短編小説 追跡~その4~
「あの・・・。女将さん」
「はい、なんでございましょ?」
「鴨志田志津っていう人、知ってます?」
「・・・・・」
あたりの空気が固まったのがわかった。
女将は息を飲んで目を見開き、僕を凝視した。
カウンターの向こうで包丁を捌いていたおやじは、顔を上げて険しい目つきで僕を見た。
店の隅で一人で飲んでいた男までが僕を睨みつけていた。
「志津は、私の、妹でございます・・・。お客さまは、志津をご存知なんですか?」
女将は喉の奥から何か硬い異物を苦労して吐き出すかのように、大儀そうにそう訊いた。
「ええ・・・。まぁ・・・。大学時代のね、知り合いです」
しばらく誰も言葉を発しなかった。
おやじはまたうつむいて調理する手を動かし始めた。
もう一人の男は、僕の方をチラチラ見ながらまた酒を飲み始めた。
「似てますよね。娘さん。そっくりだ。志津さんに」
僕はおずおずとそう呟いた。
たぶん言ってはいけないコメントなんだろうな・・・。
誰も答えなかった。
「志津さん、は、どうしてるんですか・・・」
店内を重苦しい沈黙が支配した。
こりゃダメだ。なんとかきっかけを見つけて切り上げよう。
「消えちゃったんだよ。何十年も前に。近所でも有名な美人の姉妹だったんだけどな」
「タケウチさん・・・」
女将が制しようとしたが、男は構わず話し続けた。
「夏の終わりに突然いなくなった。最後に目撃されたのは商店街の中だ。夏なのに背広姿でコートを持った男が後をつけてたらしい・・・」
「タケウチさん・・・。もうやめてください。いいでしょ?お客さん」
おやじは顔を上げず、まな板を洗いながらそう言った。
夕方4時を少し過ぎていた。
僕は、商店街の中を少し速足で歩いていた。
街並み保存館、だったよな・・・。
まだ時間が早いこともあって、昨日に比べれば商店街にはまだ人が行き交っていた。
それでもシャッターが降りたままになっている店が目立った。
その街での仕事を少し早めに切り上げて、街並み保存館を目指していた。
まだこの時間であれば、保存館も開いているだろう。30-40分見学しても5時半のマリンライナーには十分間に合う。
そして何より、僕の目当ては鴨志田志津そっくりの、あの女将の娘だった。
彼女にさえ会えれば、保存館の見学自体は別にどっちだっていいことだった。
レンガ張りの建物が見えてきた。古びてくすんだ黄色いレンガだ。
入口の脇に縦長の看板が掛かっていて街並み保存館と墨で書かれている。
観音開きのガラスの扉を押して中に入る。
薄暗いエントランスは八疂くらいの広さで、大理石の床が冷々としている。
その片隅に小さなブースがあって、そこに彼女は座っていた。
鴨志田志津そっくりの彼女が。
(次回に続く)
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