私を迎えにくるのは、いつだって混濁だ。 混濁は毎晩、挨拶もなしに底なしの海へ誘う。行く、なんて一言も伝えてはいないのに。私は混濁に抗えない。 海はドドメ色の泥で覆われていて、全てが汚れきって自分が何者かも分からなくなる。呼吸は次第に苦しくなり、泥に少しだけ混ざる酸素を探す。手を伸ばそうとすれば、隣にいる混濁は緩く微笑みを作るのだ。まるでグロテスクな御伽噺。どうしようもなくなった私は、泥に身を任せようして瞼を閉じる。だって、もう助からないでしょう? 話は完結しない。所詮
大丈夫、大丈夫。よくある気の迷いです。 男はやけに自信満々に言い、私は隠れて爪を噛んだ。前歯が揺らぐ。気の迷いで済んだら苦労しない。名前が欲しいと訴える私を、男は笑い飛ばす。わざわざカテゴライズしなくてもいいんですよ。貴方は貴方です。いとも簡単に、私の意思を無視する。 「確かに」 男は考え込む仕草をみせた。確かに、なに? 私は微かな光に望みをかける。 血糖値は出ていますが、その他は平常です。いつものを出しときますね。 肩を落とす私に、妙齢の天使が扉を開ける
ぬいぐるみを扶養家族と呼んでいる。もちろん履歴書や戸籍標本には記載できない。でも、扶養家族だ。 ぬいぐるみが好きだ。 ゆるやかに伸びる肌の下の、綿とポリエステルには不思議な魅力がある。触れた瞬間に、目が蕩けてしまうほどの柔らかさ。胸に抱きすくめてしまえば、綿が潰れる。目尻が自然に垂れる。表情はうっとりと染まっているだろう。 めんどくせえな、と彼氏と二日で別れたことがある私にも理解できる。これが「愛しさ」なのだ。ちなみに元彼にはドン引きされた。 「えっ、早くない?」
ポケモンスリープと睡眠障害の私 睡眠が下手だ。睡眠が下手過ぎて、薬を処方されているレベルには下手だ。具体的に言うと、入眠はできる。ただ、たまに、いやほぼ、ほとんど確実に、二時間半に一度起きてしまうのだ。そして、すぐに眠ることができる。 かかりつけの精神科医は言った。 「睡眠周期で起きちゃうんだねえ」 「はあ」 おじいちゃん先生は、レム睡眠とノンレム睡眠について詳しく教えてくれたが、重大視していなかった私にはまさに馬の耳に念仏だった。愚かである。 今は後悔している。
「また?」 趣味悪過ぎない、と続ければ、目の前の彼女は答えずに、スカルプだとかいうクソ長い爪で、これまたクソ長いつけまつげを器用に微調整していた。一ミリの誤差でも女の子には命取りだ。深夜のファミレスの窓は丁度いい鏡。今度はリップグロスを塗り始めた。生々しい粘膜色。俺は視線をテーブルにずらす。そこには出されてから、すでに二時間経ったポテトフライが萎びていた。 「どこがいいの」 「つまんないこと聞いてこないとこ」 やっと答えたエミリちゃんは興味なさげ。フォークで勢いよ
(見出しの画像は全く関係のない、私の冷蔵庫内部です) カルディが苦手だ。 幼少期からの苦手意識が未だに拭えない。母のせいである。 好奇心旺盛な母はカルディに来ると、一瞬で姿を消す。試飲のコーヒーカップ片手に、狭い通路をずんずん進んでいってしまうのだ。母を素早く見失った私は手持ち無沙汰で、仕方なくハリボーのグミを眺める。 「それ買う?」 いつの間にか背後にいるのも恐ろしかった。おずおずと甘酸っぱいレモン味を差し出せば、母の持っているカゴにはたくさんの食材が入ってい