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短編:虚構の庭、完璧な塔、螺旋の撞着

閉鎖病棟リリック・ビデオ 挿入小説

文章 椎名ざらめ
映像・イラスト EIGHT

***

目を覚ますと、斜陽は既に白磁の塔内を薄暗く照らしていた。
じらじらとした赤橙に瞼を焼かれ、血潮の流れが、不自然な生を想起させる。
過ちを犯した。誤りを犯した。


『消えないで!』
『君が喪う必要なんて、何一つ無いのに!』
『いいんだ。死んでしまえば、全て幻だから。』
『魔法は、人間の想像を超えることができない。』
『それでも!いや、それでこそ!』
『左脳を、左脳で、左脳に、左脳は、』


靄のかかった思考を断ち切り、沈む陽と対になる形で上体を起こす。
空の寝台から、伝染する流言。
アンティークの穏やかなあたたかさが、点滴に繋がれた腕の在処を刺し、示す。


『きっとその夢には、終わりなど訪れないでしょう。』
『いや、私はこのまま森で生きるよ。』
『それでもいいの。私が殺したの。それだけが正しいことだから。』
『やめて!それは、『私』じゃない!』
『深紅のワンピースで、バレエを踊っただろう。』
『まるで、嘘みたいな話ね。』


朝を待ち、昼をやり過ごして、夜を弔った。
冷たい陶器の床材を通して、体中の熱が吸い出された。
病室を抜け出した君は、比翼の竜と対峙する。


『夢?君の死が?それとも、君の存在自体が?』
『やめてくれ。僕はそういう無意味な言葉が一番嫌いなんだ。』
『君のためじゃない、これは遺された僕らにこそ必要な儀式なんだよ。』
『さよなら。さよなら。さよなら。』
『畏れているものを尊ぶことで、それを遠ざけることができるの?』
『それは、『美しい』の?』


蛍光灯の切れかけた廊下に、点々と飛び散った血痕。
白髪の老人は、天体の動きから、彼の死を言い当てた。
おはよう、こんにちは、またいつか。


『ああ、愛しいニア。今日はどの絵本を読んでやりましょう?』
『ああ、かわいいニア。今日はどうやって愛してやりましょう?』
『ああ、小さいニア。今日は遊園地で踊るの?』
『ああ、かわいそうでかわいらしい、ニア!ニア!!ニア!!!!』
『美しいニア!卑しいニア!烏滸がましいニア!』
『だから全て、あなたの全てを、私に頂戴!!』


エプロンに一杯のキイチゴ。
根源的な恐怖が訪れる。視界に再び赤橙が滲む。
チャイムの音は醜く歪み、1.2kHzの怪音に鼓膜がジャックされる。


『本当はこんな夏を過ごしてみたかったんでしょう?』
『でも残念、君に普通の幸せなんて訪れないよ。』
『他でもない自分自身が、それを望んでいるんだもの。』
『うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!』
『そんな瞳で!そんな無垢な心で!罪のひとつも犯したことのない、そんな体で!』


皮膚の下を蠢く蟲々が、歪な実在感を帯び始める。
水より粘度の高い液体が、雫となって落ちる幻聴。
粒状の唾液が、タイルの境界に落ちると、水晶体が弾けた。


『死んじゃえば、全部幻だって思ってた?残念ね。』
『死ぬことは、美しいものだと思ってた?残念ね。』
『どこまでも君を苛むだろう。どこまでも君を追いかけるだろう。』
『だとしたら、君はどうする?どうやって、どこに逃げる?』


私のそれを含め、四つの寝台はもぬけの殻だった。
染みついた煙草の香りだけがその実在を僕に知らしめた。
右手には理想を。左手には妄想を。
我らが完璧な塔に、秩序立った体系を。


そして、誰もが「塔」に意志を奪われた。


苔生す石煉瓦と葦のそよぐ箱庭で、彼女は世界を眺めた。
大嫌いな祖母の遺した本を火に焚べ、煤に塗れた酸素を肺いっぱいに吸い込んだ。
愛を歌える?そのちっぽけで独りよがりな愛を、声高に唱える?或いは、それを「愛」と呼べる?
答えは無かった。ただ、ありのままの空白とバイオリズムだけが、私の声を通し実像を結んだ。


我らが完璧な塔では、様々な人が肩を寄せ合って過ごした。
或いは、現実や実態といった正体不明のオカルトを笑い合って遠ざけた。
友愛?外連?憐憫?不憫?惻隠?愛隣?慈悲?
手編みのマフラーで口元を覆い隠したまま、君は塔を降りた。ただありふれた四文字の言葉を残して。


さよなら、さよなら、さよなら、さよなら、さよなら、さよなら、さよなら、さよなら。
喪った物をひとつずつ数えて。亡くしたものをひとつずつ数えて。
そして、僕に教えて欲しい。彼らの「さよなら」を。最期の「さよなら」を。
それはきっと、別れの言葉だ。何よりも正しく、温かい、別れの言葉だ。ああ、きっとそうだ。


軽薄な約束と、形ばかりの祈りを重ねて。僕らは日々を営んだ。
僕らは尋ね間違えた。僕らは選び間違えた。僕らは数え間違えた。僕らは生き間違えた。
生きる限りは救われないと知っていた。願う限りは報われないと知っていた。それでも抗うことが、ゼロを求め続けた僕らの終点だと知っていた。
自己を担保するための営みとして、僕は言葉を綴った。それがきっと、僕が殺した彼へのせめてもの餞だった。


***

Sloyd Node 1st album
「虚構の庭、完璧な塔、螺旋の撞着」

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