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 短編小説  追跡~その1~

 夥しい数の少年少女達たちが自転車で駆け抜けていく。
 まだ6時半にもなっていないが、あたりは闇につつまれている。
 あと1ヶ月足らずで冬至。西日本のこのあたりでも日没が早い。
 商店街に交差する暗い枝道から彼らは現れて、ほとんど人の歩いていない商店街を数十メートル駆け抜けて、再び別の枝道に吸い込まれるように消えて行く。
 多くの商店のシャッターは既に閉まっている。そのほとんどが今日一日、一度も開けられていないようだ。
 例外のように店を開けていた果物屋は、年老いた店主が今まさにシャッターを降ろそうとしていた。
 その前を自転車に乗った何十人もの、おそらくは中学生が駆け抜けていく。
 男の子も女の子も、揃いの白いヘルメットを被り、青いジャージを着て、一言も発せずに、疾風のように駆け抜けていく。
 老店主は、目の前を過ぎ去った疾風などまるで存在しなかったかのように表情も変えずシャッターを降ろしている。
 白髪頭に油気がなく、深い皺が額と頬に刻まれていた。
 中学生の一群が通り過ぎると、あたりは冷たく白っぽい宇宙船の廊下のように静まりかえった。

 「ああ、あそこはね、通学路なんですよ。そのくらいの時間になるとね、いつもそうです。果物屋のおやじだって慣れっこなんでしょう」
 カウンターの向こうで年配の板前が言った。この店の主人なのだろう。
 「商店街もね、あのあたりまで奥に入ると、ほんとにやってる店が少ないんだよね。お客さん、よくまぁあんなところまで行きましたね」
 「ハハハ・・・。今日はちょっと時間が余ったんでね。いつもは高松で泊まるんだけど、今日はこの街でね、泊まろうかと思って」
 「はぁ、そうですか?よくこの辺に来られるんですか?」
 「そうですね。年に何回か、出張でね。でもこの街に泊まるのは今夜が初めて」
 「はぁ、そうですか」
 「でも大将、アレですね。ここの商店街はずいぶん長いっていうかデカイっていうか・・・。この町の規模からしたらすごいんじゃないですか?」
 「そうですねぇ・・・。ハイ、お刺身ね。甲イカとスズキ、あとカワハギね」
  おやじは刺身を盛りつけた皿をカウンター越しに差し出しながら話し続けた。
 「昔はね、随分遠くから人が来てたんですよ。今はね、いろんなところにショッピングセンターとかできちゃって、誰も来なくなっちゃった」
 「もう今はダメですか?」
 「ダメですねぇ・・・。お客さんも歩いたから分かるでしょ?駅前の通りから西に折れて商店街に入って、どうでしょ、200メートルくらいじゃないですか?まだ生きてるのは。そこから先はもう廃墟でしょ」
 「そうだねぇ・・・。あ、ビールもう一杯ください」
 「ヘイ!」
 「商店街の奥の方に行くと左に折れ曲がってるでしょ?その先なんて、アーケードの屋根が落ちちゃって、プラスチックのトタン屋根が葺いてありますもんね。なんか急に明るくなったと思ったらアタマの上が白いんですよ。トタンが白いヤツだから」
 おやじは苦笑いしながら、生ビールを差し出した。
 「バブルの頃はね、肩を触れ合わさずには歩けなかったんすけどね。あのあたりも」
 「そうなの?」
 「そうですよ・・・。瀬戸大橋が懸かってね。あの頃がピークでしたね。でも実は瀬戸大橋で人の流れが変わっちゃったんだよねぇ・・・」
 「ヘエぇ・・・」
 「みんなね、通りすぎちゃうようになっちゃったんだよね、便利になりすぎて。ここに止まんない。岡山に行っちゃうか、高松に行っちゃうか」おやじは顔を上げて少し遠い目をした。
 「ハイ、お待たせ。メイタガレイね」女将が煮魚の皿を差し出して、ニコリと笑った。

 カウンターと小上がりのある、十数人も入れば満席になるような小さな店だ。板前のおやじと女将が二人でやっている様子だ。
 おやじは五十代半ばくらいだろう。女将はもう少し若そうだ。少しさがった目尻の、大きな目をしたなかなかの美人だ。
 店には客は僕の他に一人だけ。おやじと同じような年格好の男が酒と料理を抱え込むように背を丸めて、カウンターの反対側の隅にうずくまっていた。
 「お客さんはどこからおいでになったんですか?」おやじが訊いた。
 「僕ですか?京都です」
 「よく来られるんですか?」
 「そうっすね。月に1度くらいかな。出張でね。主に高松に用事があるんだけど、たまにね、丸亀とかこことかにもね、来るんですよ。でもここに泊まるのは今日が初めてかな。さっきも言いましたけど」
 「ほおぉ、そうですか・・・。いかがですか?この街の印象は?まぁ、すっかり寂れちゃってますけどもね。ご覧のとおり」
 「まぁねぇ・・・。でも失礼ながら四国の町はどこも大なり小なりこんな感じですよね。商店街の寂れ方がひどいよね。この間も伊予西条に行ったんですけど、あそこもね、悲惨だった・・・」
 「ああそうですか・・・」
おやじは今さら分かりきったことをいちいち聞いても仕方がない、と言わんばかりの表情で相槌を打った。
 
 「ところでお客さん、京都から来られたとおっしゃいましたが、京都市内?どちらで?」
 「ええ?右京区。嵯峨野とか嵐山とか、あの辺ですけど、どうしてまた?」
 「嵐山!?そうですか!?オイお母さん、こちらさん、嵐山だって。」おやじは声を張り上げて、奥のお客の給仕をしている女将に声をかけた。
 「聞こえてますよ・・・。すみませんね、お客さま。このひと、なんか急に舞い上がっちゃって。娘のことになると・・・」女将がこちらに近づいてきた。
 「いえね、私どもの娘がね、以前あの辺に住んでたんですよ」
 
 おや。この女将さん、誰かに似てるな・・・。
 僕の心の奥底で誰かが、じっとこちらを見ている気がした。

(次回に続く)

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