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「雑文45710」   本多裕樹

「雑文45710」

 

 優秀すぎて死ぬ事もある。人は自分を高め、成長したいと思うだろう。最初は誰でも。今の学校の教育で教え込まれ優秀な社会人を作ろうと国は若い人に教育的指導をする。どの分野でもそうであるが、競争させられて受験や様々な表彰や、トロフィーを得ようと必死だ。学問においても日々、高みを目指し、学生は奮闘し、青春を過ごす。そうして社会人になって優秀さ故に多くの仕事を任されて大役をいただき社会に貢献していく。

そうして、世は、

自分のことは人任せ、競争させられ、自分を失っていく。

自分は無くなっていくだろう。

そういう、社会から抜け出すことも勇気がいる。それがゆえに挫折をして腐った生活をし、酒に酔い、スポーツに忘我となり自分以外のアイドルを偶像を追っていくのだ。

そんな、生きづらい世の中で生き抜くには、もう、ほどほどで生きていくのがいい。あまり、進歩発展とかもういいでしょう。ほどよく愚者であった方がいい。自分を高めようとするといろんなことを任されかえって忙しくなる。なら初めからほどほどでいいのだ。英雄にならなくていいし、優秀たる必要は無い。あまり、真面目すぎるとそれがあだとなる。

パワハラもあるし、モラハラもある。無教養な人ほどこれを行使し支配し、圧する。自分の力をアピールするにはそれが心の安寧になる。その他に、自分より力あるものがあればケチをつけ、いじめの生贄にする。自分より劣ったものもケチをつけ、いじめ支配下におく。

そこから、逃げよ。

死んで何になる。

ほどほどでいいし、無能でいい、
愚かさも徳である。
あまりできると役目を与えられ自分以上の課題を下される。
大人の期待に応えなくていいのだ。

人は自分の分相応で生きればいい。無能でいいのだ。私自身がそうだからである。私は私のできることしかしない。それ以外はしない。

しかも、何もしないかのように振る舞う。

無能の境地である。

しかし、人は時に英雄的な仕事をすることがある。いつも英雄である必要は無い。日常においては放心であって、やるときにやればいい。

社会に出ると嫌なことばかりでしょう。仕事なんかしたくないでしょう。でも、何もしないのも暇であり、何かしないと退屈なものです。だから、ほどほどでいいのだ。自分の好きなことだけしていればいい。

もちろん、社会を動かしているのは立派な人格者の高徳な人たちが行動し、仕事している。様々な業界でそのような立派な方々が世の中を動かしている。

学術の分野でも真摯に日々、研究し、学習し、文明の発展に付与している。

しかし、たいていは庶民であり、普通の人たちが日々の生活を過ごしている。きつい労働をしながら日銭を稼ぎ1日1日を生きている人がほとんどだ。

私も庶民だ。

世の中の人々は大変だと思います。優秀さは自分を高めるためにはいいかもしれませんが、人生はほどほどでいいのだ。

そして、自由に生きればいい。

自分のスタイルで、楽しく日々を生きれるように生きればいい。

人生本当に、ほどほどでいいのだ。

将来の夢も無いなら、それでいい。

あるなら、それは何としても努力して掴めばいい。

努力というリスクを消費できるのは大体が若き青春の力だ。

燃焼し、

それを得るがいいでしょう。

もし、挫折しても、頑張ったという思い出があれば、その後はその頑張ったという記憶がトロフィーになるでしょう。

家族のために、家庭のために頑張るのも立派な仕事です。

それは、ほどほどではないでしょう。必死だと思います。

そうだと思います。

ここまで、読んでくださり感謝します。

ありがとうございます。

本多裕樹


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