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絹本墨画 六曲屏風 一隻 159、0×351、8㎝ 京都・本法寺

絹本墨画 六曲屏風 一隻 159、0×351、8㎝
京都・本法寺

天の万象がうごめき、闇が深くなる頃、海は沈黙になり、月も星も消え失せるくらいの雷雲が立ち込める。この絵は海神の怒りがざわつき、穏やかにさえ感じる波をその墨の表現にて描かれている。それはタッチで描くというより墨で流し込むように見える。星も見えないくらいの夜か?それともゲリラ豪雨のような現象によって空間に嵐が立ち込めているあの不気味な感じだ。それをあなたは感じるだろうか。妖がたくさんあるその地は浄化されなくてはならない。そこで天空の使者であり、ドラゴンの存在がその地を綺麗に浄化せんと出現する。その龍は海を渡ってまるで台風のように渦を巻き、海を蹂躙し、清めの大雨を降らす。長谷川等伯はロマン主義なのか空間があまりにも動きがあり、そして沈黙な部分もある。現象がこの屏風に漂い波を起こしては龍は目を睨みつけ、妖を浄化し、人間の悪しき心を綺麗にしていくために大嵐を起こし、大雨を降らし大地をめちゃくちゃにしてしまうくらいにそのノアの洪水のような波は襲うのである。はるか天から飛来した龍は世界を滅ぼすつもりで出現したのではないであろう。左隻の屏風には綺麗な浄化された白い光が輝いている。暗黒の空は龍の活動する住処であるが、龍の過ぎ行くところその土地は綺麗になっていく。龍は光に集中するかのように睨みつけ、何かを睨みつけている。それはこの国の何かを?戦国時代の世にあって睨みつけるは天下を狙うためであろうか。織田信長、豊臣秀吉と続く時代で、長谷川等伯も生きていた。そこで名を馳せたいと思い、闊達な活動をして、長谷川等伯も絵師の世界で天下を取ろうと勇んでいたのである。長谷川等伯は墨絵を最大の得意技にしていた。筆は等伯に自由にさせる。その描画の勢いは凄まじいものである。等伯は柔な体ではない、けっこう体も強く、スタミナがある。そして人間的に見れば破天荒なところがあるのだ。一般に言う現代のおしゃれな絵描きさんとはちょっと違う。古代ギリシア人のような屈強な精神と体力をもっていた。そして、メンタルにおいても素晴らしい強さを持っていたのだ。その絵師の描く墨デッサンは凄まじいエネルギーを開放して、大胆に表現しているのである。いわゆるパワープレイであり、力攻めである。器用なところもあり細部までしっかりと描き切る。そこに早く描きながらもものすごい集中力がこの龍の図を迫力のある演出を表現できたのであろう。それは凄まじいものである。知的とかそういうものをとっぱらってただ見るだけで迫力を与えるその絵は今でも鑑賞者を驚愕な体験をさせているのであった。


2020年9月
ほんだゆうきしるす

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