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当分の間、冷めそうにありません。

また、いい映画と出会ってしまった。

前々から気になってはいた。
だけど何となく、今度見よう、いつか見ようと再生せずにいた『湯を沸かすほどの熱い愛』

今更か!と思う映画ファンの方には申し訳ない。
でもわたしはこのタイトルの情熱的なフォントから、何となく気構えて見なければならないような、それこそ「熱さ」を感じて、時間があるとき見よう、余裕があるとき見ようと先延ばしにしてしまっていた。

そんな人、きっと他にもいると思う。
だから言いたい、見るなら今ですよ、と。

見た後には「この映画のタイトルはこのフォント以外では表せない」と確信してしまう。

あらすじはこうだ。
(以下、大きなネタバレは無しで感想を書いています)

銭湯「幸の湯」を営む幸野家。
しかし、父が1年前にふらっと出奔し銭湯は休業状態。
母・双葉は、持ち前の明るさと強さで、パートをしながら、娘を育てていた。
そんなある日、突然、「余命わずか」という宣告を受ける。
その日から彼女は、「絶対にやっておくべきこと」を決め、実行していく。

○家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させる
○気が優しすぎる娘を独り立ちさせる
○娘をある人に会わせる

その母の行動は、家族からすべての秘密を取り払うことになり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。
そして家族は、究極の愛を込めて母を葬ることを決意する。(公式HPより引用)

母は強し。非の打ち所がないほどすばらしい人間で、夫や子どもに弱いところを見せず、死ぬ間際まで家族のことを思い、愛し愛され、惜しまれつつ死んでしまうのだろう。

そう思っていた。

でも、ちょっと違う

どんなところが違うかというと、この映画に出てくる大人は全員が全員、ものの見事に「どうしようもない」のだ。
当然、主人公である母親も。
その「どうしようもなさ」が、どうしようもなく愛おしい
だからこそ、この映画はすばらしい。

どうしようもない愛しさ

銭湯の張り紙いわく、『湯気のごとく蒸発した』幸野家の大黒柱。
オダギリジョー扮する幸野一浩。

妻(宮沢りえ)と、思春期の娘(杉咲花)を残し、突然ふらっと消えてしまう。
妻が探偵を雇って調べてみれば、隣町で若い女の家で暮らしているという。
何でも、昔一度だけ身体の関係を持ったホステスとばったり再会し、「あのとき子どもが出来ていた」と打ち明けられたという。
嘘か本当かわからないものの、放ってはおけないから一緒に住み始めたら、女は出て行ってしまったという。

はい、どうしようもない。

ネタバレは出来るだけ避けるが、どうしようもないエピソードはまだ続く。
少なくとも幸野一浩という男は、間違いなく女にだらしない。
ただそれは、本能的に他人に優しい男だとも言える。
頼られたら放っておけないし、愛されたらお返ししたい、そんな人なのだ。
妻に「末期癌だ」と打ち明けられれば、すごすごと家へ戻り、娘に素直に「昔、ホステスと〜」などと話し出す。
だらしなさゆえにあまり物事を直視せず、「なるようになるさ」と思っている節があるから、家に戻った次の日にパチンコに行ったりもする。
でも、妻の病気について医者から改めて説明されたら、深刻すぎて受け止めきれずに「病院を変えよう」なんて言ったりしちゃう。
一見矛盾した男だけど、それは人としてあるべき姿にも映る。

完璧だと、愛おしくない。

どうしようもない愛情

この物語の主人公。
母であり、妻であり、ステージ4の末期癌で、余命2ヶ月の双葉。
「情熱の赤が好き」と言う双葉は、優しいが故に少し気が弱い娘をいつも大きく温かな愛で包んでいる。

ある日、娘の安澄が学校で制服を隠されてしまう。
双葉は、「もう学校に行きたくない」と朝なかなか起きない安澄に向かって「起きなさい」と何度も叱り、「お母さんは何もわかってない!」と言われれば「わかってる!」と返す。
そしてトドメの「今日諦めたら、もう2度と行けなくなるよ

わたしが言われたわけではないのに、心にチクリとする。
「無理して学校に行かなくてもいい」「逃げてもいいんだよ」と言うことだって出来たはず。
でも、双葉はそうは言わない。
なぜなら、「逃げてもいいんだよ」と言えるのは、逃げ道を作ってあげられる人だけだから。
双葉は残り2ヶ月しか生きられないのだから、そんなことを言わない。
残り2ヶ月を「優しくて何でも許してくれるお母さん」として生きることを選ばない。
たとえ嫌われたとしても、無責任な優しさで救った気になるようなことはしないのだ。

娘との心のぶつかり合いや、安澄の成長のシーンはぜひ、本編で見てほしい。
予告で「家族の大きな秘密」とされている部分には、このnoteでは一切触れていない。
綺麗事ではない、逃げるとか戦うとかじゃない、自分で考えて、相手のために、自分のために行動するってどういうことなのかを見せつけられてほしい。

さて、「双葉にどうしようもなさなんてあるのか?」と思うだろう。
でも、でもまさにそういうところがどうしようもないに他ならない。
人を愛し出したら止まらない。
自分の信じる「正義」や「真実」に向かって、ひたすら愚直に愛という剣1本で突き進む。
「え、それでいいの?!あなた、2ヶ月後死ぬんですよ?」と見てるこっちが心配になるくらい、人のために生きている。
でも結局のところ、人は人のためにしか生きられないのかな、なんて考えさせられてしまう。

そんな双葉も、物語の中で何度か怒りをあらわにするシーンがある。
ただ、その怒りにさえも遠くに愛を感じるのだから本当にどうしようもないとため息が出る。

これはありふれた物語なのかもしれない

これはわたしの主観になるが、この映画の魅力は「ありふれている」と思えるところ。
登場人物それぞれが持つどうしようもなさが、自分と同じに映って仕方がない。
双葉を見て身近な誰かを思い出すかもしれないし、自分自身が一浩かもしれない。
両方の側面を持ち合わせてる人だっていると思う。
本作には双葉や一浩以外の人物が何人も出てくる。
そのみんな、どうしようもなく愛しい。
そして彼、彼女たちは、ある側面でわたしたちなのである。

魔法やおとぎ話、血みどろのホラーやサスペンス。
より美しく、よりリアルで、より残酷な作品を創り出すために日々沢山のクリエイターが努力している。
だからわたしはどんな映画も等しく好きだけど、そんな中でも『湯を沸かすほどの熱い愛』は、たまらなく好きだと言える。

それは、今日、今この瞬間、世界のどこかで絶対に、きっとわたしにも起こっている出来事だと思えるから。
自分のことと同じくらい真っ直ぐ響いてくる。
それくらい世の中は小さな勇気、大きな愛、どうしようもない愛しさで溢れているとわたしは思う。
そうであってくれ、とも思う。

刺さるエンディング

この映画にひとつだけ文句を言わせてもらうなら、ポスターとか予告で「想像もつかない驚きのラスト」とか、「驚愕のラスト」とか使わないでほしかったな〜ということ。

だって人の人生は常に想像もつかない驚きの連続で、この映画はある種そんな「ありふれた」愛情の物語だと思うから。

ただ、本当にエンディングがべらぼーにいい

監督自ら熱烈オファーしたという「きのこ帝国」の音楽もハマっている。

それまでの物語の余韻、明確に計算されたラストシーンのカットもあいまって、まさに「プロの仕事だ」と感嘆させられる。

われわれ視聴者に「こういう気持ちになってくれ!」と監督が思い描いたとおりになっているんだろうな、悔し〜!と泣きながらスタンディングオベーション。

エンディングについてとやかく言ったところで、見るより早いことはないと思う。

どんでん返しはない。双葉はたしかに死ぬ。
生き返らないし、物語はおわる。

ありふれた話かもしれない、もしかしたら「期待はずれだ」という人がいるかもしれない。

だけどわたしはきっとまた、どうしようもなく見たくなる。

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