経営者が雇いたがらない「素直ではない人」とはどういう人か
久しぶり若い人たちと中央線で。舞茸天だけ突出してコスパが高かった。
最近勢いのあるベンチャー企業の社長やCHROと立て続けに話す機会があり、それぞれ相当な高スキルの人材が必要なはずなのに、揃って「やっぱ採用するのは“素直な人”ですねー」という結論になったのが興味深かった。
こちらが「分かりますわー」と共感し、相手も「最終的にはねー」と応じた――という話題を振ったら、若い人たちが一斉に「それって結局は自分の手足として便利に使いたいだけじゃないですか?」とかいうのでキョトンとしてしまった。
「素直な人」が大事な理由が分からないのだろうか。要するにダメ出しをしたときに、つまらない言い訳をしたり反論したりするようなやつは、コミュニケーションコストが掛かって面倒だから雇いたくない、使いたくないのだ。
ムダなコミュニケーションコストが致命的なのは、それによってコミュニケーションが億劫になってコントロールを怠りがちになったり、コミュニケーションのやり方が歪んだりして、戦略に沿わない行動が放置され、組織が目標を達成できなくなるからだ。
別に絶対に言い返すなとは言わない。共有する目標の達成に向けて、私はこれが最善だと思ったのだ、という反論は堂々としてもらっていい。こちらも議論のしがいがある。
その意味でいうと「素直ではない人」とは、単に従順かどうかではなく、共有しているはずの目的や目標に合わない動き方をダメ出しされてるのに、つまらぬ言い訳をして自分勝手な目的を優先するのをやめられない人、ということになる。
この手の「仕事のできない人」を雇うことほど面倒はない。
基本的に「仕事のできない人」は世の中には存在しない、単に適材適所に合わないだけ――とは考えてはいるが、「仕事には目的があり、人生には目的がない」というふたつを混ぜてはいけないことを理解できない人は、どこに行っても通用しにくい。
そういう人には仲間内の居心地が目的化するような、テンニースの用語でいえば「ゲマインシャフト」くらいしか居場所はみつからない。そこは目的達成のための「ゲゼルシャフト」(機能体組織)ではなくなる。
たかが仕事なんだから、目的の手段に徹してやるべきなのだ。なのに「人間は生産性だけでは動かない」などと人生の問題を仕事に持ち込んでいるのは、君の方ではないのか?
――などと言いたくなる場面に遭遇する経験は、この歳になるとまさに枚挙に暇がない…という話をしかけたけど、舞茸天を優先してやめた。ところで、年下の友人との付き合いは無益だからやめろ、と言った昔の人は誰だったか?笑
徒然草か。
年下が問題じゃなくて、若い人なんだね。
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