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6、まとめ(美学) 芸術の書 断片

6、まとめ(美学)



美学をまとめるとして、また、書いてみようと思います。美学における芸術活動の本質において、やはり、精神ということが要になっていることが言える。そして、精神は観念の世界に通じていて、宇宙の流れの中で、心の中に観念の柱がある。そこに、美感覚があって、それを言葉に翻訳して、それを人々が芸術家の作る作品を見て、美を感じる事、日常の生活の中で、生きていく中で、美の感覚がよみがえってくる時に、善悪を超えた美を再現する生活があるのである。

美は、あらゆるものを感性で世界をとらえ、自由にしていく、人間を開放する可能性になる。美には愛がある。しかし、そのように綺麗ごとで済まない場合がある。自由や開放を言っても、人間の心の奥の奥を探って、いざ作品制作に挑戦してみると、罪ある自分のあることを知るでありましょう。

その罪の意識は人間の原初の記憶で、宇宙の歴史であります。人間の個々人の意識に神へと通ずる、根本の仏へと通ずる通路があるということです。そこに、芸術のインスピレーションが内在している知があることが言えるのです。なので、自分の魂を表現する際に、物語のイメージ、思想のイメージ、知識のイメージを開放していく。開放していく中に、自分からそれを押し出すことも大事です。

美学として語るのも、まずは、自分から表現する。表現するとは、心から出る天上から来る、イメージを表現して行く、押し出していく。もちろん芸術の技術もそれに付いてくる。描けば書くほど、可能性も絵画も詩も展開して、運命も変わっていく。美は天上から天より降りてくるインスピレーションであり、人間のふるさとであり、そのふるさとは、原初の記憶であるという事。それは、神と共鳴する意識であること。美のイデアはすでに、生命に内在している。それは、神への道であり、神に近づく永遠の旅が芸術の制作であり行為であること。その、美学は芸術作品についての立場で言いましたが、すべての人にこの美意識というものがあります。

感性によってそれを感じ、神の意識を、イデアを表現する中に、美を日々の生活において感性で感じ、表現して行くとき、人生は美しく、自らの生き様を表現できる。

それは、善も悪も超えた、芸術的な美であること、それは、社会の規範を超えているかもしれない。枠を外れているかもしれない。

美は、時に、社会の中に溶け込むこともあれば、社会の規範を超えることもある。それは現象にしか過ぎないが、美はすべての人に内在して、生きることをもって、神を表現する。芸術を表現する存在の生命である人間、神の子がある。人間は、神の子である。芸術は神の創造の表現であり、神は芸術家であります。そして、神は芸術であるということ。  

神は芸術そのものである。芸術は自分を許し、心に内在する天上の美を表現する。美における感性によって神の意識に共鳴するには、自分を開放して、芸術を表現する。かつての救世主が語った「神は愛」なりと世に神の証明したものがあった。それがゆえに、神は愛である。芸術は、世界に対する、すべての存在に対する愛である。

芸術と愛が一緒になる時に、あらゆる面で自由になる。自由になれば、神である愛を自由自在に表現できます。表現が芸術であり、創造に愛が内在している。なぜなら、愛深き者に芸術が宿る。すべての美の基本に愛がある。愛は、美によってさらに美しく輝くのである。

愛は宇宙に遍在する無尽蔵のエネルギーである。そこには、美がある。愛と美を悟れるあなた方を願います。ここでひとまず本章を閉じることとしまして、まだ、言い足りないことは他の章で語って皆様にお届けしたいと思います。

ここまで読んでくださり感謝します。

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