見出し画像

【小説】深夜のファミレスにて

「また?」

 趣味悪過ぎない、と続ければ、目の前の彼女は答えずに、スカルプだとかいうクソ長い爪で、これまたクソ長いつけまつげを器用に微調整していた。一ミリの誤差でも女の子には命取りだ。深夜のファミレスの窓は丁度いい鏡。今度はリップグロスを塗り始めた。生々しい粘膜色。俺は視線をテーブルにずらす。そこには出されてから、すでに二時間経ったポテトフライが萎びていた。

「どこがいいの」

「つまんないこと聞いてこないとこ」

 やっと答えたエミリちゃんは興味なさげ。フォークで勢いよく細いポテトを一気に何本も突き刺した。そのままわざとらしく口を大きく開く。とっておきのネイルが汚れちゃうし、塗ったばかりのグロスが取れちゃうからね。慣れた俺は突っ込まない。もう散々揶揄って不評を買っている。

「ってか、好きになったら、その人がタイプなんだって気付いたわ」

 しかも、そんなことまで言ってのける。恋は偉大だ。ガサツなエミリちゃんをここまで変えてしまう。語弊があったな、エミリちゃんはずっとガサツだ。便利だからって、男友達の俺を簡単に深夜に呼び出す。

「ふうん」

 居酒屋の隣の席で飲んでいた男と意気投合して、文字通り盛り上がってしまった。出会ってから三日。エミリちゃんは新幹線並みにブチ飛ばして行く。もちろん新横浜なんて止まるわけがない。一瞬で新大阪まで行ってしまう。彼女はいつだって最高潮だ。

「今日会う予定だったけど、まだ連絡がないと」

 五反田東口の、ドンキ裏にあるホルモン屋からラブホ街までは徒歩三十秒。でも、好きな男は昨日の夜から返事がない。遊びに決まっているだろう、という言葉は野暮過ぎて言えなかった。

「まだ終わったってわけじゃないし」

 今日はあと七分で終わる。現在十一時五十三分。タクシーはとっくに深夜料金。エミリちゃんはまだ七分ある、とやけに自信ありげだけど、内心しょぼくれているのは明らかだった。
 だから、俺は急遽呼び出されたというワケだ。すやすやと心地よく眠っていた俺は、エミリちゃんの鬼電で叩き起こされた。明日、仕事なんだけど。

 エミリちゃんは平然と言う。

「もしかしたら風邪でも引いてるかもしんないしね」

「家にでも押しかけんの?」

 知らない、とエミリちゃんは吐息だけで答える。当然だ。どこに出会って三日の女に家を教える馬鹿がいるのだろうか。しかも、居酒屋で出会ってばかりの女に。返事がないのも当然だ。

「返事がない、ただの屍のようだ。……いってえっ」

 すかさず、脛を思いっきり蹴られた。エミリちゃんは俺に容赦がない。

「つまんないこと言わないのお」

 いきなり未亡人にすんな、とエミリちゃんはお怒りのご様子。俺は誰だかも知らない男に同情した。エミリちゃんに惚れられるのは大変だ。一ヶ月前にも、同じ部署の男に惚れていたっけ。聞いている限り、相手は今回と同じく遊びだった。同僚の男は、猪突猛進のエミリちゃんを迷わず着信拒否した。

 富田さんって呼ばれるのつらいんだよお。

 今と同じように、俺は呼び出されて。モスコミュールで酔っ払ったコスパのいいエミリちゃんに散々付き合ってやったのだ。それが一ヶ月前。エミリちゃんの惚れっぽさは、そのうちギネスにでも載るだろう。

 男の安い言葉に騙されるエミリちゃんは誰がどう見たって馬鹿だ。三日前のお相手である『なおくん』も馬鹿だが、エミリちゃんは超越している。

 しかし、時間の流れっていつだって真面目なもんで。時計の秒針は簡単に次の日を迎えてしまう。エミリちゃんは顔をうつ伏していた。さっき直したつけまつげは、もういいのだろうか。

 これは朝までコースだな、と俺は手を伸ばそうとした。エミリちゃんのアイフォンが初期音を響かせた。

 顔を上げたエミリちゃんは、まさに獲物に飛びつく獣だった。即座に満面の笑みをこぼす。

「やっば、なおくんから返事きたっ」

 見て見て、とはしゃぐエミリちゃん。画面にはなおくんとかいう男の『今から会える?』という簡単な誘い文句がきていた。都合のいいエミリちゃん。遅刻しても許してくれるんだね。

 メッセージがきただけで一喜一憂する姿が可愛いと思う。俺もそんな魂でいたかった。意地の悪い俺は、つまらなく拗ねてしまう。鼻で笑う。

「そんなクソに惚れてないでさ、もっといい男捕まえなよ」

 不意に出てしまった本音に、声を詰まらせたのは俺だった。言ってしまった。すぐに誤魔化さなければ。思うが、焦った頭はまだローディング中。少々お待ちください。強制的に続行しますか?

 その問いに答えたのは、エミリちゃんだった。エミリちゃんは容赦無くクリックする。俺をつまらなさそうに見下ろす。

「拓也もさ、」

やっと呼ばれた名前。俺の名前。

「そんな女に惚れてるのどうかしてると思うよ」

 機嫌いいから今日は奢ってあげるっ、と彼女は勢いよく席を飛び出して行った。俺はひとり取り残されてしまう。

ドリンクバーでやたらとたくさん入れた氷がメロンソーダを薄めている。やけに嘘臭い色は二層に分かれていく。俺はストローでかき混ぜた。

 口角を思わず上げてしまった。全然面白くないのに。むかつく、つまらない。長い前髪が瞼を覆い隠す。目の前に靄がかかる。コップに浮かんだ結露が、俺を更に情けなくする。独り言は誰にも聞こえない。

「全く敵わないなあ」

 夜はまだまだこれから。萎びたポテトは塩が効き過ぎていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?