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ドラマ『琅琊榜』で習いたかった中国語~第一集①

何度繰り返しても見飽きない中国ドラマがある。それが『琅琊榜』だ。

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一通り見終わって、もう一度見直すと随所に伏線が張られていたり、それぞれのキャラクターのちょっとした表情や言動の意味が改めて理解できたりするからだ。

特に第1話~2話は主要キャラクターの多くを顔見せするようにもしているのか、初見では拾いきれないほどの情報量である。だからこそ再度観た時に改めて話の全容がわかっていると、第1話におけるキャラクターの心情や状況がわかり、最初と違った見方ができる。そしてそれが最終54話まで続いてしまい、結局また繰り返して観てしまうのだ。

また、私は学生時代に中国語を専攻していたが、その後あまり触れてこなかった。でもまだ少し中国語が聞き取れる。たいして中国語が得意でもないのに、『琅琊榜』の中国語は、他の中国ドラマより聞き取りやすい。

そのため聞いていて「このフレーズを学生時代に『琅琊榜』を観て勉強したかったな」などと思うことも多かった。今後土曜の投稿では、たまにこの『琅琊榜』で習いたかったフレーズや単語を自分の勉強の記録としてまとめていきたいと思う。

※注意※
今後記載する中国語は、
私が聞き取った中国語のため
正確ではない可能性あり。
後に間違いが判明した場合は、
速やかに訂正する予定。

それでは第1話から始めたい。『琅琊榜』はオープニング映像後に第1話は「第1集」と表現するので、それに倣ってタイトルも「第1集」としている。ドラマのサブタイトルは「麒麟の才子」。

活下去

活下去
ー生き延びるのだ

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 (父亲)

開始してすぐの凄惨な戦のシーン。甲冑を着た血まみれの青年が、同じく年配の甲冑を着た人物に崖っぷちで片手をつかまれた状態でぶら下がっている。ぶら下がっている青年は、自分の手をつかんでいる人物を「父亲(父上)」と呼んだ。

おそらく親子だろう。私はこの二人が誰か知っているが、この話はネタバレをしてしまうと面白さが激減してしまうのであえて伏せている。この後父親は息子の手をあえて放す。その時のセリフである。

「活」は生きる、「下去」は動作や状態が続くことを表す方向補語。「生き続ける」などと訳する場合もあるだろうが、極限状態における息子への切実な願いを命令形で言ったと思われる。字幕の「生き延びるのだ」にその切実さが表現されている。

初見だとまったく分からないシーンだが、2回目以降はここだけで・・・

先生不必客气

寝ていた人物が飛び起きた。先ほどの戦の場面はその人物の見ていた悪夢か過去か。

白い伝書鳩が、仙人が住んでいそうな風光明媚な場所を飛んで情報を「琅琊閣」に運んできた。その情報から北燕という国の六皇子が皇太子になったと判明した。また別の場面では、北燕に遣わされた使者が、この情報を誉王という人物に伝えていた。

この物語の舞台は、中国の南北朝時代を模した架空の国・梁。梁の皇子の一人・誉王は皇太子と後継者争いの最中で、北燕の六皇子が皇太子になるにあたり、琅琊閣に援助を求めたことを知った。

琅琊閣は俗世と離れて、世の中の情報や知識を広く集める組織である。対価を払えば、その情報を得ることもできる。琅琊閣の情報で北燕の六皇子が皇太子になれたように、誉王は自分も琅琊閣へ自ら赴きその秘策を求めに行った。以下は琅琊閣に到着した誉王と出迎えた人物の間に交わされた言葉。

先生不必客气
ー遠慮なさらず

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 
琅琊閣で誉王を出迎えた人物

「先生」は、男性に対する敬称。出迎えた人物は、国の皇子だという前提で対応していない。「不必」は必要ないという意味の副詞。「客气」は遠慮するという意味。「不必客气」で直訳すると遠慮する必要はない、になる。

私は「客气」を「不客气」というフレーズで最初にならった。意味は「どういたしまして」。先に「客气」を習っていたら、すんなり覚えたのになーと思ってしまう。

日本語にした時は、見知らぬ客人に敬語を使うのが普通なので「遠慮なさらず」という字幕のようだ。

慶国公的事儿怎么样了?

誉王は琅琊閣で得た袋を屋敷に戻って開けた。時を同じくして皇太子側も同様の情報を得ていた。「麒麟の才子を得た者が天下を得る」の情報の「麒麟の才子」は梅長蘇と言う人物であり、誉王も皇太子も先に彼を迎えなければと考える。

皇太子は情報を持ってきた謝玉に別件を尋ねた。

慶国公的事儿怎么样了?
ー慶国公の件はどうなった

琅琊榜~麒麟の才子、風雲起こす~第1話 皇太子蕭景宣

「慶国公的事儿」は「慶国公の事。慶国公は誉王側の人物である。「怎么样」がどんな、どのような、という疑問詞。「了」が末尾につくことで、完了や状態の変化を表すので、「怎么样了?」でどうなった?となる。

語順が日本語的でわかりやすい。「的」、「怎么样」、「了」も初級の教科書で出て来た。中国語を勉強していると、日本人の私からすると果てしない道のりを感じさせたり、急に歩み寄ってくれたりする。この文章は一つ一つの単語の意味がわかればすんなり意味がわかるので、近づけた気持ちになれる。(でも次の瞬間突き落とされることもよくある。)

麒麟の才子を得るところ以外でも、政敵になる誉王を倒そうと画策しているらしい。

続きはまたいずれ。
1回で聞き取れないと繰り返し同じシーンを見るので、すごくゆっくり見ることになってしまう。何度も見てるから、こういう見方をしてもいいだろう。

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