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ドラマ『琅琊榜』で習いたかった中国語~第九集②

サブタイトル「見切り時」の続き。

好 我们走着瞧

皇太子にとって片腕にあたる楼之敬を蘭園事案(複数の女性の白骨化した遺体が見つかった件)で失うことになって、皇太子が吠える。

好 我们走着瞧
ーよし 上等だ

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第9話
皇太子

「好」は、ここでは感嘆詞に近い使い方である。不満や腹いせで反語的な「よし」だ。

「我们」が私たち、「走着瞧」は「しばらく成り行きを見守る」と言う意味だが、「今に見てろ!」というニュアンスだ。「走」が日本語とは違い、「行く」「進む」などの意味、「着」が二つの動詞の間に置いて「~しながら~する」という表現になる。「瞧」は「見る」と言う動詞で、「看」と同じだが口語的である。「走着瞧」と類似の表現で「等着瞧」をいつかのNHKテレビで中国語で取り上げていた気がする。

皇太子と謝玉は楼之敬を失うが、誉王側もどうせ慶国公を失うので、切り替えて楼之敬の後釜が、自分たちに都合の良い人物になるようにしようと考えて始めた。

你都吃了一天的甜瓜了 小心拉肚子

誉王を見送った梅長蘇は、翌日靖王府に行くことになった。誉王との話で、梅長蘇が靖王に直接誉王の立場を説明することになったからだ。そして本当の主である靖王のところに疑われずに行くことができる。

しかも第5話で活躍した庭生(霓凰郡主の婿を決める武術大会の一環で活躍した掖幽庭の子どもたちのうちの一人・実は靖王の甥)が、霓凰郡主に引き取られていたが、靖王府に来ているという。靖王が引き取らせてくれと頼んだのかな。

その庭生へのお土産について配下の黎綱と話していた梅長蘇は、ふいに屋根の上で瓜をたべていた飛流に向かって言った。

你都吃了一天的甜瓜了 小心拉肚子
ー瓜を食べすぎだ

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第9話
梅長蘇

「你」が二人称、「都」はここでは「もう」「すでに」の意味、「吃了」は食べるという動詞「吃」に動作や行為の完了を意味する動態助詞「了」、「一天的」は「一日の」、「的」はその後の名刺を修飾する。「甜瓜」は日本語ではマクワウリというメロンの一種のこと。

そして文末にもう一度「了」があり、こちらは文末助詞である。一文に動態助詞と文末助詞の「了」が両方ありつつ数量を表す語がある場合、その数量に達してさらにそれが増加する意味になる。ここでは一日分の瓜を食べてしまってさらに食べ続ける前提ということになる。

つまり直訳すると「お前(飛流)はもう一日(分)の瓜を食べてしまっているよ(そしてそのままさらに食べ続ける)。」実際、飛流は梅長蘇にこう言われている時も瓜を食べ続けていた。怒られたのですぐ捨てていたが。スイカやメロンのようなウリ科の植物は身体を冷やす。冬に食べたら身体がより冷えてよくない。字幕の通り「食べすぎ」てはいけないのだが、そもそもなぜこの時梁は冬なのに夏の食べ物があるんだ?

文章の続きを見ていこう。
「小心」は「注意する」、「拉肚子」が「お腹を壊す」になり、「肚子」が腹である。「小心拉肚子」で「お腹を壊さないよう気を付けなさい。」になる。

「你都吃了一天的甜瓜了 小心拉肚子」で字幕は「瓜を食べすぎだ」とのみ出ているが、「食べすぎ」というところに食べていい量の瓜をもい食べ切ってしまっていること、そしてそれを注意している感じがこめられていて非常にわかりやすい。

明天可以吃两个

でも梅長蘇は翌日庭生(飛流が武術を教えたので交流あり)に会いに行くこと、おみやげを持って行くよう飛流に言い、最後はこう言った。

明天可以吃两个
ー明日は2つ食え

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第9話
梅長蘇

「明天」は「明日」、「可以」は「~してもよい」と許可する意味の助動詞である。何をしていいかと言うと、「吃」の「食べる」であり、「两个」は「2つ」という量だ。省略されている「甜瓜」の量詞は「个」である。直訳すると「明日は2つ食べてもよい」になる。こう言われて喜ぶ飛流がかわいい。

ちなみに飛流の手を通じて梅長蘇が庭生にプレゼントしたものは、貴重な金の鎖帷子(くさりかたびら)だった。高価な品だが、祁王の遺児である庭生に対する彼の気持ちが表れていて、しかも・・・いや、後は言えない。この鎖帷子は物語にじわじわ効いてくるアイテムだから。これも言い過ぎだろうか。

第九集は気になったフレーズが多かったので、あともう1回やります。

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