芸術の書 断片 本多裕樹 記
1、作品で勝負する
芸術家は作品で勝負しなくてはいけません。作品さえよければ他の事はあまり問われないかもしれません。良い木は良い実を結ぶといいます。作品が芸術家の身分証明書にもなっていきます。作品を見たり聞いたりするだけで、その芸術家の悟りや価値観もわかってしまいます。なので、精神修養が大事だということです。作品はにおいがあり、波動があります。それを感じる事が鑑賞者の悟りの段階の内で差が出てきます。芸術のわかる段階があること、それはもちろん芸術家だけでなく、鑑賞者にも必要なことなのです。偉大な芸術は、鑑賞者によって理解されます。芸術家は前の章でいったように預言者でありナビであります。表現する者であり、その表現には神のイデアの精神があることです。作品を見ればその作家の悟りの段階もわかってきます。もちろんそれは鑑賞者にも言える事です。偉大な芸術、音楽、絵画、詩においても、読者や鑑賞者も訓練されていなくてはいけないのですが、しかし、そのような高邁な芸術を理解できない人もいるのです。そのわからない人にたいするアート作品も重要だという事です。内容において高いものであってもいいでしょう。鑑賞者が教養のある人ならそれも高いものでもいいでしょう。しかし、どんな難解なものでも、易しいものでも、とくに音楽、絵画、詩の朗読というものは、なにか波動を放っていて、その作品のエネルギーによって鑑賞者が言い知れぬ感動を感じるのです。最後はハートで伝えていくのです。わかりやすいものも必要でありますが、最後は本当にハートで伝えていくのです。そのハートの情熱は、神に対する信仰心、絶対的な信仰心によって、天上からその理念を降ろして行くのです。感動はすでに天上にあるのです。それを降ろして、自分の中、芸術の中に、預言として表現して伝えていくのです。
2、謙虚であれ
非常に芸術家は謙虚でなくては成功しない。謙虚で誠実な姿勢でないと芸術は降ろせない。芸術制作は、そのまま祈りである。儀式である。デルポイの神託の神降ろしであります。芸術家は誠実で至誠でなくてはならない。そしてその中に謙虚な姿があるのであること、謙虚であってこそ、神に認められる。芸術家の人生はその生きざまは預言者の生き方であります。常に敬神の想いをもって芸術に精進していく、謙虚であって自由を得るのです。芸術家は自由と謙虚な精神を自らに律していくことが大事です。そこに真の芸術家の姿がある。それに愛の精神を呼び覚まし、常に愛を与え続ける行為になって行く事で表現は熱を増して行くのであります。自由、謙虚、愛を芸術家の生きる基本的な精神として行きましょう。愛の力が大きければ大きいほど、謙虚になっていき、自由もふえていく。芸術も愛の力によって作品の情熱も燃え立っていく。ハートの情熱を炸裂させるためには、天上から芸術のインスピレーションが降りてくるでありましょう。そのためには、神に認められなくてはなりません。芸術家は自分に厳しくして行かねばなりません。謙虚と、自由と、愛が重要であること、それを生きる指針にしていけばいいでありましょう。愛は自らの魂から無尽蔵に出てくるでありましょう。栓をあければいくらでも愛が、愛の想いが湧き上がってくる。その愛の思いは実態となって作品の力となるでしょう。
3、一人で作品を作っていない
結局、芸術家は一人で作品を作っていません。いろんな人の助けや支援によって、また友人知人の励まし、生活している中で、いろんな発見をするなかで作品に影響してきます。いろんな人の影響や、過去の作品に感動したり、周りの家族の愛、恋人の想いによって作品に影響してくる。なので、芸術家は、周囲の人々、社会、世界、天上世界の神々と天使たちのインスピレーションなど、いろんな助けによって一つの作品を作るのです。その大勢の人たちの代表として芸術家が作品を作り、書き、演奏していくのです。芸術作品が生まれ、それは世界が作っている人類の遺産であること、文明の遺産であること、天上の芸術の再現であり、宇宙の文化遺産であるのです。一つの作品は、世界の作品であること、神の世界の作品であることです。よくよく、考えてほしいところです。その周囲の助けと影響によって作られた作品は芸術家一人で作っているのでなく、みんなで一つの作品を作っている事、芸術家はその代表として制作、演奏をしていること、これを忘れてはいけないのです。
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