不登校のはなし〜ぼくのおばぁちゃん〜僕のはなし55
祖父が亡くなり
フリースクールに通い始めた頃
祖母は 叔母夫婦と
一緒に住み始めた。
前回 書いたおじさんがいる。
おじさんは障がいを持った人が
TVに出てきたときに
「世の中の役に立たないのだから
早くいなくなればいい」と平気に言う人だ。
冗談か本気かわからないけど
そう言うおじさんが苦手だった。
祖母も一緒に住むようになって
結構ひどい言葉を言われていたようだった。
祖母から毎日「元気かい?」と
電話がかかってきた。
とても心細かったのだと思う。
僕がフリースクールに通い
新聞の取材を受け、全国紙に乗ったことがあった。
祖母は嬉しくて、新聞の切り抜きを
おじさんに必死に隠しながら
大事に持っていてくれた。
帰省したときに
祖母は嬉しそうに僕の写った切り抜きを
「新聞に載ったなぁ、えろぉなったな」
と見せてくれた。
祖母は僕のことを
近くにいなくても
いつでも思ってくれていたんだと
思うと嬉しかった。
僕はたくさんの人に愛されて
育っていたんだ。
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