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高校生のための人権入門(7)  同和問題(部落差別)について

はじめに

これから何回かにわたって、今の日本で起きているさまざまな差別や人権侵害について書いていきたいと思います。最初にお断りしておきたいのは、「人権の問題についてはまだ正解はない」とわたしは考えているということです。「こういう考え方、とらえ方だけが正しくて、それ以外は間違いだと言えるような正しい考え方はまだない」ということです。ですから、これから書くことも、あくまで現時点のわたしはこう考えるということにすぎません。お読みになりながら、ぜひ、「そうかなあ。」と思ったり、「わたしはそうは思わない。わたしはこう思う。」と考えたりしていただけると幸いです。「高校生のための人権入門」という題名から、授業のようなものを連想する方もいらっしゃると思いますが、一昔前の授業のような、教師から生徒への「正しい考え方、知識の伝達」というようなことは、人権の問題については不可能だとわたしは思っています。わたしの文章を、人権について考えるきっかけにしていただければ、こんなにうれしいことはありません。

部落差別は今もある

最初に、同和問題(部落差別)を取り上げます。同和問題(部落差別)は、近代の日本が抱えた、そして、今もなお抱えている、おそらくは最大の差別だからです。日本における人権問題を語る上で、同和問題(部落差別)を避けて通ることはできません。今年(2022年)は、「水平社宣言」が発表されてからちょうど100年となります。「水平社宣言」は、おそらく日本最初の「人権宣言」と呼べるものです。近代日本における差別反対、人権擁護の動きはここから始まるのです。

部落差別を考える上で、まず大事なことは2つあります。ひとつは、「部落差別は今もある」ということであり、もうひとつは、「部落差別ほど根拠のない差別はない」ということです。部落差別が今もあるということは、ちょっとインターネットをのぞいて見れば、誰でもすぐにわかることです。それにも関わらず、今の日本において、なぜ「ある」ものが、「ない」ことになっているのかについては、最後にふれたいと思います。

部落差別という言葉を知らない方もいらっしゃると思います。部落差別とは、特定の地域(「被差別部落」と呼ばれます)に住んでいることや、自分や親や祖父母などがその地域の出身であることで、差別を受けることです。この説明を見ただけで、部落差別がまったくなんの根拠もない差別であることが、よくわかると思います。差別というものはもともとが根拠のないものなのですが、実際には、自分(たち)と相手の「違い」によって、相手に差別的な行動をしてもよいと思うことから、さまざまな差別や人権侵害が始まります。しかし、ある地域の出身であることだけで、その人が差別的な扱いをされていいと、自分や人が納得できるような説明をできる人は今はいないでしょう。それくらい部落差別というものは、まったく根拠のない差別です。(だからこそ、現在、部落差別を行う人たちは、あとで述べるように「同和利権」のような「虚構の(つまりは、でっちあげた)理由」を持ち出さざるをえないのです。)

部落差別が特定の地域と結びついた理由

部落差別が特定の地域と結びついた理由は、江戸時代までの身分制度にあります。従来、部落差別について行われていた「江戸幕府が、士農工商の身分序列(身分のピラミッド)のさらに下に、被差別部落の身分を作った」という説明が歴史的に誤りであったことは、今では常識になっています。江戸時代、差別を受けていた人(以下、被差別民と呼びます)の中には、名字帯刀を許され、農民以上の社会的権利や財産を持っていた人がいたことも、すでに明らかになっています。つまり、江戸時代までの身分というものは、かつて考えられていたような、どちらの身分が上でどちらが下というような単純な「上下の階級」を表すものではなく、むしろ職業(職分)等に伴う「特権」や「義務」と結びついた集団のことだととらえた方が事実に近いのです。さまざまな意味で「けがれ」や「きよめ」(死んだ牛馬の処理、皮革業、清掃、刑吏など)に関わる職業に従事する人たちが、中世以降、特定の職能集団として政治的に城下の一角に集められたり、村の一角に集まって暮らしたりすることによって、その身分と住む地域が密接につながるようになりました。そのような人たちは、農民などから「畏敬」(おそれ、うやまう)と、その裏返しである「忌避」(さけて、とおざける)の念をもって扱われました。もちろん、江戸時代は身分制社会ですから、いずれかの身分に所属しない人はいません。ところが、明治時代になって、身分による差別や特権等が消えていく中で、なぜ部落差別だけが残って、今に続いているのかは、おそらく江戸時代までの歴史をいくら研究してもわかりません。部落差別が生まれたのは、江戸時代ではなく明治時代だからです。

部落差別はどのようにして生まれたか

部落差別がなぜ残ったか(または、生まれたか)については、歴史学者によって、さまざまな考えがあります。江戸時代にあったのは身分制度であって、部落差別ではないというわたしの考え方からすれば、部落差別が生まれたのは当然、明治時代ということになります。では、何が部落差別を生んだのでしょうか。一言で言えば、明治政府の行った近代化政策が、今も残る部落差別を生んだのです。明治政府のいくつもの政策の中で、部落差別に関連して特に重要な意味を持つのは1871年(明治4年)の太政官布告と1873年(明治6年)の地租改正です。太政官布告は通常「解放令」と呼ばれますが、その本文を読めば、「賤称(相手をさげすむような呼び方)を廃止すること」と「身分、職業は平民と同様に扱うこと」がまず書かれて、後半部分に、「地租(土地にかける税金)の免除の廃止(*)」が書かれています(*「賎民身分の田畑には租税が課せられていることが多かったが、宅地は役負担の代償として無税地とされる場合が多かった。」(『民衆暴力』中公新書、藤野裕子著、43ページ))。この布告自体が、2年後の「地租改正」を行うための布石だったという学者の意見があります(*)が、わたしもそれに賛成です。(*『よみがえる部落史』社会思想社、上杉聰著など)この布告は、賤称を廃止し、被差別民の特権(皮革業を営む特権や「地租の免除」の特権など)を奪うとともに、すべての土地を個人の所有物とみなして土地を売買可能なもの(商品)にし、土地そのものに地価に応じた課税をするという明治政府の方針転換(地租改正)のための布石だと考えられるのです。

江戸時代には、税金を主に収めていたのは農民(年貢としての米の物納)であり、年貢の高は土地ではなく、そこにできる米の生産高に基づいて決められていました。(江戸時代には、所得税や相続税はありませんので、武士や町人はほとんど税金を納めていません。)また土地は人の所有物(売り買いできる物)ではなく、住んでいる場所からの人の移動が基本的に禁止されていたのですから、土地はその地域に住み、生きていくための必須の基盤でした。「住む場所と、生きる手段(職業)と、身分」が一体となった社会、これが封建制です。これらのことを考えれば、地租改正という方針転換は、封建制の残る日本社会を、一気に近代化、そして資本主義化していくという点で、天地をひっくり返すような意味を持っていたと考えられます。近代化と資本主義化は、人をその生きる基盤であった土地から、無残にも引きはがしたのです。

この太政官布告を受けて、それに反対する民衆の暴動が1871年(明治4年)から、兵庫県や岡山県など、西日本のあちこちで起きます。1873年(明治6年)に岡山県の美作(みまさか)地方で起きた暴動(「美作一揆」などと呼ばれます)では、人々が被差別部落を襲って家を焼き、被差別部落の住人18人を殺害しました。また、この一揆に参加して処罰された人は27000人に及びました。(『民衆暴力』中公新書、藤野裕子著、45ページ)それまで「けがれ」と「きよめ」の意識に基づく「畏敬」と「忌避」の気持ちによって、親しいつきあいや、対等の人間的な関係がなかった人たちと、「いっしょにされる」ことへの強い抵抗感や不安や怒りがこのような差別や犯罪を生んだと考えられます。いわば、中世・近世以来の身分制にもとづく「畏怖」や「忌避」の念が、太政官布告をきっかけに、ねじれるような変化を経て、近代的な差別意識に姿を変えたことになります。現在の部落差別は、歴史的にはこの時点から始まったと考えるべきです。ちなみに、明治政府によって初めて作られた戸籍である「壬申戸籍」は、同時期の1872年(明治5年)に作られ、一部の地域の戸籍には「新平民」等の記載がありました。

明治政府によって進められる身分の再編は、平民が苗字を名乗ることや、華族や士族との通婚、職業移転の自由を認め、一方では身分に伴ってそれぞれが持っていた多くの特権を消滅させました。地租改正は、土地を個人の所有物として売買可能なもの(商品)とし、土地に課税することによって、それまで人々の生活の基盤として人が生きることと切り離せなかった「土地」というもののかけがえのない存在意味を奪い去りました。(イギリスにおける2回の囲い込み運動を思い出してください。)これらの明治政府の政策は、特に士族と被差別部落の人々に大きな負の影響を与え、その結果、多くの人々がそれまでの職を失ったり、さらに貧しく、生活が苦しい状態に追い込まれたりしました。このような明治政府の行う近代化が、被差別部落の人たちの失業や生活環境の悪化、識字率の低さ等をもたらし、そのような生活水準の低下、生活の困窮化が、被差別部落の人たちへの周囲の差別意識をさらに深めていきました。このように歴史を見ていくと、部落差別は、明治政府がその意図とは別に、結果的に近代化の中で生み出したものだと言って、ほぼ間違いはないように思えます。そう考えれば、1969年(昭和44年)に制定された「同和対策事業特別措置法」などに基づいて国や自治体が同和対策事業を行い、被差別部落の人たちの生活環境の改善などに努めたのは、国や自治体の責任として当然のことと言えます。

現代における部落差別

ここで話は現代に戻ります。今まで見てきたような歴史的な経緯によって、部落差別はその人の居住地または出身地と密接に結びついています。そのため、部落差別をあおる人たちは、同和対策地域、被差別部落の地籍名や現在の場所(住所等)を公表することを主な活動にしています。そのことが、当事者を最も苦しめることをよく知っているからです。しかし、A地区の出身であるか、そのすぐ隣りのB地区の出身であるかということは、その人について判断する上でなんの意味も持たないことは、今では、誰もが(少なくとも頭では)わかっています。そこで、部落差別をあおる人たちが持ち出すのが、「同和利権」です。つまりその地域に住む人たちが、同和対策事業などを使って、不当な利益をたくさん得ていたと主張するのです。同和対策地区の人たちはそういう、「人に迷惑をかけた、ずるい、許されない人たちだから、非難され、攻撃されても当たり前だ」と主張するのです。(もしかしたら、この文章をお読みの方の中にも、このような考え方に内心共感する方は、いらっしゃるかもしれません。今の日本では、このような「ずるをして得をしている(ように見える)人」を許さないとする発言が、社会的に大きな共感を得る傾向が強いのです。なぜ、そうなっているのかも、別の機会にふれたいと思います。)しかし、このような考えは明らかに間違っています。

まず、社会的につくり上げられた不平等を是正するために、不利な立場にある人に手厚く税金等を使い、制度上もある程度の優遇をすることは、社会の義務です。これを、「アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)」と言います。アメリカでは黒人や女性という社会的に不利な立場に立つ人たちに、このアファーマティブ・アクションが行われました。部落差別は先ほど見た通り、意図的ではなかったにせよ、社会的につくり上げられた不平等ですから、これを是正することは社会の義務です。次に、実際の同和対策事業が行われる中で、問題がある申請や不正な申請認可が行われたことを取り上げて、この事業自体を非難する意見もあります。しかし、行政が行うさまざまな事業での不正行為は、別に同和対策事業に限ったことではありません。最近も、新型コロナに関わる持続化給付金でたくさんの不正申請、不正受給が起きたことは記憶に新しいところです。もちろん、不正自体は許されることではなく、処罰されるべきことであることは言うまでもありませんが、不正受給などが起きたことだけで、その事業自体を間違っているとは言えません。

今、部落差別について考える上で、もっとも必要なことは、現在起きている部落差別をなくすためには、どうすればいいのかということです。そのためには、現在、部落差別はどのような形で起きているのかをよく見る必要があります。それによって、部落差別をなくす方法がわかってくるはずだからです。先ほど、部落差別は明治時代の政府の政策によって生まれたということを述べました。ただ、部落差別がどのように起きているかは、時代の移り変わりの中で変わっています。そのため、部落差別をなくすためには、現在、部落差別がどのように行われているかを見ることが必要です。

現代の部落差別の二つの形(「攻撃」と「忌避」)

現在、起きている部落差別は、大きな目で見れば、「攻撃」と「忌避(避けて遠ざける)」のふたつの形で行われています。「攻撃」は、現在、インターネット(以下、「ネット」と省略)の中で行われているものが中心になります。具体的には、同和対策地域を訪れ、その地名や画像をネット上で公開したり、被差別部落の地籍名の一覧をネット上で公開したりしています。また、被差別部落の「地名総覧」のようなものを本にし、ネットで販売しようとした動きもありました。これらに共通しているのは、当事者が、人に知られたくないと思っている同和対策地域の地名や場所等を、あえて公表して不特定多数の人々に知らせ、そのような嫌がらせによって当事者が怒り、苦しむのを見て楽しもうとしている点です。このような行為の根底には、明らかに当事者への悪意があります。その悪意の根底には、当事者への憎しみ(ヘイト)があり、さらに、この憎しみの背景には、「同和対策事業等を通じて不当に利益を得てきた」と彼らが考える、当事者や当事者の団体への「憎しみや怒り」があります。ここには、「不当に利益を得たり、不当に権利を振りかざして、人々に迷惑をかけたりしている」と彼らが考える人たちへの、彼らなりのゆがんだ「正義感(正しさ)」からくる「怒りや憎悪」があるのです。その結果、はたから見れば、どう考えても明らかに、差別的で卑劣なこと(人が公表されたくないと思っていること、その人の責任ではまったくないことを、わざと公表して喜ぶということ)をしていながら、彼らには「悪いことをしている」気持ちはありません。むしろ、自分たちは「正しいことをしている」つもりでいるのです。当事者が苦しめば苦しむほど、怒れば怒るほど、彼らは自分たちの「正しさ」をそれによって確認し、喜びを味わっているのです。

なぜ、こんなことを彼らはするのでしょうか。一言で言えば、彼らは「みじめさ」を抱え込んだ人たちであり、自分自身の「みじめさ」を認めたくないため、自分の「みじめさ」から逃れるために、このようなことを執拗にしているのです。その意味では、彼らが攻撃の根拠にしている「同和利権」という考え方が、実は単なるこじつけであっても、そんなことは彼らにとってはどうでもいいことなのです。自分と立場が替わる(自分がそのことで逆に攻撃される立場になる)ことがないような不利な立場の人を、徒党を組んで攻撃し、相手が苦しむのを見ることができれば、それで充分なのです。まったく同じことが、ヘイトスピーチをする人たちについても言えます。彼らが抱えている「みじめさ」がどのようなものであるか。なぜ、「みじめさ」が、このような差別や人権侵害につながるのかについては、また別の機会に詳しく書きたいと思います。

一方、現代の部落差別のもうひとつの形は「忌避」です。「忌避」が、もっとも典型的な形で現れるのは、結婚問題(結婚差別)においてです。当事者と結婚したいと考える人を、親や親族が思いとどまらせようとして言う言葉、「わたしは、部落差別はおかしいと思うし、お前の結婚したい相手を差別するつもりはまったくない。しかし、周りの人がどう見るかを考えると、お前はあの人と結婚すれば後悔するんじゃないかと思う。お前は人がどう思おうと関係ないと言うが、生まれる子どもは違う。子どもが、どういう目で見られるかと思うと自分は賛成できない。子どものことも考えろ」。このような言葉には、「忌避」の思いがはっきりと現れています。ひと言で言えば、「あの人たちは避けたい。あの人たちには関わらない方がいい」という思いです。その根底には、面倒なことに巻き込まれるのではないか、自分(たち)も社会からの「攻撃」や「忌避」の対象にされてしまうのではないかという不安や恐れがあります。人間のもっとも根源的な本能は自己保存本能ですから、不安や恐れに包まれた人間にとって、自己保存(自分を守ること)のための忌避行為は、理屈抜きで「正しい」こと、「当たり前」のことと感じられています。自分(たち)の身を守ってどこが悪いんだという思いです。そのため、当事者との結婚をやめさせようとする親や親族は、自分が間違っていることや、してはならないこと(差別的言動)をしているとは思っていません。むしろ、本人のため、結婚相手のために言っていると思い込んでいます。このような「不安」が日本人の中にある限り、部落差別は終わっていないと考えるべきです。

もちろん、この「不安」は根拠のないものです。しかし、根拠がない、間違っていると言っても、それだけでその人の「不安」を消すことは実はできません。理屈で「不安」を消すことはできないのです。頭ではわかっていても、人は「不安」にとらえられれば、とんでもない行動をとってしまいます。「不安」を消すために、まず必要なことは、自分が今、不安を感じているという事実を認めることです。それによって、初めて人は不安を感じている自分を客観的に見ることができ、その不安が確かな根拠があるものかどうかを判断することができるのです。

しかし、これまでの同和教育などは、このような「不安」や「恐れ」を、根拠のないもの、間違ったこと、それ自体が差別なんだとしてきました。「そんな不安は感じてはいけない。そんな不安は間違っている。不安を感じること自体が差別をしていることなのだ。」と言ってきました。そのような主張自体は理屈としては間違っていません。しかし、先ほども述べたとおり、不安は理屈で消すことはできませんから、結局、そう言われた人は、自分の不安を、自分自身に対しても隠すことになります。自分はそんな不安は感じていないというふりをし、やがては「自分は不安など感じていない」と思い込むことになります。こういうことを、心理学では、「不安の抑圧」といいます。しかし、不安は抑圧しても、無意識の中にしっかり残り、なにかをきっかけに噴き出します。人権擁護の仕事をしていた人が、自分の子どもが当事者と結婚したいと言い出した時、そんなことは絶対許さないと激昂して猛反対するようなことが、現実に起きるのです。このような場合、ひたすら強い圧力で抑え込まれていた、たまりにたまった不安が、一気に、強烈な怒りに変わって噴き出したということになります。

なぜ、部落差別はないことにされるのか

現在の日本で、同和問題(部落差別)について、一番大きな問題は、日本全体に「もう、同和問題(部落差別)なんて、ないんじゃないか。」という意識が広がっていることです。実際は、今、述べたように、ネットの中でも、結婚問題でも、また時々報道される政治家や有名人の発言の中にも、はっきりと同和問題(部落差別)はあるにも関わらず、多くの日本人は、「それは例外で、おかしな人がそんなことをしているだけだ。わたしの中にはそんな差別意識はないし、わたしの周りではそんな話は聞いたことがない。だから、もう日本には部落差別なんてないんだ。」と思っています。ここにあるのは、やはり姿を変えた「忌避」の気持ちです。「部落差別はあってはならないことだ」ということが、強く意識されればされるほど、結果として「部落差別はもうない」という意識が強くなっていきます。ちょうど、学校の中で、「いじめ」が起きていながら、「いじめは絶対あってはならない」と教員も児童・生徒も強く思っている場合ほど、現に起きている(起きた)「いじめ」が、「あれは、調べてみたらいじめではなかった。単なる子ども同士のじゃれあい(からかい)だった」とされてしまうようなものです。一般に、人の社会の中では、「絶対あってはならないこと(不都合なこと)」は、「ないこと」になっていくのです。目の前で、差別やいじめが行われているのを見ても、それを見ようとしない。見てしまった場合も、あれは「差別じゃない。いじめじゃない。」と思い、被害者に対して、「あれはいじめじゃない、差別じゃないんだから気にするな。」などと言うようになります。これは被害者にとって、深刻な二次被害になります。こんなことが、社会のあちこちで今、実際に起きています。そのような社会では、被害者だけが周りから白い目で見られ、孤立していきます。

部落差別に限らず、日本のいたるところで、このような被害者の孤立や二次被害が起きています。それをなんとか打開したいと考えて、このような文章を書いています。

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