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 短編小説  追跡~その6~

前回までのあらすじ

出張先の四国の寂れた港町で、「僕」は偶然、かつて姿を消した昔の恋人、鴨志田志津の姉と出会う。
そして翌日、彼女の娘が勤める「街並保存館」を訪ねた。
志津の姪にあたる彼女は、瓜ふたつながらも、志津とはまた異なる佇まいだった。

 やがて映像が始まった。
 僕は並んでいる椅子のまん中あたりの1つに腰を降ろした。
 映像は特に何の変てつもない、いかにも地方自治体がどこかの映像プロダクションに外注して無難に作らせたといった感じのする代物だった。
 内容は階下の明治大正、昭和の展示物の解説文とほとんど変わらない。
 一人で観ても正直楽しいものではなかった。彼女がそばにいてくれでもすれば別なのだろうが。

 映像もほぼ終わりに近づき、いよいよ瀬戸大橋が開通しようか、というとき、それは起こった。

 突然部屋全体が大きくうねるように揺れて、映像が消えて真っ暗になった。
 何か湿った金属のような匂いがして、揺れはさらに大きく、フワフワと足元が床にめり込む感じがした。
 船酔いのような、内臓が持ち上げられて裏返されるような感覚がしばらく続いた。
 耳の奥が、頭の芯が痺れるような感覚。
 そして、その間も揺れはおさまらなかった。

 「地震か!?」
 僕はなんとか立ち上がり、ふらつきながらドアまでたどり着き、丸いドアノブに手をかけて回した。ひんやりした真鍮の手触りがを手のひらに感じながら、少し焦ってノブを回すと、一、二度空回りをしてドアは突然開いた。
 僕は勢い余って飛び出すように部屋の外に出た。
 危うくバランスを崩しそうになって立ち直り、大きく息を吸って、そして吐いた。
 揺れは、おさまっていた。

 なんだろう?何かが違う・・・。
 僕はあたりを見回した。
 何かが違う。

 そこは、階下へ降りる階段の踊り場だったが、かび臭い匂いがして、段ボールが雑然と積み上げてあった。
 こんなもの、あったかな?さっきまで・・・。
 彼女はこの段ボールの脇を階下に降りていったのだろうか。
 踊り場の上の方にある明かり取りの窓から入ってくる光が、随分と明るい。
 初冬の4時半過ぎとは思えない明るさだ。
 そして澱んだ空気がやけに暑いことに気がついた。
 何なんだ。これは・・・。

 僕は階段を降り始めた。階段にも様々な家具や什器が乱雑に置かれている。
 さっきもこうだったんだろうか?
 いや違うだろう。
 こっちの階段は初めて通るが、さっき登ってきた反対側の階段とはあまりに雰囲気が違い過ぎる。
 一体どうなってんだ?
 僕は彼女を探して階下に降りた。
 彼女はひと気のないひんやりとしたエントランスの受付に、ひっそりと、でも上品に座っているはずだった。

 誰もいない。
 エントランスには事務机が2つほど置かれていて、壁に沿ってスチール製の書棚が並んでいた。書棚の中はいずれも空だった。部屋の隅には何かわからない包みがいくつか積み上げられていた。
 天井にはコンセントが剥き出しになっていて、電灯こそ取り外されてはいなかったが、引き払われた事務所以外の何物でもないたたずまいだった。
 そして、空気は同様に暑く澱んでいた。

 腰くらいの高さの、やはりスチール製の整理ダンスが間仕切りのようになっていて、僕が入ってきた観音開きのドアがその向こうにあった。ドアのところにまで行ってみる。ドア自体はそのままだったが、なぜか鍵がかかっていた。
 ドア越しに建物の外のざわめきの気配が伝わってきた。
 ノブの下のつまみを回すと鍵は簡単に開いた。僕は戸外に出た。

 夥しい人々が通りを行き交っていた。
 さっきまでは全く存在しなかった、熱気と音とが一気に僕を包み込んだ。
 人々の多くは半袖のシャツを着ていた。Tシャツやタンクトップの若者もたくさん歩いていた。
 若者と腕を組んでいる女の子の髪は、大きく分けられて片方の耳が見えていた。
 別の女性が身につけている黄緑色のスーツは、尖った襟が大きく、肩がパッドで強調され、スカートは体の線にぴったりしたタイトスカートだった。

 様々な音楽が耳に飛び込んできた。
 渡辺美里はおおらかに高らかに悲しいねと叫び、小泉今日子は今朝は良い日と、愛する人に電話をかけていた。
 いつの時代の歌だ?確かに懐かしい、ひところはよく聴いていた歌、そしてその歌を包む空気感だ。

 本屋の前で立ち止まると、シューウインドウには、「ダンス・ダンス・ダンス」、「キッチン」などの隣に、「ソウルオリンピック完全ガイド」「瀬戸大橋博’88」といった本が飾られているのが見えた。
 隣の旅行代理店の店頭には、「エフエム香川開局記念!東京ドーム観戦ツアー」という手書きのポスターが貼られていた。

(次回に続く)


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