話が発生しないところが美点だったと、なんだか懐かしくなる。潮の香りが夏の終わりを切なげに告げていた。
 海に揺られること数十分、上陸してまず目に入るのは『サマータイムレンダ』の等身大パネル。友ヶ島をモデルにした漫画で、タイアップのキャンペーン中のようだ。この旅は聖地巡礼も兼ねている。とりあえず、最高の景色をバックに注文したクリームソーダと焼きそばを口にする。改めて地図を確認し、遺跡を巡るのに最適なルートを復習すると、いよいよ山に入っていく。

サマータイムレンダの正ヒロインこと潮

 正直に言うと、歩き始めてから五分ほど経った時点で「あ、これ無理だ」と思い始めていた。普段から全く運動をしない出不精の僕が、まあまあ険しい山道をまあまあ高い気温の中歩き回るのは、無謀以外の何物でもない。
 とはいえ、次のフェリーは二時間後。その間何もしないわけにもいかないので、翌日の筋肉痛を覚悟しながら歩を進めていく。幸い、木陰を歩くおかげで暑さはそれほど問題ではなかった。夏が終わったら体力をつけようと心に誓った。
 東回りのルートを登っていくと、程なくして《第三砲台跡》に辿り着く。友ヶ島最大の見所にして最高の廃墟だ。明治時代、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で旧日本軍が造ったものらしい。中に入ってみると、空気が一変する。気温が一気に下がり、霊的な存在まで感じられそうなくらいだ。廃墟=心霊スポットと言われる由縁が、この一瞬で分かったような気がする。

第三砲台跡

 廃墟の美学を専門に研究したエリザベス・スカブローは、美的鑑賞の対象としての廃墟を、次のように定義する。

(a)かなりの期間存続するように設計された建築的要素を取り入れており、
(b)朽ち(decay)の過程にあり、
(c)人工的要素への自然による浸食において、あるいは、人工的要素の使用価値の変更を通じて、そのものが自らの歳時的価値(age-value)を示しており、
(d)その朽ちの過程を通じて、新たな匿名の美的統一(aesthetic unity)を創り出している。

以上のような定義を踏まえれば、友ヶ島の砲台跡は廃墟としての要件を満たしているように思える。しかし、萬屋による「被爆建築の美学 旧広島陸軍被服支廠を中心に」は、ウォルトンの「芸術のカテゴリー」を敷衍した「美的カテゴリー」としながら、美的鑑賞の対象としての〈遺跡〉と〈廃墟〉を区別する。

 まず、非美的カテゴリーとしての「廃墟」はすでに使われなくなった建築を指しており、非美的カテゴリーとしての「遺跡」 は過去の人間の営為の痕跡が残されている場所のことを指している。例えば、何らかの目的で建設されたにもかかわらず、一度も使われずに放置されたままの建築は、非美的カテゴリー としての「廃墟」には属するが「遺跡」には属さないだろう。また、非美的カテゴリーとしての「廃墟」と「遺跡」の中に、それぞれ美的カテゴリーとして の「廃墟」と「遺跡」が属する。そして、美的カテゴリーとしての「遺跡」は、 非美的カテゴリーとしての「遺跡」の中でも、特に人間の営為の痕跡が一定の歴史的価値を持つと認められている場所のことである。
 美的カテゴリーとしての「遺跡」は、一定の歴史的価値が認められた痕跡を標準的特徴として持っている。そうした「遺跡」の種類は、痕跡から読み取れる人間の営為に応じて区別される。例えば、生産遺跡は製造の痕跡によって特定され、祭祀遺跡は宗教儀礼の痕跡によって特定されるだろう。
 では、美的カテゴリーとしての「遺跡」は、いかなる点で美的カテゴリーとの「廃墟」と異なるのだろうか。その違いは、〈朽ち〉が「廃墟」の標準的特徴であるのに対し、「遺跡」の標準的特徴ではないという点にある。つまり、〈朽ち〉に着目すれば「廃墟」として、痕跡に着目すれば「遺跡」として知覚されることになるのである。以上の見解に基づけば、被爆建築は美的カテゴリーとしての「遺跡」に属しており、その限りで美的鑑賞の対象としてみなされるだろう。

萬屋博喜「被爆建築の美学 旧広島陸軍被服支廠を中心に」『フィルカル Vol. 7, No. 2』
(株式会社ミュー、二〇二二)

 ここで注目したいのは、『すずめの戸締まり』における〈廃墟〉の描かれ方である。主人公の鈴芽が巡った土地(廃墟)は、「宮崎の温泉街 → 愛媛の廃校 → 神戸の遊園地 → 東京の皇居近く → 東北の被災地」の順となっている。いずれも「寂れた、忘れられた土地」だと新海が捉えているから選ばれたのだろう。なぜ東京が廃校や廃遊園地と同じように並んでいるのかは後で考えるとして、まずは前半三つの〈廃墟〉に着目したい。萬屋が述べているように、〈廃墟〉と〈遺跡〉は本来、異なる対象を指す。そもそも、時間経過で徐々に朽ちていく〈廃墟〉と、一瞬のうちに壊れたものとしての〈遺跡〉は時間的な意識が異なる。『すずめの戸締まり』における〈廃墟〉は、「(長い時間をかけて)ゆっくりと朽ちるもの」として〈廃墟〉を扱う。そこで朽ちていくのは、建物だけではない。我々の記憶も朽ちて(薄れて)いく。忘れてはならないことを忘れていくことへの天罰的なシステムとして、後ろ戸からはミミズが出てくる。


 砲台跡は、中に入れば入るほど薄暗くなっていく。ホラーや暗所が苦手な人には、かなり怖いかもしれない。内部には様々な痕跡がある。唐突に巨大な穴が出現し、砲弾が置かれていたのだろうかと妄想したりする。割れた窓ガラス。欠けた階段。不勉強ゆえここが実際に使われたのかどうかは分からないが、第二次世界大戦とは違った「戦争」のリアリティを想起させる場所だった。

第三砲台跡を内側から見た図

 萬屋の論考では、広島陸軍被服支廠に対して美的判断を行う際の特徴を三つに分類するが、その一つに「戦争の痕跡を知覚することで感情と組み合わさって、過去の歴史的出来事への想像的参与へと鑑賞者を動機づける理由を与える」があると指摘する。また、同誌所収の難波優輝「みえかくれする人影 廃墟と意図の美学」では、廃墟の美的性質を「意図を見出したり、見出しかねたり、幾層も重なる美的意図の痕跡を読んだり、過去の人間たちの非美的な意図が美的意図と重なることで味わいが生まれ」、それがどちらなのか不明なまま放り出される、いわば「意図の宙づり」状態が生じ、それが廃墟鑑賞の快楽に繋がると述べる【1】。
 廃墟の魅力とは奇妙なものだ。人がいない場所で人の痕跡を感じることが快になるというアンビバレントな構造を基礎としている。作中、鈴芽が廃墟をくまなく探索し、人のいた痕跡を確認する作業は描かれない。小説版でも、廃墟に関する詳細な記述はほとんどない。それに対し、鈴芽が戸締まりする際に触れる記憶 ──かつてここにあったはずの景色。ここにいたはずの人々。その感情。──は、やけに詳しく描写される。ただ寂れた土地に後ろ戸が出現し、それを閉めるだけではいけない。後ろ戸が閉まる条件は、「忘れられていたことを思い出す」ことである。それがあくまで想像の域を出ないものだとしても、鈴芽が幻視する過去の風景や聞こえてくる声を拾い上げることは、廃墟を美的対象として鑑賞することの意義と重なる部分がある。
 鑑賞者にかつての建築物や思考や情動を想像させることが廃墟の美的価値であり、新海が「忘れ去られたことを思い出す」きっかけとして廃墟を選んだ理由ではないだろうか【2】。


 息を切らしながらさらに登って行くと、友ヶ島灯台が現れる。飛び交う虫や滴る汗が心底うっとうしいが、散々な思いをして望む絶景は最高のカタルシスだ。有形文化財にも登録されているこの白い塔は、悠然と和歌山湾を見渡している。帰ってから調べてみると、「恋の灯台プロジェクト」にも認定されているようで、公式サイトには〝恋する2人で、愛の呪文を唱えてみたくなる場所だ。〟と書かれている。旅行中にこんな情報を知らなくて良かった。もし知っていたら、今見ているこの綺麗な景色を、愛する誰かと眺める人間がいる事実に打ちひしがれていただろうから。灯台はまるで僕だ。すべてを俯瞰して、どこにも行けない。僕に喩えられる灯台の気持ちも慮ってあげて欲しい。

友ヶ島灯台

 そういえば、一見〝どこにもいけない〟モチーフである椅子が登場したのは意外だった。草太はこれまでの新海作品の中ではトップレベルに顔も性格も良い好青年だ。そんなキャラクターを早々に椅子に変えて台無しにしてしまうのが、いかにも新海誠らしい。新海作品は「人間が描けていない」と批判されることがある。そもそも風景に関心がある作家にそのような指摘をする意味は置いておくとして、アニメーション研究家の土井伸彰は「キャラクターの不在や匿名性の高さこそ作品の強度を高めている」と言う【3】。つまり、匿名性を高くして器を広くすることで観客が没入できる余白を広げているのだ。人間ではない猫や椅子といったアイテムは、匿名性の極値のようなものである。東日本大震災という具体的なテーマを描く上で、キャラクターの余白を広げることでバランスを取っている。
 さらに言えば、僕には「鈴芽の椅子」それ自体が廃墟のメタファーなのではないかと感じる。無機物である椅子に、草太という人格が取り込まれて椅子に生命が宿る。生きていないのに生きているような不思議な状態は、朽ちていきながらも静かに呼吸する廃墟の影を重ねられる。廃墟は、建築物としては死んでいる。けれど、我々が廃墟探訪をする時、そこに人の痕跡を感じて嬉しくなるのもまた事実だ。難波も「そこで私が感じたのは、人間たちによる意図した振る舞いが重なり合って生まれる独特な空間の配置の美的な良さであり、加えて、自然によって、美的な意図なしで作られる空間の配置がそれらにさらに重なり合うことでもたらされる空間の経験だった」と指摘しているが、死んだ建物の中にある、生きているかのようなオブジェこそが、まさに我々を誘う要素となる。鈴芽の椅子はなぜ一本だけ足を失っているのか。それは、足が一本欠けた不完全さの美学が、かつての機能が欠落した廃墟と通じるからだ。


 第三砲台跡と比べるとやや小規模な第二砲台跡まで歩き、フェリー乗り場まで帰ってくる。大きな松が茂っていた。松は塩に強いから、昔から防風林として海沿いに植えられていることが多い。地平線が見える。振り返れば、これが二〇二二年に何も考えずにゆっくりできた、最後の時間だった。


《大阪》

 大学生になるまで、大阪はもっと広い都市だと思っていた。地元に比べれば数段マシだが、都会に住む高揚感は引っ越して数ヶ月で薄れていき、反対に東京への憧れが募っていく。梅田もなんばも、今では退屈な街の一つになってしまった。大学を卒業したら移るであろう東京も、いずれそんな街の一つになっていくのだろうと自覚しながら、僕は今日もICOCAを改札にかざす。
 都会に住む上で最大の変化は、電車ではないかと思う。数時間に一本のバス。捕まらないタクシー。地方住みの人は「車がないと人権がない」と言うが、都会の人間がこの言葉をどれほど切実なものとして捉えられるだろうか。本当に、ないのだ。人権が。
 大阪の中でも、「梅田はダンジョンだ」と言われることがある。複数の「梅田駅」が林立する街としての梅田は、確かに出口や乗り換えが分かりにくい。個人的に特に分かりにくいのが地下鉄で、阪急から御堂筋線へ乗り換えるのに苦労したものだ。僕は、大阪で初めて地下鉄という乗り物を知った。


 昔読んで衝撃的だった漫画に、『7SEEDS』という作品がある。隕石の落下によって人間が絶滅するのを防ぐために何人かを冷凍保存し、生きられるようになったらコンピュータが自動解凍する、という終末作品である。そのワンシーンに、地下鉄に乗った人々をガスで眠らせ、地球滅亡を知らせないまま殺していく場面があった。小学生には早すぎる表現だったために、今でも鮮明に覚えている。あれから、地下鉄という存在自体が少し怖い。それは当然、生まれる前とはいえど歴史として知っている「地下鉄サリン事件」の影響もあるのだろう。『すずめの戸締まり』で、災厄をもたらす東京のミミズは地下から出現する。
 とある舞台挨拶にて新海は、「『秒速5センチメートル』で貴樹と明里がいる場所は『すずめの戸締まり』における常世と同じ」と発言したことがある。極端な話をすれば、新海誠は〈ここではないどこか〉を描き続けた作家だ。新海作品においてそれは、しばしば〈アガルタ〉と呼ばれる。『ほしのこえ』や『星を追う子ども』に共通して登場し、今回の発言にて『秒速5センチメートル』や『すずめの戸締まり』の空間も同じようなものだと分かった。また、自身はその源流となった作品に『ピラミッド帽子よ、さようなら』という絵本の存在を挙げながら、そのような空間を描く理由として「生とはどこか行き着く果てへの旅である、という思いがずっとある(それは究極的にはやはり死であろう、とも)。キャラクターたちには、物語を通してその行き着くところまで行ってほしい。そしてそこから大切な何かを持ち帰ってきてほしいという気持ちがある。」とも言っている【4】。新海はずっと、〈ここではないどこか〉への旅を作品で描き続けているのだ。しかし『すずめの戸締まり』公開で大きかったのは、新海にとっての〈アガルタ〉が地下空間を想定して作られていたという事実である。ここに村上春樹の影響を見出すのは容易だろう。
 実際、新海作品における春樹的なモチーフを探る文章はこれまで大量に書かれてきたし、インタビューでも『すずめの戸締まり』の下敷きに「かえるくん東京を救う」(『神の子供たちはみな踊る』所収)があったと明言している。地震を引き起こす「ミミズ」というネーミングはこれから来ているようだ。春樹と〈地下〉について考えるとき、初めに想起するのはやはり『アンダーグラウンド』だ。それまで執筆活動のために活動の場を海外に移していた春樹は、九五年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件をきっかけに再び日本に戻ってくる。海外での居住を通して深まった彼の視点が、日本に逆照射されることとなる。書名からも分かる通り、あの日地下で起こった事件について六十二人の関係者にインタビューを重ね、春樹の視点を通して書き綴ったルポのような内容となっている。
 あるいは、二〇〇六年に書かれた『アフターダーク』を挙げても良いだろう。村上春樹が初めて全編三人称を用いたこの小説は、とある街の夜を俯瞰するような視点から描き出す。そこから、意図的に主人公であるマリにピントを合わせ、以降は彼女に関わる人間を中心とした都市の夜景を描出していく。
 注目したいのは、ラブホテルで出会うコオロギや姉のエリが語る不安感は、言語化される際に必ず空間性を伴う表現となっている点だ。二人とも、「自分たちが不安に感じるということ」を、「どこか暗いところに落ちていく」ような感覚だと伝える。言わずもがな、ここで想定されるのは地下空間のことであり、二人が夜に抱いた不安は地下という暗くて狭い空間に仮託されているのである。
 春樹と地下のモチーフに関しては松田樹「村上春樹の『移動』と『風景』」に詳しいので、そちらを参照して欲しい。松田は『アフターダーク』と『アンダーグラウンド』での地下空間の描写(=人々の心理的欠損を表象するものとしての地下)をさらに大澤真幸の指摘する「オウムが捉えた超越的な〈外部〉」と結びつける。
 しかし、同論考で松田が説くように、「春樹の描く地下に潜ることは人々の心の「癒し」の手段にはなり得ても、現実に直面してゆく契機にはなり得ない。」【5】
 地下空間は、別の〈内部〉であり、決して現実から脱出できているわけではない。内部でどうにもならない問題は一度出てから解決する他ないのだが、メタバースもSNSも「ログイン」と呼ぶように、さらなる〈内部〉でしかない。それは確かに癒しにはなるだろうが、決して現実に直面はできないのだ。
 では、現実を乗り越えていくために春樹が示したやり方は、どのようなものだったか。答えは単純で、「朝を待つ」しかない。『アフターダーク』は最後、街に朝が訪れて終わりを迎える。徹夜で本を読み耽っていたらいつの間にか外が明るくなっていた日のような心地よさを感じるが、これこそがまさに「光の中で大人になっていく」ということなのだろう。

「ねえ、すずめ──。あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る」
 時が早送りをしているように、星空が目に見える速度で回っていた。
「朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して、あなたは光の中で大人になっていく。必ずそうなるの。それはちゃんと、決まっていることなの。誰にも邪魔なんて出来ない。この先に何が起きたとしても、誰も、すずめの邪魔なんて出来ないの」

 新海誠『すずめの戸締まり』(KADOKAWA、二〇二二) 

 最近は、朝に寝て夕方に起きることが多い。浮世離れしている感覚は加速するが、それほど最悪な生活というわけでもない。小学生の時に行った東京への家族旅行で、朝ご飯をチェーン店で食べたことがある。たしか、やよい軒だった。スーツを着た大人が数人、朝7時くらいに一人でご飯を食べている。田舎に住む僕には知りようのない光景だった。朝食は必ずしも誰かと一緒に食べられるものではないと知ったのは、その時だったかもしれない。けれど、それは確実に僕の憧れに変わっていった。都会に住もうと思った要因の一つだ。
 朝六時に近くの吉野屋に行って、朝食を摂る。寝るのは7時で、起きるのは昼だったり夕方だったりする。オンラインで課された授業と提出物に取り組み、今日も人と喋らないまま一日が終わっていく。映画を観る以外には、外出することもない。


第二章 震災

《福島》

 二〇二二年の夏、仲の良いフォロワー二人と福島に行った。埼玉より東に行ったことがなかった僕にとって、初めての東北だった。行きは高速バスでDSの『ドラゴンクエストⅨ』をしていた。目的は映画『フラ・フラダンス』の聖地巡礼だったため、中心となるのは福島県いわき市。県南部に位置する市で、中核市に指定されている。仙台に次いで東北二番目の人口ということもあり、やたらと駅が大きい。
 東北は全般的にそうなのかもしれないが、それにしても福島は広い。行く前はいわき市と福島市はそれほど離れていないと思っていたが、実際にはめちゃくちゃ遠い。全員が無計画な旅行だったので、初手から面食らった。いわき駅に着くと、すぐに等身大の夏凪日羽さんがお迎えしてくれた。

夏凪日羽さん

 二〇二一年に公開された『フラ・フラダンス』は、いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」を舞台に、そこで働くフラガールの夏凪日羽と同期の仲間、さらに彼女らを取り巻く人々の絆を描くアニメ映画だ。ちょうど、『すずめの戸締まり』の記者会見が行われていた夜に見たような記憶がある。内容としてはフラガール版『アイカツ!』のようなイメージだが、岩手県・宮城県・福島県をアニメ作品で支援する企画「ずっとおうえん。プロジェクト 2011+10…」の一環として制作されたこともあり、福島の魅力が全面的に押し出されている。
 我々は、早速バスで水族館に向かった。アクアマリンふくしまという名前で、地元でも人気のあるレジャー施設らしい。土地柄なのか、大阪の海遊館では見かけないような珍しい魚がたくさんいる。作中にもあった、三角の水槽にも出会えた。それは良いとして、歩いていると突然、謎の寿司屋と邂逅した。何を言っているのか分からないと思うが、そうとしか言いようがないのだ。水族館の中に、寿司屋がある。『スノーピアサー』でもこんなシーンがあったなと思っていると、どうやら水槽を目の前にして優雅にお食事できるらしい。考えた人は本当に性癖が歪んでいる。

三角形の水槽
スノーピアサーみたいな寿司屋。 「勝手にいわきガイド」より

 水族館から出て近くの海鮮料理屋で腹ごしらえをすると、今度はタクシーでスパリゾートハワイアンズに向かった。今回の旅のメインディッシュだ。ここに、夏凪日羽さんがいる。特に予約していなかったが、幸運にも映画記念のフラダンスショーを見ることができた。劇中で使われた音楽でも踊ってくれて、しばらくは三人とも「最高……」しか言えなくなってしまう。最後にキャストさんと写真を撮れるのだが、普段は撮られるのが苦手な僕があそこまで写真に残せるのが嬉しかったのは、後にも先にもあの時だけだった。
 ハワイアンズの見所は、プールとフラダンスのショー。もちろん、泳ぐ気など毛頭ないのでプールは横目に無視する。夏休みということもあり、家族連れが多かった。水着の人に合わせて気温が調節されているので、服を着ている我々には暑すぎる。プールなのだから当然だが、皆がマスクをしていなくてなんだか新鮮だった。


 『フラ・フラダンス』で最も印象に残っている場面がある。主人公が営業終わりの施設内を見て回る中で、壁に入った巨大なヒビを発見するところだ。ディーン・フジオカ演じるイケメンの先輩が、その傷が震災によって残ったものだと語る。東北を回ってみて分かったことは、震災の跡をどのようにして扱うか、いくらか地域差があるということだった。例えば、宿泊したホテルは少し離れた広野町という所だったが、やけに海が遠く感じられる場所だった。


 無計画が仇となり、ハワイアンズから徒歩で一時間の移動を余儀なくされた。夕方とは言えど八月半ばの気温は高く、汗をだらだら流しながら目的の駅まで歩いた。「本当に通れるの……?」みたいな山道を越え、湯本駅まで歩く。銚子旅行、コミックマーケットと続けての福島旅行だったので、疲労がピークだった。すぐにでも熱いシャワーを浴びたかった。次の電車まで時間があったので、駅前にある足湯に浸かる。あまりにも効果てきめんだったので全員が何も喋らなくなった後、漫画『アオのハコ』についての白熱した議論が始まる。一時間ほど足を温めると、ありえないくらい疲労が取れていてビビる。あれだけパンパンだったふくらはぎが、今にも駆け出しそうだった。
 湯本から広野町まで約一時間。適当に食べようと思っていた晩ご飯を食べられないことに気付く。というのも、広野町には駅近くに飲食店がほとんど存在しない。現地に着いてみると、ホテルの近くにはだだっ広く平たい空間ばかりで、寂しい風景は一軒だけあるミニストップを強調していた。


 広野町に来るまで、この地で震災があったことを、忘れていた。いや、忘れていたというよりも、震災のイメージが初めて具体的な風景と結びついた、と言った方が良い。あの大きな地震を、僕は家のテレビでしか知らなかった。瓦礫の山が残っている光景があって、仮設住宅で暮らす人々がいて……それ以降の実情を、全然知らなかったのだ。いつの間にかテレビでも被災地に関する取材は減っていき、復興がどのくらい進んだとか、放射能がどうなったとか、周りでは誰も気にしなくなった。
 そして、この土地は「上書き」された土地なのだと、身を以て実感した。一度壊されて、白紙に戻って、その上でまた造られた場所なのだと、来て初めて知った。飲食店が全然ないのも、面積に対して人がそれほど住んでいないのも、そんな当たり前のことに気付けなかった自分を恥じた。それはきっと、自分の出身である田舎の寂しさとも違う、喪失を伴った風景なのだと思った。


 ミニストップで買った食事をホテルで食べる。浴場に付いたサウナを堪能した後、一日の疲労に潰されるかのようにぐっすりと眠った。静かに、波の音が聴こえるような気がした。


 海沿いの町で育った僕にとって、「海の音」が聴こえるようになったのはつい最近だった。いつでも近くに海があって、それは場所ではなく生活の一部だった。近所は多くが漁師の仕事をして、顔に深い皺を刻みながら船で漁をする。潮にやられるから、車や自転車は車庫に入れなければならない。大学で県外に進学して、海から離れた生活をすることになった。県外の友達が言っていた「海の音」とは、こういうことだったのかと分かった。人が自分の目を目として認識する時がくるとすれば、それは失明した時だろう。「潮の香り」や「海の音」が何を指していたのか、失って初めて理解することができた。僕にとっては、久々の海の音だった。
 彩瀬まるの小説を原作とした映画『やがて海へと届く』も同じく、震災の記憶に向き合った作品だ。本編の設定はフィクションでありながら、映画の途中で地元の住民に扮した役者が実体験のように震災を語る場面が挿入されている。それが演技か否かは置くとして、方言や自然な喋りを強めたそのシーンは鮮烈で、今でも記憶に残っている。


 朝起きると、帰る前に海を見ておこうという話になった。ホテルを出て、電車が来るまで雲った灰色の海を眺めていた。地元の小学生が下で遊んでいた。自分が知っている海とは別人のようだった。あの海よりも遠く、冷たく、ずっと寡黙だ。表面的な穏やかさの奥に、あれほどの被害をもたらした激しさを兼ね備えていると思うと、なんだか目を瞑りたくなってくる。長いこと眺めていたせいで、僕達は電車を乗り過ごした。通学すると思しき高校生たちを横目に、待合室で一時間くらいドラクエをしていた。
 遅めの朝ご飯をいわき市の町中華で食べ、鈍行でゆっくりと東京に戻った。なんだか夏が終わるような予感があった。


 福島での事故があった時、幼いながらも他人事ではないと感じた理由は、同じく原発を抱える福井県に住んでいたからだろう。『ショッピングモールから考える:ユートピア・バックヤード・未来都市』にて東浩紀は、東京/地方の関係を、ショッピングモール/バックヤードの関係に喩えている。人々にとって間違いなく必要だが、近くにあってほしくはないもの──例えば原発であり、幼稚園であり、最終処分場のような施設──は地方に押しつけられ、都市部に住んでいる間はそれらを視界に入れないことで豊かな生活を享受できる。日本における光と影があるとすれば、福島は影の役割を負わされてきた。ある意味、人々が不安を仮託する〈地下〉も似た影だと言える。
 極論を言えば、『すずめの戸締まり』は、それらの「影」を一度白日の下に晒し、再び人々に思い起こさせる映画だった。光はいつも目に付くが、影は次第に忘れられていく。〈廃墟〉は、建造物に影が落ちた結果として「再発見」された(再び光が当たった)モニュメントである。震災も同じように、人々が福島を振り返った時にはもう遅かった。結局、「再発見」されたのは、荒れ果てた東北の地だった。震災から十年以上経った今、人々の記憶から抜け落ち始めた震災という記憶を、『すずめの戸締まり』は逆照射している。
 東京に戻ってからも、またサウナに入って、遅めの晩ご飯を食べて、その日はネカフェで眠った。時刻は深夜二時を回っていた。Spotifyでシャッフル再生していると、とある曲が流れた。曲名は「春灯」。RADWIMPSが被災地に向けて二〇一六年に発表した楽曲だ。
 もはや新海作品に欠かせない存在となったRADWIMPSだが、彼らは二〇一二年から毎年三月に曲を発表し、その収益を寄付してきた。二〇二一年にはそれらの曲をまとめ、アルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』の形で発売している。

逢いたい人がいるこの世界に
今日も目覚める 僕はきっと幸せですよ

RADWIMPS「春灯」

「春灯」のMVは、今でも直視できない。動画を二画面に分け、被災地/非被災地それぞれの当時の様子が、筆跡で語られる。例えば、三分十二秒辺りから流れる、宮城の小学四年生のメッセージ。

鳥肌が立つ。幼稚園児だった子供がもうこんなに漢字を書けるようになっていることで時の流れを痛感するし、なによりも「外は真っ暗だったけど星がきれいだった。」の一文が凄い。子どもが震災をどう捉えていたのか、とてつもなくリアルに分かる。

 『青春ヘラver.2「音楽感傷」』にて新海誠とRADWIMPSの関係について書いたことがある。「触覚性」と「セカイ系」という二つの観点から両者を結ぶ線を探ったが、共同制作を始めたのが『君の名は。』からだったのを考えると、震災に対する各々の向き合い方を避けることはできなかったと、今では思う。
 〝災害三部作〟とも呼ぶべき最新の三作。『君の名は。』は過去に遡って災害から町を救う話だった一方、『天気の子』は災害を引き受ける話だった。だとすれば、『すずめの戸締まり』は災害が起こった後の話と言える。しかし、『すずめの戸締まり』が『君の名は。』、『天気の子』と大きく異なる点は、やはり〈廃墟〉を重要なモチーフとして取り上げたことだろう。充分に回答できていないとはいえ、災害という「突然起こる死」ではなく、「じわじわ進行する死」として地方の衰退や記憶の忘却が扱われていた。草太の祖父のような、まさに徐々に死を迎えつつある存在が映画内で登場したのも、そのような理由なのかもしれない。
 災害のインパクトに対して、ゆるやかな衰退は可視化されにくく、特に都市部の住人にとってはさほど深刻には映らないかもしれない。だが「失われた○○年」と言われ続け、物価上昇や地方問題が進行するこの状況も、ある意味で災害と呼ぶに値する。そして、『すずめの戸締まり』で描かれたこの二つの問題に対する新海の共通する答えは「思い出して、忘れないこと」だった。
 田中純『過去に触れる―歴史経験・写真・サスペンス』は、過去に触れる経験と歴史経験としての叙述を等価とした上で、その原理をサスペンスに求める斬新な著書だ。その中でも「第4章 サスペンスの構造と歴史叙述」に注目してみたい。
 この章で田中は、ベンヤミンが「ある形式の極値のような作品そのものが理念」であり「その『極端なもの』を欲するのは芸術哲学である」と言ったのを踏まえ、「『理念』は『極値』の『星座』として与えられる」とまとめる。ここで言う「星座」とは、映画哲学的な理念の表象として時代を超えた前史と後史を示すものとなる。
 詰まるところ、田中が問題にしているのは「過去という取り返しの付かない結末を知っている出来事をどのように経験可能にするかという歴史叙述の問題」である。そして、その出発点となったのが三浦哲哉『サスペンス映画史』であり、この本の「星座」こそが「行方不明の子供を探す」という「極端な」モチーフだと展開する。以降、「行方不明の子供を探す」がテーマとなっている作品(『ドリーの冒険』、『マイノリティ・リポート』、『チェンジリング』)を取り上げ、もう変えられない過去に対してどう向き合ってきたのかを簡単に解説していく。
 『ドリーの冒険』は一九〇八年の映画で、放浪者によって幼い娘・ドリーが誘拐されるところから物語は始まる。放浪者はドリーを樽に入れ、馬車で逃走するが、樽は途中でドリーごと川に転落し、流れて行ってしまう。樽と川によって観客とドリーの間は二重に隔てられており、これは「寄る辺無さの経験としてのサスペンス」だと田中は指摘する。
 また、行方不明の子供を探すこと自体が主題ではないものの、取り上げ得る要素を含むものとしてスピルバーグ『マイノリティ・リポート』(二〇〇二)の名前も挙がる。プレコグ(未来の犯罪者を告げる予言者)によって犯罪が予知されるようになった未来社会で、予防捜査を行う捜査官ジョン・アンダートンが、ある日、プレコグに殺人を犯すと予言される内容となっている。
 しかし実際、ジョンは作中で誰も殺しはしない。息子をさらった犯人らしき男を逆上して殺害しようとするが寸前で踏みとどまるのだ。犯人らしき男は自ら銃で命を絶ち、結果的には死ぬが、これが示すのは「プレコグの予言が外れた」ことではなく、「自分の意志で自由に振る舞うことによって未来を変えた」ということである。一人の男が死ぬという未来は変わらなかった。けれど、破局的なイメージが決定されているのに対し、ジョンは自由な行為によって、同一のイメージでありながら破局を回避した異なる未来に収斂させたのだ。最終的にジョンの抱えていた家庭的な問題は解決され、黒幕が暴かれることとなるが、あらかじめ決定された未来と確定して変更不可能な過去は同一のものではない。そこで田中は、過去の出来事を構成する事実の配置はそのままに、諸事実に基づく歴史を変容させてしまうような自由な歴史叙述がありうるのではないか、と考える。つまり、「過去における未来」が変貌するのだ。
 そして三作目。イーストウッド監督の『チェンジリング』(二〇〇八)が取り上げられる。実話を基にしたこの映画は、〝彼岸なき場所で希望をいかに確かなものにするか〟が主題となっている。一九二八年のロサンゼルス。電話会社で働くクリスティン・コリンズは、息子ウォルターが行方不明になったため警察に捜査を依頼する。五ヶ月後、息子を発見したという連絡を受けるが、別人だった。息子ではないと主張するも、コリンズは精神病院に入れられてしまう。牧師の助けで病院を出たコリンズは市警を弾劾して勝利し、息子と入れ替わった少年の証言から殺人事件が発覚、ウォルターも犠牲者の一人と分かる。しかし、犯人はウォルターについては犯行を否定し、この言葉によりコリンズは息子の無事を信じ続ける。七年後、ウォルターと共に脱出したという少年の証言を聞き、ラストは「クリスティン・コリンズは生涯息子を探し続けた」という言葉で締められる。
 コリンズにとって、実際に息子が見つかったかどうかは問題ではない。彼女にとっての希望とは未決定であり宙づりである状態で与えられるもので、そこで諦めれば希望は失われ、息子の死が確定されてしまう。息子がどこかでまだ生きているかもしれないという希望こそが、コリンズを生かし続ける。
 この三作を比べてみると、「失踪した子供が無事に帰還することによる『家族』の再生」という共通のテーマを持ちながら、『ドリーの冒険』は帰還&関係維持、『マイノリティ・リポート』は帰還&関係再生を辿り、結末としては妥協的である。一方、『チェンジリング』は未帰還&未決定状態で幕が閉じられ、ここでサスペンスは「希望」として維持されている。これらの比較から、田中は以下のように結論づける。
 「取り返しの付かない過去の出来事を、歴史叙述を通してどのように経験可能にするのか」の問いは、「確定されているように見える過去を、歴史叙述がいかに流動化して未決定状態にもたらすか」に置き換わる。そしてその答えは、「歴史をサスペンスとして叙述すること、過去のうちに希望を見いだすこと」である。
 ここで再び新海作品に戻ろう。新海誠の災害三部作(『君の名は。』、『天気の子』、『すずめの戸締まり』)における過去の叙述方法はいかに異なるだろうか。
 『君の名は。』は、主人公である瀧によって過去にタイムスリップし、三葉の身体を乗っ取って行動することで糸守住民を彗星の危機から救った。その結果、あの日死ぬはずだった三葉は今でも生きており、東京で瀧と出会うことになる。要するに、過去を改変して未来も変えたのだ。
 対して『天気の子』は、帆高が「東京か、陽菜か」の選択肢を前にして陽菜を選ぶことで雨が降り続け、東京の一部は水に沈んでいる。青年になった帆高は瀧の祖母に会いに行くが、そこで「東京のあの辺はさ、もともとは海だったんだよ。ほんの少し前──江戸時代くらいまではね」と言われるシーンがあった。『君の名は。』から一転、過去は変えられない。それどころか、過去は繰り返す。前作で「災害を忘却するアニメだ」と批判を受けたことも、『天気の子』のシナリオがこうなったのに影響しているのだろう。
 そして『すずめの戸締まり』。廃墟は地方が衰退してもう戻れない象徴として登場し、震災は既に起こったものとして描かれている。彗星も豪雨も、監督の念頭にあったのは東日本大震災だが、三作目にていよいよ直接的に震災を描写するに至った。まさに、〝彼岸なき場所で希望をいかに確かなものにするか〟が重要な関心事となる。
 鈴芽にとっての震災の経験や、母を失ったという事実は変えようがない。しかし、最後は確かに希望を見出しているのだ。幼い頃に常世で出会っていた母に似た人物。それは鈴芽の「明日」だった。未来の立場から過去の視点に立ち返り、再び未来へ視線を折り返す。そのことによって、鈴芽は「大事なものはもう全部──ずっと前に、もらってたんだ」と気付くのであり、「光の中で大人になっていく」と分かった。ずっと目を逸らし続けてきた過去を直視し、それを未来に反射させる。鈴芽にとって必要なのは、この作業だった。これが「今」に希望を見出す唯一の方法だった。それは、『チェンジリング』のように過去を未決定の「宙づり」状態にするやり方ではなく、あくまで断固とした決定を下した上で、過去を受け入れる(=戸締まりする)やり方である。
 当然、これは過去を未決定状態にして執着を続けた『秒速5センチメートル』の遠野貴樹とはまったく異なる。そして、このような変化を新海誠にもたらした震災というファクターがいかに大きかったのか、実感する次第である。

第三章 新海誠と海

《福井》

 海沿いの町で育った。越前町という港町。福井県でも真ん中辺りに位置し、冬には黄色いタグのついた越前ガニが大量に売られる。二〇二二年の夏。地元に帰るのは2年ぶりだった。
 ずっと、この海が嫌いだった。北陸の空はいつもどんよりとしていて、それに応えるかのように日本海も表情を曇らせる。僕にとっての〈どこにもいけない〉象徴のような存在が、この海だった。
 大阪に住むようになってから、ようやく海を好きになることができた。留学すると日本をより好きになったりするが、その場所の魅力に気付くには外の視点が必要だ。ちょっと走ればすぐ後ろに山があり、帰るべきところにはいつでも海があるというのは、見方次第では贅沢な環境なのかもしれない。もっとも、心の底から県外に脱出したかった当時の僕に言っても、微塵も理解してもらえないだろうけど。
 夏休みは友達と釣りをして、たまに祖父の持つ船に乗ったりしていた。親が出勤する音で目覚めて、テレビを観ながら遅めの朝ご飯を食べる。ちょっと宿題を進めた後は、特にやることもないのでテトラポッドの間に住む生き物を眺めたり、自転車で山に行ったりする。
 福井県は福井市内以外、どこも少子化が著しい。この町も例に漏れず、小学校は数年後に統合されるそうだ。今、この町にいる子供たちは何をして遊ぶのだろうか。あの頃ニンテンドースイッチかTikTokがあったら、僕はどんな人間になっていただろうか。久々に対面した海を見ながら、無意味な妄想に耽っていた。越前は小学校の途中で引っ越してしまったけれど、地元と言われるとやはりここを一番に思い出す。僕の第二の家は海よりも山に近くなったけど、特に都会というわけではない。そもそも福井県に都会などない。


 初めて観た新海作品は『君の名は。』だった。そこから全作品を観て気になったのは、新海作品における〈海〉の扱い方だった。〈空〉は山ほど出てくる。ほとんどの新海映画には、空に関係したオブジェクトが出てくる。登場人物たちが空を眺めているシーンが容易に思い浮かぶだろう。一方で、海が出てくることはほとんどない。新海誠の出身地である長野県が海なし県ということを鑑みれば、自然なことではある。ところが、『すずめの戸締まり』では初めて集中的に海が描かれた。ここに来て、視点の切り替わりがなされたのである。震災を主題として扱う以上、必然的な流れなのかもしれないが、とても大きな変化だ。過去を戸締まりして向かう先は、無限に続く高い空ではなく、いつかどこかに辿り着く広い海である。

 昔から親しんでいた風景を見ると、不思議な気持ちになる。あの交差点を知っている。あの神社を知っている。けれど、それを見るときの心情は全然違う。ここは、もう自分がいるべき場所ではないのだと、強烈に思わされる。自分にとって帰るところは、ここではない。その事実が、見知った風景でさえも感傷的なものにしていく。
 路地の奥に見える幻影は、麦わら帽子に白ワンピースの少女などではない。幼い自分自身の姿だ。鏡でもない限り、自分の目から自分を見ることはできない。でも確かに、僕の目にはあの日の自分の姿がはっきりと見えるのだ。それは、死に際に見る走馬灯のような記憶に近かった。僕が幻視したあれは、僕の姿をした地霊だったのかもしれない。


 新海誠のインタビューを読んでいて、自身の「風景」について述懐した記事があった。長めに引用したい。

(……)新作を公開したら逆に、ここ最近『秒速、秒速』って言われることが多くて(笑)、結構色々思い出してたんです。僕、大学で国文学を勉強していたんですが、そこで柄谷行人の「日本近代文学の起源」という古典みたいな有名な本なんですけど、「風景というのはとりたてて描写するようなものではなかったけど、背景を文章で描写するっていうのは発明だった」、「風景を発見したことで人は内面を発見して、内面の発見と風景の発見を可能にしたのは文体の確立だった」とあったんですね。昔は人はしゃべっている言葉と書いている言葉が違ったので、しゃべっている言葉で文章を書くことになったことと、風景の発見と内面の発見がパラレルに起こったという、僕は大学時代にこれを読んで、こんな風に世の中を捉えることができるんだと。例えば恋愛は明治期に海外から輸入されたみたいな言い方もされますが、そんな風に普段僕たちが当たり前だと思っている風景だとか恋愛っていうものには起源があるということを大学時代の勉強で改めて知って、すごく感銘を受けたことが今の自分のアニメーション表現につながっていると思います。

スペシャル:レポート『星を追う子ども』公開記念 『秒速5センチメートル』上映&ティーチイン@キネカ大森( 5月12日) より一部抜粋。(二〇二二年一二月二九日最終閲覧)

 初期の新海は、柄谷行人の『日本近代文学の起源』に影響を受けたと他媒体でも語っている。この本の重要な要旨は、絵画に描かれた要素(例えば、空や海や山)をひとつの「風景」と捉えることは、近代的な発想だということだ。
 柄谷は山水画の例を出しながら、かつての絵画における構成要素は西洋の宗教画における聖人と同じく、「概念」だったと指摘する。個人の概念自体、近代的な流れに位置する中で、個人のまなざしが捉える「風景」は確かに近代的なものとなる。このような絵画の「風景」の発見は、日本近代文学にも存在し、それが国木田独歩の『忘れ得ぬ人々』だと言う。このように、柄谷は絵画における近代的な「風景」の発見を日本文学にも見出す、というやり方で二つを結びつける。
 さらに、ここに日本産アニメの文脈を合流させたのが、安原まひろ「アニメの影を踏む──新海誠の「風景」と日本近代文学」(『江古田文学 第105号』)である。安原は、それまでキャラクターの動きとは別だった背景美術を一新させた「レイアウト」システムが『アルプスの少女ハイジ』で採用されたことを引き合いに、それ以降のアニメではキャラクターと背景が一体化して演出することが可能になったことを説明する。そしてその様が、柄谷の「風景画において、それまで背景でしかなかったものが宗教的・歴史的な主題にとってかわるのと同じである」という主張に重なると述べる。
 では、その上でなぜ新海誠の名前が出るのか。それは、彼が柄谷の影響を公言しているだけでなく、背景美術に異様に拘り、3DCGによるレイアウト制作を中心に行う作家だからだと言う。

 絵を描いてレイアウトを決定していく場合、必然的に先に視点を決めて、そこから見えるであろう空間を描くことになる。しかしながら、3DCGからレイアウトを決めていく時においてはこのプロセスが逆転する。あらかじめ空間をつくり、それをどう切り取るか、視点の側を調整していく。もちろん、手描きにおいても、空間を頭の中で立体的にイメージし、必要に応じてそのイメージの一部を切り取って描くということは往々にしてあるだろう。だが、実際に手を動かす制作のプロセスにおいては、視点をあらかじめ決めてからでしか描き始めることはできない。一方で3DCGのレイアウトの場合は、プロセスにおいて、空間を自由な方向から主体的に見ることができる。このような3DCGのレイアウトに発生する主体的な視点は、新海作品の「風景」を考えるうえで重要な要素となる。制作のプロセスにおいて発生した視点によって、鑑賞者はアニメーターの頭の中で描かれた空間ではなく、実際にモデリングされた空間を、画面を通じて見ることになるわけだ。ここに、「自分が見ている」という視点の主体性が、鑑賞者のなかにも強く生じることになる。新海のつくる映像が、自我を持った主体的な個人の見る像としての「風景」であることは、単に美麗な実在の景色が描かれているということ以上に、その制作の手法によっても担保されていると言える。

安原まひろ「アニメの影を踏む──新海誠の「風景」と日本近代文学」
『江古田文学105号』(江古田文学会、二〇二〇)

 他にもこういった鑑賞方法をする人がいるかは不明だが、僕は新海映画を観る時、キャラクターよりも新海誠自身に感情移入しやすい。映画を観る際、我々はその作品の視点を担っている人物に感情移入する。新海作品の場合、それが新海誠自身なのだ。
 だからあの美しい景色は、当然「新海誠の目から見た風景」でしかない。森功次がエッセイで述べているように、新海作品は「好きな人と嫌いな人が、かなりはっきりと分かれる印象がある」【6】。なぜなら新海作品に関しては作品が好きか否かではなく、新海誠が好きか否かの判断に置き換わるからだ。空から海への視点の移動は、新海誠から「お返し」された「目」であり、「風景」そのものだったのかもしれない。

第4章

《東京》

 十二月三十日。某オタクの祭典に向かうため、夜行バスに揺られていた。東京に来るのは今年七回目だった。東京でしかやってない即売会が多すぎる。もっと大阪でもやって欲しい。薄々気付いていたことだけれど、かつてあれほどまでに憧れていた東京も、最近は特に何も感じなくなってきた。『君の名は。』でキラキラしていた風景に実際に降り立ってみると、ただただ人が多くて騒がしい土地にしか思えなくなってくる。本当はそんなこと、とっくに気付いていた。だけど、憧れを憧れのまま閉じ込めるために、必死で見て見ぬふりをしている。僕の東京は、かろうじてまだ輝いている。

新宿御苑から見える誠タワー。いつもこれに見下ろされる雪野先生の気持ちを考える。

 前半の問いに立ち返ろう。人の心の消えた寂しい場所に、後ろ戸は開く。その象徴として〈廃墟〉は描かれ、宮崎の温泉街、愛媛の廃校、神戸の廃遊園地、東北の被災地が登場する。この並びで、なぜ東京が出てくるのだろうか。
 やや強引な解釈かもしれないが、新海誠にとって東京もまた、「人の心の消えた寂しい場所」なのだろう。『君の名は。』で瀧は「東京だって、いつ消えてしまうか分からないと思うんです」と語る。『天気の子』で帆高が登っていたビルは解体されてしまった。
 新宿駅をうろついていて、二ヶ月前に通ったはずの改札がなかった経験がある。数ヶ月前に食べたチェーン店が閉まっていたことがある。地方ではなく、都会だからこそ早い更新のスピード。覚えている人がいなくなり、本当の意味で土地は死んでいく。確かに、地方と並ぶくらい、都会も寂しい場所かもしれない。
 新海誠が現実以上に美しい都会を描くのは、彼の願望も含まれているのだろう。彼が宮崎駿と最も異なる部分は、都会を肯定的に描けるところだ。
 宮崎駿と言えば、漫画版『風の谷のナウシカ』は「生きねば……」というシンプルなモノローグで終わりを迎える。宮崎駿の主題は日本人がいかに敗戦と向き合うか、ということだったように思う。この主題を引き継ぎ、新たに提示させた新海誠は「ポスト宮崎駿」などと言われるが、結論はそう変わらない。新海誠が『すずめの戸締まり』で提示したのは、やはり「生きねば……」というメッセージだった。

 近年の新海誠は、かつて扱ったモチーフを自身のやり方でリメイクしていくような作風が目立つ。『秒速5センチメートル』は『君の名は。』に、『雲のむこう、約束の場所』は『天気の子』に、『星を追う子ども』は『すずめの戸締まり』にアップデートされている。『星を追う子ども』は、理想的な世界である〈アガルタ〉に逃避し、かつて失ったものを取り返したいと願うモリサキが挫折し諦める話だった(もちろん主人公はモリサキではないが、彼を中心にした物語だという主張も反論は難しいだろう)。『すずめの戸締まり』パンフレットで、新海はこう語る。

他者に救ってもらう物語となると、まず救ってくれる他人と出会わなければいけないわけです。でも本当に自分を救ってくれるような他者が存在するのかどうか、わかりませんよね。誰もが『君の名は。』の瀧に出会えるわけでも、『天気の子』の陽菜に出会えるわけでもない。でも、誰でも少なくとも自分自身には出会えるじゃないですか。

占い師は、「あなたの人生にきっと良いことがあります」と勇気づけているわけではない。ただ、自立を促している。アニメというフィクション空間や〈アガルタ〉のような心の拠り所は、終着点ではなく通過点である。新海は自身のアニメーションを「絆創膏」だと喩えるが、彼の作品には常に現実への還元が想定されている。イマジナリー・シンカイに「私の映画は確かにオアシスかもしれないが、オアシスは羽を休めるところであって、目的地ではありません」と言われたような気がした。
 しかし本音を言えば、あれほどの傑作を生み出してきた結論がこれとは、なんとも信じがたいものがある。いや、単に受け入れたくないだけなのかもしれない。僕は、落とし穴から這い出る努力をするくらいなら、落とし穴の中でひっそりと幸せに過ごしたい。それがいくら外界の〈現実〉に劣るものだったとしても、僕にだけ価値があればいい。新海映画は、かつてそういった役目があったはずなのだ。
 僕がこう思ってしまうのも、まだ旅の途中だからなのだろうか。いずれにせよ、災害に関する記憶を巡った三部作を作り終えた今、彼の頭に浮かぶ「描きたいもの」が何なのか、これまでで一番知りたいと思っている。それだけは間違いない。


 今日も旅をしている。都会の喧噪から一転、田舎に隠居中だ。次はどの〈終末〉 りょうこさきに行こうか、旅行先の宿から考えている。どこかへ行きたい欲求は一生消えないだろう。しかし、本当の意味で満たされるには、やはりずっと満たされないしかない。
 それは、宛てのない旅とどこか似ている。





1 難波優輝「みえかくれする人影 廃墟と意図の美学」『フィルカルVol. 7, No. 2』(株式会社ミュー、二〇二二)
2 難波も参照しているように、スカブローは、廃墟に対する鑑賞態度を 「考古学型モデル」と「ロマン主義型モデル」に分類している。前者は「見 えている対象と自身の知識をベースに想像力で補完して、かつてあったで あろう建築物を創造すること」であり、後者は「廃墟を発想源として廃墟 にまつわる様々なこと(そこにいた人の生活や感情)を思考する」ことで ある。この二つは廃墟をもとに現実の廃墟から離れて自由な想像を行う点 は共通するが、想像の対象はまったく異なる。
3 土居伸彰『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社、二〇二二)
4 @sr_ktd のツイート。二〇二〇年八月三十日。https://twitter.com/sr_ktd/status/1299732028779233280?s=20&t=6WoAbNHrz6PC7XKYJOkvUA
5 松田樹「村上春樹の『移動』と『風景』」『近代体操』(私家版、二〇二二)
6 森功次「新海誠が苦手だ」『フィルカル Vol. 7, No. 3』(株式会社ミュー、二〇二二)


参考文献
森功次「新海誠が苦手だ」『フィルカル Vol. 7, No. 3』(株式会社ミュー、二〇二二)
安原まひろ「アニメの影を踏む──新海誠の「風景」と日本近代文学」『江古田文学105号』(江古田文学会、二〇二〇)
新海誠『すずめの戸締まり』(KADOKAWA、二〇二二)
土居伸彰『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社、二〇二二)
萬屋博喜「被爆建築の美学 旧広島陸軍被服支廠を中心に」『フィルカル Vol. 7, No. 2』(株式会社ミュー、二〇二二)
松永伸司「廃墟の保存は廃墟を壊す」同書
難波優輝「みえかくれする人影 廃墟と意図の美学」同書
谷川渥 『廃墟の美学』(集英社、二〇〇三)
クリストファー・ウッドワード 著、森夏樹訳『廃墟論』(青土社、二〇一六)
『LOCUST vol.6 会津・中通り』(私家版、二〇二二)
田中純『都市の詩学―場所の記憶と徴候』(東京大学出版会、二〇〇七)
田中純『過去に触れる―歴史経験・写真・サスペンス』(羽島書店、二〇一六)
柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』(岩波書店、二〇〇八)
近代体操『近代体操 創刊号vol.1 特集=いま、なぜ空間は退屈か』(私家版、二〇二二)
藤田直哉「新海誠の『すずめの戸締まり』は、何を閉じたのか?宮崎駿作品の主題、『星を追う子ども』の共通点から考える」(CINRA)、https://www.cinra.net/article/202212-suzumenotojimari_iktaycl(二〇二二年一二月二三日最終閲覧)
サカウヱ「『すずめの戸締まり』について、心の新海誠と対話した」、https://onl.bz/bqVs2p9(二〇二二年一二月二三日最終閲覧)

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