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ドラマ『琅琊榜』で習いたかった中国語~第十一集②

サブタイトル「恩師」の続き。誰のことで、誰の恩師かは第十一集の後半でわかる。

前回からのあらすじ

吏部尚書のことを誉王があきらめることにして、次の習いたかった中国語が出てくるまでの内容を確認しておこう。

誉王側の吏部尚書の件は、皇太子側が動く必要はないと判断した謝玉は、霓凰郡主を陥れた件で降格されて失脚中の皇太子の生母・越氏の復位を画策する。

その根回しの仕方や、皇帝への話の持っていき方、タイミング、すべて腹立つほどうまくやってのけていた。図らずも対人コミュニケーションの参考になってしまうほどである。結果、越氏が復位してしまったが、もちろん誉王は面白くない。

誉王は、越氏が貴妃として復位すべき判断をした礼部尚書の陳元直(謝玉の根回し)を弾劾する奏上を述べさせ、儒家(儒学者)を集め議論させることになった。

被害にあった霓凰郡主はもちろん、弟の穆青、霓凰の友人でもあり皇帝直属の掌鏡使(諜報員)・夏冬も越貴妃の復位は時期尚早と不愉快だった。そこへ梅長蘇が、霓凰を通じて穆青にある依頼をするのだった。

我相信不管多少年过去 老先生的脾性是不会改的

朝廷での議論を決着させるべく、穆青が梅長蘇の依頼で儒教の権威である周玄清先生を迎えに行った。隠居して朝廷に出てこない老先生が、玉蝉だけで来てくれるのかと心配する黎綱に梅長蘇が答えた。

我相信不管多少年过去 老先生的脾性是不会改的
ー何年経とうとも 大先生ならお越しくださる

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第11話
梅長蘇

「相信」は「信じる」、「我相信」で「私は信じる」だが、何を信じているかはその後の文章の内容である。「不管」は「~しようと」、後ろに「多少年过去」があるので、「不管多少年过去」で「何年過ぎ去ろうと」という意味になる。もう少し細かく見ていくと、「多少」は不定の数量を表し、後ろに「年」があるので年月の量になる。「过」は時間が「経つ」という動詞で、後ろに遠ざかるニュアンスを加える方向補語「去」がついて、時が過ぎ去るイメージである。

「老先生」は周玄清先生のこと、「的」は「~の」という連体修飾語、「脾性」は「(人の)性質」なので、「老先生的脾性」は直訳すると「老先生の性質」になる。「是」はここでは文章の内容を強く肯定するニュアンスの「~なのだ」で、「会」は可能性を表す助動詞は、直前の「不」で打ち消されているので「~するはずがない」となる。「改」は「変わる」、文末の「的」はおそらく判断を確認するニュアンスの助詞である。

以上を踏まえて文章全体を直訳すると、「私は何年過ぎ去ろうと老先生の性質は変わるはずがないと信じている」になる。穆青が持って行った玉蝉(玉という翡翠などと同種の石製の蝉)が、実は重要なのだがそれについては次回の周先生と梅長蘇の話でもう少し詳しい事情が分かる。

要は約束を違えるような人ではない、ということであり、そんな周先生を梅長蘇が信じているということがポイントなので、字幕の訳の方がそんな状況がしっかり伝わる。

🖌今回の気になる単語帳

玉蝉 yù chán
そのまま玉製の蝉のこと。梅長蘇が穆青に渡していた玉蝉はだいぶ大きいものだったが、以前どこかの博物館で開催された古代中国の特別展での説明によると、蝉は蘇生や復活の象徴で、玉蝉を死者の口に入れて納棺していたそうだ。私もおみやげ用のを買って持っているが、死んだ時に口に入れてもらう予定はない。以下にもう少し詳しく玉蝉について記載されているので参考にどうぞ。

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