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ドラマ『琅琊榜』で習いたかった中国語~第一集②

中国ドラマ『琅琊榜』から、現役で中国語を専攻していた時に学びたかった中国語のフレーズについてまとめを始めた。

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第1集(第1話)続きである。弟の誉王と後継者争い中の皇太子が、謝玉に尋ねた別件「慶国公的事儿」について、謝玉は「卓家」を遣わして誉王側の慶国公を倒せるはずとの報告をした。

その卓家の息子がある家族と共に追われているシーンからの流れで主役・梅長蘇が護衛の少年・飛流と共に登場。朝廷や世間と距離をおいて活動する侠客組織「江左盟」を率いる「宗主」としての権威のほどが伺われるシーンである。

小妹妹,这个多少钱哪?

皇帝は皇太子と誉王がそれぞれ「麒麟の才子」の獲得に動き出していたことを把握していた。その当人・梅長蘇がいる廊州に二人の若い貴公子も来ていた。その内の一人、言豫津が楽器を売る若い女性(かわいい)に、にこにこ顔で言尋ねる。

小妹妹,这个多少钱哪?
ーお嬢さん、これはいくらかな?

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 言豫津

「小妹妹」は親しい間柄の年下の女性に使う呼びかけ、「这个」はいくつかあるうちの一つだけを指して「これ」、「多少钱」は「(金額は)いくらですか」。「这个多少钱」で「これはいくらですか」。
言豫津もいくつかある楽器のうちの一つを手に取り聞いているので、「这个」が正しい。多くの初級中国語のテキストに出てくる買い物の時のフレーズである。
「哪」は質問の語気を和らげる文末助詞。「哪」が無くても文章として成立するが、あったほうが優しい感じになる。

女性とコミュニケーションを取りたいだけであろう言豫津が、おそらく初対面だが親しみをこめて(女性の方は困るやつ)「小妹妹」と呼びかけ、「哪」つけて優しく聞いている。その後もしつこく、質問を繰り返す。

那,这个呢?ーそれなら、これは(いくらかな)?

「那」はそれでは、という接続詞。「呢」は疑問の文末助詞で、ここではさっき言った「多少钱」の代わりをしている。

楽器売りのお嬢さんは、12年前に梁が戦っていた国「大渝」の使者が通りがかったことで変な貴公子から解放された。

那你告诉我,我还能坚持多久?

言豫津ともう一人の貴公子「蕭景睿」が向かっていたのは、梅長蘇のところだった。都にある蕭景睿の家に梅長蘇を療養で招くためだった。先に梅長蘇を訪ねていた「琅琊閣」の主である藺晨は諸事情から梅長蘇を心配する。

この諸事情はおいおい分かってくるが、目下の心配はどうやら梅長蘇の身体が弱いからのようだ。梅長蘇は医術の心得もあるらしい藺晨に尋ねた。

那你告诉我,我还能坚持多久?
ーでは、どれだけ持つ?

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 梅長蘇

「那」は言豫津も言っていた接続詞「それでは」、字幕にはない「你告诉我」は「君は私に教える/伝える」だが、「告诉」の直後に教えたり伝えたりする相手を置き、その後ろに伝える内容を置く。その伝える内容は「我还能坚持多久」である。
「还」で状態の継続を表す副詞、「能」は条件的に「できる」という意味の助動詞、「坚持」が持ちこたえる、「多久」は時間的長さを尋ねる時の「どれくらい」。
全体で「私があとどのくらいの期間(命が)持ちこたえることができるのか、君は私に教えてくれ」。

実はいわゆる命令形なのを理解できるのに、かつて時間がかかったところだ。特に、「你告诉我」が訳さなくても伝わるだけに厄介だった。文脈によって命令や依頼かどうか判断する、と習ったがこの前後の話がないと難しい。

これに対する藺晨の回答は、梅長蘇の言い方を真似て少し意地悪な感じ。友人を心配するからこそだが、素直な物言いはしないのが藺晨だ。

那你告诉我,你需要多久?

那你告诉我,你需要多久?
ーどれだけ必要だ

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 藺晨

藺晨が梅長蘇が尋ねたように、逆に教えてほしいことは「你需要多久」。「需要」は「必要である」。「君がどのくらいの期間(命が)必要なのか君は私に教えてくれ」になる。

梅長蘇は「两年(2年)」と答える。藺晨は「医者が10人同行すれば」などと言うも、最終的に梅長蘇の真剣な目を見て薬を渡す。梅長蘇は藺晨に「お前がいれば10人の医者にも勝る」と、先ほど藺晨にされたように言葉を返した。

真の友人同士が交わす良いシーンだ。もう何も言えなくなった藺晨は、飛流に梅長蘇が金陵(都)に行くので、自分と南楚(別の国)に行こうと誘うが断られる。

不行,我要去。

不行,要去。
ーダメだ 行く

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 飛流

「行」は「よろしい」「かまわない」などの許可を表すが、「不」がついてそれを打ち消して「ダメだ」になる。「要」は意志や義務を表す助動詞で、「去」が「行く」。

藺晨は「要去哪儿?」、「どこへ?」と聞く。飛流は「金陵」とだけ答える。飛流は一度に2音節程度でしか話さない。「要」が藺晨とは南楚に行きたくなくて、梅長蘇と金陵に「行きたい」のか、あるいは護衛として「行かなくてはいけない」という義務で言っているのか、あるいは両方なのかまでは特定できない。藺晨の「要去哪儿?」の「要」もどちらともとれる。

学生時代、これはどの「要」???と苦労したところだ。当時教授は、「中国語の文法はまだ研究の余地がたくさんあり、明確な文法的説明がつけきれない場合がある」と言っていたことがある。助動詞や補語がそういう分野だったようだが、今はもう少しはっきりしているのか。

この飛流と藺晨の「要」は意志でも義務でも両方でも良い気がするが。
そして梅長蘇は蕭景睿と言豫津と共に都へ赴く。都に入る直前で強い武人の郡主・霓凰(ヒロイン)が登場、その後梅長蘇たちは蕭景睿の家に行く。この一連の場面は最後まで観終わってから、もう一度見ると色々思ってしまう。

🖌今回の気になる単語帳

三顾茅庐 sān gù máo lú
三国志(演義)の劉備が、諸葛亮に迎えるにあたって行った「三顧の礼」。「顾」が訪問する、「茅庐」が茅葺きの家、で故事の通りである。誉王と配下の秦般弱の会話に登場。

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