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きっとまた、今日のこともこんな風に思い出すだろう

 28歳で地元の本屋を退職して、何度も面接に落ちたのち、私を拾ってくれた喫茶店チェーンで3年ほどアルバイトで働いた。飲食店のスタッフの仕事は初めてでなにもかもが新鮮だった。
 仕事を始めてから最初は、フロアの掃除や片付けや洗い物を担当し、慣れてくるとドリンクを作ったり、サンドイッチを作れるようになったり、最後はその喫茶店でメインの売り物であるパンを焼く係になれた。
 時間がある時は、店の外に出て、道の端でパンのセットを売る売り子もした。

 当時は、地元から繁華街の中にあるその喫茶店に一時間かけて通っていた。

 いろんな人が働いていた。主婦の人、学生アルバイトの人、本業が歌手で副業でアルバイトしに来ている人、フリーターの人、ワーキングホリデーで海外から働きに来ている人などがいて、いつもにぎやかにわちゃわちゃと働いていた。

 学生アルバイトの女の子の中に、なんでなのか主婦のパートさんたちからめちゃくちゃ嫌われている子がいた。私はその女の子が嫌いではなかったから、彼女に対して他の人よりあたりが柔らかかったのかもしれない。だからなのか彼女はよく私に話しかけてきていた。彼女は一緒に働く学生バイトの彼と付き合っていた。とても可愛くて小悪魔系の女の子ってこんな感じなのかなとか思って見つめていた。東日本大震災があった瞬間は、彼女と一緒に働いていた。レジの上の照明が揺れていた。3月11日になると、彼女が「店が揺れていて怖い」と私のほうに寄り添ってきたのを、思い出したりする。

 その主婦の方たちからは、よくランチに誘われた。お店の近くにあるホテルの中にあるパスタ屋さんで、2ヶ月に一回くらいランチをした。1番年上の主婦の人はめちゃくちゃ元気が良くて、とても美しい長い髪をキリッとポニーテールにしていた。ジェスチャーが激しいので、ポニーテールをブンブン振りながらしゃべる癖があった。もう1人の若い主婦の人が、「髪の毛が口に入るんでポニーテール振るのやめてくれませんか?」と先輩主婦の人に怒るのだけれど、ポニーテールの主婦の人は気にせずブンブン振り回してしゃべり続ける。「もうやめてくださいよー」と言われながらも、気にせず話すやりとりを見ながら、まるで漫才のようだと、ケラケラと笑って過ごすのはとての楽しかった。

 歌手をしている女の子は小柄でとても可愛らしいけれど、なんとも言えない不思議なオーラがあって、仕事ぶりはどっしりしていた。自分を持っている女の子ってこういう感じなのかなと、私は密かに尊敬していた。ステージに上がった時の写真を見せてもらうと、普段バイト先では見せない表現者としての輝きがあって、とても眩しかった。

 ワーキングホリデーで韓国から日本に来ていた女性は、ガッツがあってとても働き者だった。彼女とも時々ご飯に行った。私にサムギョプサルを教えてくれたのは彼女だった。彼女が帰国してから私は彼女と喧嘩してしまってそれきりなのだけれど、彼女の頑張り屋なところは今思い出しても感慨深い。

 思い出深いその喫茶店は、2年前に改装してリニューアルオープンしていた。
 いま、私は地元を離れて、その喫茶店のある街に住んでいる。だから、しょっちゅうその喫茶店の横を通る。もしかしたら知っている人がいるかもしれない、と少しだけ緊張と期待をして横を通るけれど、まともに店の中を覗けないでいる。

 きっと私が一緒に働いた人はもうその店にいない。
 新しいスタッフの人たちが新しい思い出を紡いでいるのだろう。

 きっと当時の私には嫌なこともたくさんあっただろうと思う。わざわざ探せばそれも思い出せるかもしれない。けれど今さっと思い出すのは楽しかったこと愛しかったことばかりだ。
 毎日生きていると嫌なことの方が多い。周りが悪いのでも自分が悪いのでもなく、タイミングや、運の巡りとか、そんなささいなズレで、私たちはストレスを抱えて生きている。
 けれど、きっとそれもこれもこんな笑い話になるような、こんな優しくなれるような、愉快でいとしい思い出に塗り変わるに違いないと、喫茶店のアルバイトのことを思い出すたび、思っている。



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