令和に慣れない
新聞の日付とかを見て
「あ、もう、令和2年なんや」
と小さくびっくりすることがある。
まだ令和って言葉に馴染みもないのに。
こないだ元号変わったとこな気がしするのに、もう令和2年。
なのにまだ平成気分が抜けない。
いまだにガチンコファイトクラブの話とかしたりして、全然平成してもうてる。
皆さんはどんな感じ?
もう令和にどっぷり?
昔、おじさんがカラオケで70年代の歌とか歌ってるのを見て
「まだ昭和してるやん」
とか思ってたけど、今度はこっちが思われる番だ。
というか、家のものとかほとんど平成に買ったものなんですけど。
家が平成やもん。
平成の茶碗にご飯入れて食べてるし、平成のタオルで体拭いてるし、平成のリュック背負って平成の自転車に乗って、平成の喫茶店に行ったりしてる。
いつまで平成しとんねん、と。
全然令和してない、やばい。
これから、
「平成ですやん笑」
とか若い子らに言われ出すんだろな。
「いや、平成じゃないんですから笑」
的な。
でも、こういう感覚って、昔からあるのだろうか。
例えば、江戸時代とかも、ちょっと二、三年前に流行ったことを言ったりしたら、
「元禄ですやん」
みたいに突っ込まれてたんだろうか。
(注、元禄・・・げんろく。江戸時代中期の元号)
侍とかも、自分より若い侍に、
「元禄の斬り方でござるやん」
みたいにいじられたりしてたと思う。
忍者も
「消え方が元禄!うける!」
とか若いくノ一に言われたりして。
池に潜って竹筒で息をしてる時も
「その、竹、真っ黒ですけど元禄から使ってるんですか笑」
とか。
手裏剣投げようとしても、
「え!?元禄の手裏剣でかっ!」
「ちょっと見せてください、、待って待って!元禄の手裏剣めちゃくちゃ重い!」
「赤ちゃんくらいの重さありますやん」
とか大げさにびっくりされたりして。
この忍者が若い世代にナメられ過ぎてる可能性もあるけども。
そして、
「分身の、、術、、、?」
とか、新しいテクノロジーに困惑したりもする。
まだまだ令和に慣れない僕は、もしかしたら居たもしれないそんな元禄忍者に、感情移入してしまうのでした。
でも、前の時代を知っているのは、それだけ生きた証。
その知識や経験は、決して無駄じゃない筈。
元禄忍者も、
「でも、元禄の手裏剣かっこいいっすよね!」
「分身の術、簡単なやり方ありますから、一緒にやりましょうよ!」
「僕も竹筒黒くなるぐらい忍者頑張ります」
って慕われてた部分あったと思うし。
それぞれの時代には、それぞれの時代の良さがある、という事でここはひとつ。
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