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嵯峨野綺譚~車夫 或いはドッペルゲンガー~

「リョウちゃん。アンタすごいな。人力車引っ張っとるんか?」
JR嵯峨嵐山駅前のしょぼい居酒屋で飲んでいたら知人に声をかけられた。
「そうそう。よう見るで」
別の知人も言った。
「渡月橋のあたり。一生懸命走っとったがな」
「オレは野々宮神社の前で見たなぁ」
いずれも人混みの中、黙々と人力車を曳いていたそうだ。

「いやぁ、人違いやろ。もう45歳やで。さすがにその体力はない」
「そうかなぁ・・・。そっくりやったんやけどな」
「アレはリョウちゃんやで。間違いない」
「いやいや。本人が言うてんにゃから。人違いやって」

「それ、ドッペルゲンガーとちゃうか」
「なんやそれ?」
「分身や。もう一人おるんや、自分が。そんでな、本人が出会うと死んでまうそうや。芥川龍之介がドッペルゲンガーに逢うてその後に死んでもた」
「おえ、気ぃつけやリョウちゃん」

それには答えず揚げ出し豆腐を口に放り込んだ。


人力車は嵯峨野のあちこちを走り回っている。
自宅の前も走る。
近所を歩いていて人力車と出会わないことはあり得ないくらい。

ドッペルゲンガー。
本当にいるのか。
逢えば本当に死ぬのか。

平日はまだいい。昼間は四条烏丸で働いている。
通勤時間には人力車はいない。

問題は週末だ。
外出するのがおっくうになった。
なるべく自動車で出かけるようにするが、家の周りは観光客でごった返していて最徐行で進むしかない。
歩いているのと変わらない。当然そこで何台もの人力車とすれ違う。
なるべく車夫の顔をみないようにする。


その日は、家の前で向かいの竹藪から降ってくる落ち葉を掃いていた。
落柿舎から来る道の角を曲がって、人力車が一台やってきた。
車夫は顔を伏せたまま、黙々と車を曳いている。

人力車は近づいてくる。
ひたひたひたと地下足袋の足音が聞こえる。
ひたひたひたひた、ひたひたひたひた、ひたひたひたひた、ひたひたひたひた・・・
顔をみようと目を凝らすが、車夫は俯いたまま、こちらに向かってくる。

ひたひたひたひた、ひたひたひたひた、ひたひたひたひた、ひたひたひたひた
車夫が、顔を上げた。

(了)

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