自閉症という障害のある息子くん。 20歳になった区切りに、小さい頃のことから書いていこうかと はてなに書き始めて、noteに書いていくことに決めて なかなか寝てくれないところまで書いて 3年経ってしまいましたw で、今更ですがコツコツ続きを書こうかと。 今回はその前ふりだけでw 次回はそんな息子くんが3歳となって、 正式に『自閉症』と診断されて、 なぜか家族でアメリカに引っ越すことになった話を書こうかと思います。
またまた【閑話休題】で。 あなたは、『カンペキ』って漢字で書けますか? 英語の『perfect(パーフェクト)』の『カンペキ』です。 ちなみに、『ペキ』は壁(かべ)ではないですよ。 スマホやパソコンでカンペキを入力して変換していただければ、わかるかと思いますが、下の部分は『土』ではなく、『玉』です。 『完璧』 これが正解です。 「完全な壁で完壁」 って意味が通ってそうなので勘違いしやすいですが、違います。 結構間違える人多いです。 ワープロ世代だからですか
いや、さ、あの小話のせいだよ。 ということで、勢いに任せて、また息子くんの障害とは一切関係ない、自分の今の感情と向き合ったことを書いてみた。 別に紙のノートとかに書いてしまっとけばいいんだけど、なんかそそっと公開しときたかったのでしました。 なんで、これはSNSではシェアしません。 ハッシュタグもつけませんw 『感情』を丁寧に拾ってみたwいま、本当は、すごく怖いはず。 そう、怖いよ。 お腹の下のほうがドヨーンとしている。 でも、これ100%占めているわけじゃない。
さて、目的のところでも書いたけど、『自閉症』の息子くんとのエピソードを書いて、同じ境遇にいる人の参考になればいいな、とか思って書き始めまたこのnote… でも、そんな立派な(自分で言ってはいけませんねw)目的でなにか書こうとすると、なかなか思いつかず筆が進みません。 そこで、何でもいいから、ちょっとした小話も書いていくことにしました。 今日はそんな小話の第一回目。 息子くんにした『必死』の話をします。 障害はあるけれど…我が家の息子くんは、知的障害を伴う自閉症という障
あけましておめでとうございます。 今年最初のnoteです。 さて、前回はなかなか寝てくれない息子くんに付き合って寝不足が限界が近づき、物理的な暴力まであと一歩という状態…これを救ってくれた『こども病院』の新聞記事の話をしました。 今回はその続報、号泣して、読めなくなるくらいに涙で新聞をびしょびしょにしてしまったところにヨメさんが帰ってきたところからです。 ”寝不足であることの幸せ”を二人で確認 思ったより早く帰ってきたヨメさん。 きっと夜寝てない息子くんがぐずったの
前回のお話しでは、「今思えば、きっとあれって障害のせいだったんだね」と思えることを列挙しました。 この中でも、睡眠障害なのか、『夜寝てくれない(T_T)』はかなり深刻でした。 どれくらい深刻だったかと言うと、(ヨメさんは知りませんが)自分は、もう、切れてしまって、叩いたり、放り投げたり、する直前。 物理的なことはしていないけど、ま、言葉の暴力は(お恥ずかしながら)結構ぶつけてました(改めて反省)。 そんなときに奇跡がおきたんですね。 普段は読まない新聞だけど…その日
結婚して、ヨメさんのお腹の中にいるときの話をしたんで、 そろそろ”産まれて”いただきましょう。 2000年6月某日、息子くん誕生!前年の1999年には人類滅亡、 そして、この2000年には コンピューターの2000年問題とかありましたが、 6月の某日、無事息子くんは産まれてくれました。 定期検診の頃から、 「絶対に立ち会いはしません!!!!」 と宣言していたためか、 事前にヨメさんと助産師さんで結託してたんでしょうか、 「分娩台に運ぶまで手伝ってください。」 「先
もうあれから1年経ってしまったのか… 50歳になったし、自閉症という障害のある息子くんも就職したしで、息子くんのことを生まれたときからまとめてみようと”はてなブログ”に書き始めた。 で、 「あ、これnoteで書いたほうが面白そう…」 と思い立って、やろうやろうと思いつつ一年経ってしまった。 なので書きますわ。 これまで、はてなブログで書いたのは これまでのことをまとめようと思い立った経緯を書いた 久しぶりの記事:これから書こうと思っていること およそ10日間で
一度ダメでも諦めない。 ま、かなり堪えるけど、諦めない。 もう一回やる。もちろん、改良できればいいけど、思いつかないならそのままでいいからもう一回やる。 改良を思いつくまで、そのままやる。 改良を考えて、止まるくらいならそのままやる。 自分のために言ってみた。