おもしろおかしく 中編

みなさんこんにちは。

前回は人生のなかの記憶、トイトレ〜18歳までを綴りました。

今回は新卒で入ったよくわからない会社について書こうと思います。


◯新社会人 “市場のオフィスレディ?”


18歳、卒業ギリギリ、先生がわざわざ車で連れて行ってくれた職場。


大きな卸売市場

職場はどこなの…?

でかい、人いない、トラックしかない、

そして魚臭い。

建物の中に入るといろんなオフィスが並んでいた。

私が案内された場所は運送会社だった。
面接という名目だったが、もう既に採用と出勤日まで決められていた。

部長さんが魚臭い現場の方を案内してくれた。

血生臭い、汚れた作業服に長靴を履いた男の人たち。

その広場の端っこ、掘立て小屋に案内された。

そこにも作業服の男性数人。

『俺のバナナはどこに〜〜〜』

『ここです沢先輩〜〜』

自分の股間にバナナを当て、
それを食べる別の若手の男性。

私はその頃セクハラと言う概念がまだなく、ただ男性たちが笑ってるのを見て平和な場所やな、と思った。

慣れないヒールでぶちこけた。

カタ

そしていよいよ入社日

朝5時出勤

バカなの?

私は先輩に連れられ、仕事の流れを教えてもらった。

ていうか、私ら掘立て小屋で仕事すんの!?

という感情は押さえ込んだ。

私たちの会社は運送とは別に、漁師が持ってきた魚を発泡スチロール箱に詰め替え、見栄えを良くする仕事もしている。

その箱に詰め替えた作業量を私が計算してリアルタイムで請求する、という仕事だった。
約4時間、ひたすら計算して請求する。

正直、なんなんだこの仕事は?と思った。

あの漁師には何箱分魚を詰めた、というメモが手渡される。

そして私が請求。

料金が違うと漁師にブチギレられる。
最初の数ヶ月、本気で意味がわからなかった。

ほったて小屋。


ただ、色んな人からめちゃくちゃ可愛がられた。

18歳で廃れた卸売市場に入社は異例だったらしい。何百人もいる市場のなかの紅一点だった。

その時のあだ名はローラ。(内面が)
私の母は東京の人なので、完璧な標準語。
標準語としどろもどろの敬語。
喋り方がローラそのまんまだったらしい。

『「わかんなーい」じゃねぇよ!』
何回も言われた。
本当に怒られる意味が分からなさすぎて、ローラになりきった。ありがとう、ローラ。

世代的にはお父さん世代が多くて、まぁ、本当に引くほど可愛がられた。

娘や孫のように見てくれる人と、セクハラおじさんと、色々な人がいた。

ペンで胸をつつかれたり、お尻を触られるのは毎日。それがコミュニケーション。
今考えると大大、大問題。

そんなことはされてはいたけど、まぁ、可愛がられた。突然何人ものお父さんができた感覚だった。

人間関係は良好、むしろ楽勝だった。
若いって得だなと、自分の若さに感謝していた。

ただ、三年間交際した恋人とはすれ違いすぎて破局した。

◯ブラック会社 “手取りが10万?”


問題は待遇面だった。
なんと手取り10万。

おい、笑える。

97,489。バイトか?


運転免許のローンや奨学金、いろんな費用を考えるとほぼ残らないのだ。
また有給は年に3日、というかなし。

すぐに絶望した。
ていうか、契約書と違うくね?

ただ頑固な私は『石の上にも三年』という言葉を信じていたので、それでも辞める考えはなかった。

一年間は仕事を覚えるのに必死だったと思う。

給料明細を見ては自分の人生にドン底を感じていた。


仕事を掛け持ちしよう

タウンワークに這いつくばった、あの日。

カタ

◯仕事の掛け持ち “若さは無敵”

最初のバイトはガールズバー。
正直、私は接客はかなり向いていない。
特に自分自身をサービスとして売る接客。

さらに本職が昼に終わり、バイトが夜から。
隙間時間の仮眠がキツかった。
繁華街のなかにバイト先があったので市場のお父さんに即バレ、長く続かず終わった。

次はホテルの洗い場の仕事。
中国人とともに皿洗いをした。楽しかったけど、派遣はなかなかシフトに入れず断念。

最後はコンビニのオープニングスタッフ。
事情を話して掛け持ちも了承してくれた。
本職が朝4時〜13時
コンビニが14時〜23時

毎日の睡眠時間は4時間、死ぬど。

実際に本職で『いらっしゃいませ』と言ってしまったり、運転中に信号待ちで意識を失ったり、ガッツリ支障はでていた。

ただお金は増えた。

カクカクシカジカ。


私は軽自動車の新車を買った。
当時は本当に憧れていたのだ。
初めての大きな買い物。
とても嬉しかったのを覚えている。

今考えると他に使い道あっただろ、
と真顔になってしまう。


そして速攻ぶつけられたのだ。

カクカクシカジカ、四角いコンテ。

カト

◯二十歳の遊び “いいとこ取り”


20歳、本当は遊び盛りな年齢。

周りは相当不憫に思ったのか、市場の先輩たちは色んな場所に連れていってくれた。
主に釣りだけど。
釣りだったり、超高級なお寿司、焼肉、運動会(笑)、県外まで連れていってくれたり。
漁師の人たちが住んでる島だったり(笑)

釣りとか。飲みとか。


私にはお父さんやお兄ちゃんが沢山いた。
実の家族より家族らしい事をしたかもしれない。

反対に、私の同級生のほとんどが大学生だった。
大学は人生の夏休み」と言う友達が心底羨ましかった。

大学生っぽい何かを経験したくて、バイトが休みの日は大学の軽音部に潜入した。

大学の新歓の飲み会はすげぇなと思った。
そこらじゅうで一気飲み。若さだ。
ライブの日はみんなで楽しんだ。
楽器は出来ないのでその空間にいるだけだけど、最高に楽しい日々。

アジカン、GoGo7188、ワンオク、椎名林檎
ライブは楽しかった。

この時代、自分のお金じゃとても食べられない高級料理を食べた。勉強はせずに楽しい軽音部だけ参加した。

遊びやグルメに関してはいいとこ取りだった。
パパ活のように見えた可能性もあるが。

食べたお寿司、今では世界で有名

カト

◯迫り来る未来 “透けて見える将来”

ひと通り楽しんだ1、2年。

私は遊びに感してはもう満足してしまった。

今後はどう生きるか、を悩む日々が続いた。

一生実家暮らし?ずっと本職を続けられる。
いやいや、私は自由になりたいよ。

転職?給料は上がるけどバイトできなくなったら手取りは減るじゃん。

そして職場を辞めたい理由が明確にあった。
私は他会社のオツボネに異常なくらい嫌われていたのだ。

仕方ないと思う。
突然、若い女が現れてちやほやされていて。
ちやほやしてくれるお父さんのなかに、その人の旦那もガッツリ入っていた。

そのお局さんもまた、高卒から入社して相当ちやほやらされていたらしい。

ろくに仕事もできず、ご飯だけ食って、下の世代をイジメて、ずっとここに居座ってるのか。



私は自分の未来を見ているような気がして吐き気がした


さらに大学の同級生が卒業したら、社会人経験は長いのに手取り10万なんて、言えないよ。
あっという間に、いや、最初から抜かされている。あの人たちはすでにスタート地点が違うのだ。

うわー、格好悪い、無様で底辺。
貧困家庭に恨むことまであった、社会人なのに。

ただ何をどうすれば、この現状から逃れられるかなんて分からなかった。
高校のときに資格取得は頑張ったけど、実際社会に出たらそこまで役に立たなかった。さらには就職で戦う相手は大卒の同級生になってくる。

無理ゲー、詰んでる。
勝てる要素がひとつもない。



そんな時、職場のお父さんから突然言われた。

カト、ここにずっとおったらいけんよ』

いや、わかっとんねん
ローラだった私はお父さんからすると何も考えてないチャランポランに見えたんだろうと思う。

『俺の娘は看護師になったぞ、俺より給料ええんやないかなぁ?』と笑っていた。

えーーーーーーー、
看護師は無理だよ〜注射とか不器用だし、
幽霊怖いし夜勤とかまじ絶対無理、無理。
なんなら介護科がいやで商業科に行ったのに。

と、拒否した。

そして退勤後のできごと。

ふとした事だったけどはっきり覚えている。

その日の帰りは大きな工事があって、
たまたま道を変えて帰った。

たまたま、医師会の前を通った。

たまたま、新入生受験者募集という大きな幕がビルから降りていた。



俺の娘は看護師になったよ』

お父さんの言葉がよぎる。


そこからまた人生が変わる事になる。


本当に、生意気な小娘だったこの時代。
手取り10万ってすぐ辞めろよと突っ込まれるけど、ここで出会った人たちの一部は今でもやりとりしている。お前が困った時は知らせろよと、30歳超えたいまでも言ってくれる、色々大変な時期だったけど、ダントツでこの市場の人たちは人間味ある人たちだった。半分はもう死んでるだろうな。

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